第3話 赤髪の少女

 祐樹の異世界冒険譚、終了のお知らせ。


 ――短い冒険者人生だったなあ。や、まだ町からも出ていない。なんなら冒険者としてギルドとやらに登録さえされてない――首筋へ突き付けられたナイフにそんなことを思いながら、眉目りりしい赤髪の少女の顔が目の前、吐息のかかる距離にあることを、最後にいい思い出ができたななんて考えていた。







 ◇◆◇◆◇



 さて、少し時間を戻そう。


 大賢者様の屋敷では俺は客人として扱われたため、毎日の食事もおいしく、召喚者の知識を取り入れた料理なんかも楽しめた。現代知識を披露して異世界無双!――なんて考えても何の特技もない帰宅部高校生の俺が披露できる知識なんてものは無く、そもそも大抵のアイデアは既にこの国の文化に取り込まれ、活かされているようだったし、素人考えで成功することは文化や習慣などの違いで容易では無さそうだった。



 まず、朝は日の出の鐘と共に起床。そして俺を起こしてくれるのはシーアさんではない。シーアさんは大賢者様の弟子であり、側仕えでもあるため、彼女が本来面倒を見るのは大賢者様。そもそも大賢者様は朝の鐘では起きない。朝の鐘で起きるのはシーアさん本人。


 俺を誰が起こしてくれるかと言うとメイドさん。あの時メイドさんの格好をしていたが、シーアさんの屋敷での地位はかなり高い。そもそもあの格好はメイド服ではなくてドレスに近く、スカートの丈が長すぎて掃除や厨房での仕事には向かないと聞かされた。


 身元の知れた貴族の子女などがこの屋敷のメイドをしているらしい。そしてそのさらに下に平民の下男・下女がついて、厨房や洗濯場、御者や荷運びなどの仕事を行っている。ちなみに俺は大賢者様の元を離れて街に降りたら、彼らと同じ平民の身分となる予定。今が特別待遇なのだ。


 客間にはバスルームがあり、シャワーもトイレもついている。構造的に召喚者の誰かの知識のように思える。仕組みはわからないが、昔のお城のようなフリーフォールなトイレではなく水洗だった。街ではこうは行かないとも聞かされる。


 勉学は全てシーアさんが見てくれている。朝食後、二の鐘から三、もしくは四の鐘まではその勉強の時間。四の鐘というのは正午。夜明けの一の鐘から三等分して二と三の鐘が鳴る。同じく、日暮れの鐘が七の鐘で、同様に三等分して五と六の鐘が鳴る。一日の日の長さも変わるらしいので、割と大雑把なのだろう。


 三と五の鐘はお茶の時間。茶葉は南部で採れ、発酵させて紅茶に加工されることが多いそうだ。茶道楽は嗜んだことが無いため、何となく感じた味と好みを伝えると、次のお茶の時間にはシーアさんが好みのお茶を用意してくれたりおススメしてくれたりする。


 食事は大賢者様が居るときは彼女と、居ないときにはシーアさんと一緒にテーブルへ着く。一人での食事は味気ないのでありがたかった。そして食事をはじめ、元の世界が恋しいかというと不思議とそんなことは無かった。



 ◇◇◇◇◇



 そうして大賢者様の元で2週間ほどを過ごし、そして学んだ。新しい文字に接するのは思ったより楽しく、自動翻訳の補助付きなのもあっていくらでも吸収できた。生活に困らない程度には学べたと思う。さらに魔術。魔術を覚えるには魔術文字と呪文を覚えなければならないのだが、これがとても難解だった。


 ちなみに『魔法』と『魔術』は違うらしい。魔法は魔術や聖秘術、信仰による神の奇跡などを含めた総称で、魔術は独自の技術的な体系を為す文字と言葉を主とした魔法らしい。


 まず覚えたのが消去イレース。書板の文字を消すには必須なのだが、魔法的な呪文は翻訳されない上に、タレントで持っている魔法の呪文と違って正確に発音しないと顕現しない。これを覚えるだけでかなりの時間を費やした。ただ、この魔術は力ある魔術文字を消すのにも使えるから大事だと言われたので、時間の無駄とは思わずに良しとした。


 それから洗浄クリーン。これを覚えたかったのだが失敗。他にも着火イグナイト加熱ヒートといった、いかにも便利そうな小魔術キャントリップと呼ばれる類の初歩の魔術。これらはいずれも習得に失敗した……。


 そしてさらに複雑な呪文を要する本格的な魔術については二週間ではとても学ぶことができなかった。まあ、街に降りてからでも機会はあるからと、いくつかの小魔術と魔術も写させてもらった。ちなみに文字を写す魔術もある。当然、習得できなかったが。



