家内危険警報発令!

仲瀬 充

家内危険警報発令!

リビングの時計の針が午後8時を指した。

「夏休みだからってまだ中学1年だぞ。こんな時間まで清孝はどこをほっつき歩いてるんだ。お前の教育がなってない」

「あなたこそ家庭をほったらかして毎晩飲んで回ってるじゃない。それも若い女の子と。ちゃんと知ってるんだから」

「なにい? お前だって」

貞夫と妻の敬子がやり合っていると電話が鳴った。

「はい!」

夫婦げんかの続きのような荒い口調で貞夫は電話に出た。

応答がない。

貞夫はれた。

「もしもーし!」

「あ、すみません。戸田さんのお宅ですか?」

言葉づかいは丁寧だが声は不自然に押し殺したように野太い。

「誰? 何の用?」

「あの、息子さんを誘拐しました」

「誘拐? 清孝を?」

敬子がすり寄って来たので貞夫は電話機のスピーカーのボタンを押した。

「そうです。それで身代金ですが2千万円お願いします」

「うちにそんな大金はない」

「そこを何とかお願いします。あの、誘拐は普通警察に通報しますよね? それはやめてください。僕は素人なんですぐに逮捕されると思います」

貞夫は立場を忘れて「しっかりしろ!」と気合を入れたくなった。

「僕が逮捕されると息子さんの命は確実になくなります」

「どうして?」

「息子さんは今から別の場所に移して監禁します。飲み物を差し入れなければこの暑い中、脱水症状で長くは持たないでしょう。僕が逮捕されたら息子さんの居場所は白状しません。警察も拷問まではしないはずですから。じゃお金の受け渡しはまた後で連絡します」

「待て! 清孝は本当に側にいるのか?」

「はい。声を聞かせます」

受話器を渡す気配がした。

「父さん、助けて!」


御厨みくりや信博はボイスチェンジャーを置いて電話を切った。

それを待ちかねていたように戸田清孝が口をとがらせた。

「誘拐犯なのに『あ、すみません』はないよ。なんだってバカ丁寧な話し方をするのさ」

「だって清孝のお父さんの声、怖かったんだもん。マズイって思ったけど途中から言葉づかいを変えたらおかしいだろ?」

インターホンが鳴ったので信博は玄関に向かった。

そしてデリバリーのピザを受け取ると戻ってきてダイニングテーブルに置いた。

「ピザでよかったかな。寿司でも何でも出前取っていいって言われてるんだけど」

「食欲ないし何でもいいよ。お父さんとお母さんはハワイの別荘にはいつまで?」

「1週間の予定」

「信博が残っていて助かったよ」

「一緒に行こうって誘われたんだけどね。でも僕、連れ子だから様子を見たんだ。『こっちに居て夏休みの宿題をやる』って」

「反応はどうだったの?」

義父とうさんはともかく母さんまで嬉しい顔をしたのはちょっと、」

「お互いに邪魔者扱いでキツイね。でも信博んとこ親の仲はいいからなあ」


そう羨む清孝の両親は半年前からいさかいが絶えない。

父の貞夫は離婚して会社の若い派遣社員の中から再婚相手を見つけるつもりでいる。

母の敬子の方も通っているヨガスタジオのオーナーと時々食事をしている。

新たな人生に踏み出す前に二人とも慰謝料や財産分与を自分の有利に持っていきたい。

そのため自分のことは棚に上げて相手の不倫疑惑をなじり続けている。

それだけでなく身軽になるために一人息子の親権も押し付け合っている。

そんないさかいが半年に渡り清孝が耐えきれずに家を出たのが今朝のことだった。

「父さんと母さんを心配させたいんだ」

清孝は自ら練った誘拐計画を語って信博に協力を頼んだ。


「どうする?」

夫の問いかけに敬子はソファーに座ったまま答えず目をつぶっている。

向かい合わせに腰を下ろした貞夫もそれきり言葉を発しなかった。

長い沈黙を破って敬子が突然かん高い声を出した。

「ああ、もういや!!」

「びっくりした! どうしたんだ?」

「私ね、私ね! 警察に通報することばっかり考えてしまう!」

貞夫は敬子が落ち着くのを待って言った。

「俺も同じだ。犯人が捕まれば身代金は戻ってくるし清孝が見つからなくても、」

さすがにその後を口にするのは憚られた。

「わがままだわ、私たち。別れて元妻、元夫になれても清孝にとっては元母、元父じゃないのよね」

貞夫は力なくため息をついた。

「そうだな、それを忘れたら人間じゃなくなる」


二人の話題は身代金の調達方法に移った。

「うちの貯金はいくらあるんだ?」

「1200万くらい」

「あと800万か。俺の会社は退職金の前借り制度はないからな。このマンションを売るしかないか」

「すぐに売れはしないわよ。抵当に入れれば銀行から500万円くらいは借りれると思う」

「それでもまだ300万たりない」

ソファーにもたれていた敬子が急に背筋を伸ばした。

「ねえねえ、中学校の近くの八幡神社の神主さん、」

貞夫がすぐに話を引き取った。

「そうだった! 叔父さんには相談があればいつでも来いって言われてた」

翌日二人は銀行で融資の申し込みをすませた後八幡神社を訪ねた。

受付の若い巫女みこに来意を告げると二人は社務所に通された。

宮司は普段着姿で現れた。

貞夫は頭を下げて腰を直角に折った姿勢のまま言った。

「叔父さん、何も聞かずに300万円貸してください!」

宮司は一瞬目を丸くしたが顔を上げた貞夫の真剣な目を見て頷いた。

「よし、分かった。あんたの親父には世話になったからな。学費を出してくれて大学に通わせてもらったから神職の資格も取れた。その恩返しだ、用意するから明日取りに来なさい」