 ◇◇◇◇◇



 やがて別れの時、大賢者様は俺の学びの成果である羊皮紙の束を鍵のかかる装丁の一冊の本にして渡してくれた。これだけ優秀な生徒は初めてと言われたが、この二人の元で学んで優秀じゃないはずが無いと答えると、二人とも優しい笑顔を向けてくれた。これが今日の昼過ぎの話。



 初めて屋敷の外に出る。城の一角のようだが、都市そのものも城塞都市らしい。貴族の屋敷のある区画と平民の暮らす街とを隔てる門に辿り着くまでは、きょろきょろと辺りを見渡しながら案内人の下男の後を遅れないよう歩いて行った。


 門のところで案内人と別れると、詰めている兵士が道を教えてくれる。俺は礼を言って歩き始めるのだが、後ろで兵士たちがほくそ笑んでることには気が付かなかった。



 ◇◇◇◇◇



 とりあえずは宿を探して歩く。通りはお世辞にも綺麗とは言えないが、平民の街が大賢者様の屋敷のようにはいかないだろう。やがて宿屋街らしき広場にやってくる。冒険者ギルドとやらも宿屋街にあると聞いている。広場の中央には彫像が立ち、背後の高台には神殿のようにも見える石造りの建造物がそびえる。


 しかしなあ、この彫像。大賢者様のところで聞いた話からすると地母神様の彫像のようなのだが、ビジュアルがなあ……。広場のど真ん中に堂々と立っているから今更誰も気にしないのだろうけど、胸焼けするようなえぐさだ。ふくよかな女性の立ち姿はまあいいとして、この奇乳、腹から背中から胴体ぐるりを一周して、いったい何個付いてるんだ……。



 宿のひとつを覗いて入る。木造で一階は小さな酒場か食堂のようになっているが、今は飲んだくれが居るだけのようだ。カウンターの男に声をかけ、いちばん安い部屋を頼む。


 身支度と当分の間、生活できるだけの金は貰っているが、銀貨7枚……思ったより高い。


 ――いや高いよ!


 手持ちは銀貨にして200枚相当。このままではひと月も持たない! 早いとこ稼ぐ手段を見つけないと公務員行きだ。もっと安い部屋は無いのかと聞くと、奥の空き部屋で少し待ってろと言われ、下男が呼びつけられた。



 案内された奥まったところにある部屋は香料の匂いが満ちてるが……なんかこう……臭う。床は染みだらけ。ベッドは広めかもしれないが部屋自体が狭い。慣れない街ということもあったし、本来コミュ障気味でもある俺はずっと気のせいかと考えていたが、男の言葉やこの部屋の雰囲気から察してしまった。


 ――やべ、これ娼館だわ。


 俺は何も考えず、早いとこココから立ち去ればよかったのに……やってしまった。床の染みに付随する文字が浮かぶ――『血痕』と。閉じられて施錠された窓にはご丁寧に格子まではめこまれている。ただの娼館じゃない。いや、妙に奥まった一階の部屋に案内されたんだ。まともな目的の部屋じゃないかもしれない。


 ――待て待て、今のところただの客だ。まだ慌てるような状況じゃない……。


 アワアワやってると、いつの間に人が入ってきたのだろうか――


 ドン――いきなり背後から突き飛ばされ、つんのめってベッドに倒れ込む。背中に跨られ、首筋に冷たいものを当てられる。


「動くな」――と女の声。


 彼女は跨ったまま俺の肩を掴むとくるりと仰向けにし、力任せにシャツの前を開く! 俺のな!


 ヤダ、強引!――なんて馬鹿を言ってる暇も無く、肩を露わにさせられた俺を、彼女はナイフを構えたまま抱いて、今度はシーツを巻き込みながら二人の上下を入れ替える。ナイフが刺さっちゃうんじゃないかという心配も無用なほど、安心感のある体術でした。ありがとうございました。ここで冒頭のような状況。



 最後にいい思い出ができた。せめてお名前だけでもと頭の上に視線をやると長い名前が。


「抱いてるフリをして。……あ! 動くな!」


 広がってしまった赤い髪を撫でつけ、こっちは陰になるように体を起こす。もちろん扉からね。案の定、背後で扉が押し開けられ、男に声を掛けられる。高い金払ってるんだ、邪魔するな!――と、ねめつけたいところだったが、コミュ障が発揮されてセリフが出てこない。残念男の恨みがましい視線にたじろいだ相手の男――あ、なんか名前出てる――は扉を閉めて廊下を左に歩いて行った。


 ――んんっ? 名前の『タグ』が左に移動して行っている……。要は、壁の向こうに居るはずの男の位置をタグが知らせてきているような状況だ。なんかこれゲームで見たことある。スポットされたまま? ずるくない?――なんて対人ゲームだったら言っていたことだろう。


「逃げたいんでしょ? 手を貸すよ」


 別に刺されてもいいやって思っていたら意外とリラックスできた。どうせ死んでも元の世界へ帰るだけだし。


 訝し気に俺を見据えていた彼女だったが、やがてベッドのシーツを切り裂くとその頭に巻いた。白いシーツに隠される鮮やかな赤い髪は絵になるななどと見惚れていたら――


「あなたも逃げたいの?」――と逆に問われた。


「ま、逃げたくもあるね」


 いろいろと逃げたいことは多かった気がする――思いながら部屋の扉を開ける。そうして今度は頭の中で鑑定の言葉を繰り返しながら廊下を覗き見る。


 暗闇で一瞬見えた影に名前が付く――だけでなく、聞こえてきた声の出所でどころだろうか。壁の向こう側にも名前のタグが浮かぶ。タグは廊下を移動し、一部は裏口を通ったのだろう、この部屋のすぐ外の方にも向かう。タグの移動のタイミングを見計らって廊下に出て、表口へと向かう。


 表口にはカウンターの男と飲んだくれの客しか居ないことを確認すると、彼女を物陰に隠し、男に声をかける。


「お前! い、いつまで待たせるんにゃ!」


 思いっきり噛んでしまった俺。そしてなぜかブッと吹き出すような声が聞こえた。いやあんた隠れてるんでしょ。わろてる場合か!?


「あああ、あとですね、床の染みが顔に見えて怖いんですけどあの部屋……」


 再び残念な男を見る視線にさらされる。そのまま残念男のフリをしつつ、もっといい部屋にしてくれと手持ちの金から大銀貨を2枚――つまりは銀貨40枚相当――を手渡し、男の腕を引いて案内を頼む。すれ違うように赤髪の少女は動き出し、立ち止まることなく店の出口へと……。



 ◇◇◇◇◇



 案内された二階の部屋はずっと広くて暖かく、大賢者様宅のベッドとはまた別のいい香りに満ちていた。中には菫色の髪の品のある女性が居た。男が耳打ちすると彼女は微笑みながら頷き、俺を手招きする。シーアさんにも通じる雰囲気の女性。貴族だろうかと名を見るがそれほど長くはない。開いたスクリーンには『聖秘術に長けた者』と記されていた。


 そうそう。赤い髪のは無事逃げられたようだ。階下を動き回るタグは建物周辺をうろつくだけで彼女を追うような素振りは見せていなかった。


「あら? 他の女のことでも考えてるのかしら」


「え……」


 ――なんでわかるの? えっ、こわ。魔女こわっ。


「図星だったの? ふふっ。アイリスよ。よろしくね」


 手を差し伸べた彼女の言葉に少ししてしまう。所謂、源氏名というやつだろうか? その名は頭の上の名前とは違っていた。


「ほら、こっちへ。服を脱いで。体を拭いてあげましょう」


「ふ、服はいいですよ。ちょっとお話したいのでそっちでもいいですか?」


 そっちってどっちだよ。いやあっちの方は処女厨なので遠慮したいですとか言えない。


「あら、綺麗な手をしているのね。汚れてもいないし。お話ってことは男娼希望?」


「えぇ……」


 アイリスと名乗った彼女に、他に話すことも無いのでこの店のことを教えてもらう。男娼の件はちゃんと否定して。で、話を聞いていくとやはり魔女の話も出てくる。というか魔女は娼館の主体になっているらしく、地母神の神殿から派遣されて店と契約している魔女が多いのだそうだ。人気のある魔女は高給取りになるらしい。他にも宿屋街や冒険者ギルドの場所なんかも教わった。


「本当にいいの? 時間はもうあまりないけど、祝福を与えられる自信はあるわよ?」


 砂時計を見ながらいう彼女。なんの自信なんだ、そしてどうやったら祝福を授かってしまうのか分かってしまう己が憎い。それ以前に大銀貨2枚を出して一晩持たない彼女の高給取りっぷりに驚く。


 また遭いに来て――後ろ髪を引かれる思いで彼女の言葉を振り切る。いえたぶん二度目はありません。だっていいお買い物でしたもの。それこそこの店で高給取りにならなければ無理ですしませんけど。







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 キャントリップと言えばAD&Dの0レベル呪文ですね。まじないとか小魔法とか書いたこともありますけど、とりあえず本作では小魔術で統一することにしました。


 物価や貨幣形態については、以前ゲーム用に作ったものを流用することにしました。王国金貨1枚≒エレクトラム貨2枚=大銀貨6枚=銀貨120枚=銅貨1,440枚ってとこですね。


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