清孝の両親が礼を述べて神社を後にしたころ御厨家に国際電話が入った。

信博は短く受け答えをして電話を切った

「母さんたち、あさって帰ってくる」

「えっ? 1週間の予定じゃなかったの?」

「母さん、僕がいないんでつまらないんだって」

清孝の手前、信博は素直に喜べない。

清孝は困惑の表情を浮かべていたがきっぱりと言った。

「それなら今夜終わらせよう」


午後7時に戸田家の電話が鳴った。

「身代金の受け渡しは明日の午後3時にお願いします」

信博がボイスチェンジャーを口に当てて言った。

「待ってくれ、明日は1500万しか用意できない。残りは銀行に頼んでいるんで2、3日かかる」

信博は清孝を振り向いてささやいた。

「どうしよう?」

清孝は声を出さずに「バカッ!」と口を動かした。

信博は慌てて口を押えた。

「もしもし?」

貞夫の声が電話のスピーカーから漏れる。

清孝が指を丸めてOKのサインを信博に示した。

「じゃ明日用意できる分だけでいいです。そちらの町内の公民館に郵便受けの箱がありますよね。そこに入れてすぐ立ち去って下さい。確認できたら息子さんを解放します」

信博が受話器を置くと清孝はぴょこんと律儀りちぎに頭を下げた。

「ありがとう。これで終わった」

「どうなるだろうね」

「君が郵便受けをのぞく時に警察が姿を現したら親にとって僕は死んでもかまわない子だってことさ」

自嘲気味に吐き出した清孝の言葉を信博は口をとがらせて打ち消した。

「警察は来やしないよ。清孝のお父さんやお母さんが通報してたら警察は通信履歴からとっくにこの家を突き止めてるさ」


翌日の午後3時過ぎ、信博と清孝は公民館に出向いた。

郵便受けの扉を信博が手前に引き上げると分厚い紙包みが入っている。

二人はそのまま公民館の入口付近にたたずんでいた。

真夏の真っ青な空には雲一つなく近くの木立から蝉の鳴き声が聞こえる。

人通りもなく二人には町じゅうが昼寝をしているように思われた。

「警察も誰も来ないね、気抜けしちゃった」

「だから言ったろ?」

信博は嬉しそうに言って札束の入った紙包みを清孝に渡した。



「清孝が御厨産業の社長さんの息子と友達だったとはな」

「私たち、清孝のこと何にも知らないのね」

「清孝の打ち明け話を叔父さんに話すべきかな?」

「なりゆきにまかせましょう、着いたわ」

貞夫が社務所でお金を返却すると宮司は昨日よりも目を丸くした。

「午前中に渡したばっかりなのに?」

「はい、使う必要がなくなったんです。ありがとうございました」

宮司は驚きを収めて笑顔になった。

「何があったか知らんが今日はあんたたち、実にいい顔をしとる。息子さんのおかげかな」

今度は二人が驚く番だった。

息子の狂言誘拐が知られているはずはないと思いながらも貞夫は恐る恐る尋ねた。

「あの、清孝のおかげとは?」

「何日か前、家内安全のおはらいをしてくれって来たんだよ」

「えっ?」

「千円しか持ってないんですけどって言ってな。祈祷きとう料をねぎられたのは初めてだった」

宮司は愉快そうに笑った。

すると受付にいた赤い袴姿の巫女も貞夫と敬子の側にやってきた。

「息子さんは半年くらい前にお参りに来て『家内安全』のお守りを買って行きました。『学業成就』じゃないの?って私聞いたんです。そしたら息子さん、『僕んち家内危険なんです』って」

巫女は思い出し笑いをした後急に真顔になった。

「息子さん、それから1週間に1回くらい学校帰りにここに寄って手を合わせていましたよ」


神社を出て並んで歩きながら敬子はぽつりと漏らした。

「清孝は私が引き取るわ」

貞夫は勢いこんで言い返した。

「いや、俺だ」

「まだ中学生だし女親のほうが」

「無理しなくていいよ、経済的に大変だろう」

親権の取り合いをしながらも二人の口調は次第に穏やかになった。

「こんなふうに自分の都合ばかり考えてるから俺たちは駄目なんだな。我が子を追いこんでいたことにも気づかず」

貞夫は手を差し延べて敬子と手をつないだ。

「清孝のお守りや宮司さんのお祓いを無駄にしたらばちが当たるな。やり直そうか?」

「うん。でも、もう若い子に色目使っちゃダメよ」

「大丈夫さ。畳と女房は古くても味わいがあっていいもんだ」


「お先に失礼します」

二人の側をジーンズに白いTシャツの若い女性が追い越して行った。

「お疲れさん」

貞夫もにこやかに挨拶を返した。

敬子は軽く会釈して見送った後、貞夫に尋ねた。

「知ってる人?」

「何を言ってるんだ。さっきの巫女さんじゃないか」

「へえ、私服だと見違えるわ。結い上げてた髪も下ろして。あなたよく分かったわね」

敬子が感心して言うと貞夫は巫女の後ろ姿を目で追っていた。

「可愛いな、スタイルもいいし。いくつくらいだろう」

敬子はつないでいた手を振り放して貞夫をにらんだ。

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