3-10.祈り

 はやての視界を無数の蛇が埋め尽くす。黄泉津大神よもつおおかみの腕から生える蛇たちは一匹一匹が人一人を丸呑みにできるほどだった。それが何十も蠢いている様は、見るものに生理的な嫌悪感と絶望的なまでの恐怖を呼び覚ます。そんな蛇の大群が、先ほどまで颯のいた場所を通過した。


 颯は素早く転身し、反転する蛇の頭の数々を見据える。かつて敗れた相手とはいえ、易々とやられるつもりはなかった。


 しかし、天之尾羽張あめのおはばりを手に斬りかからんとする颯に、漆黒の球体の雨が襲い掛かる。無数の蛇の口から放たれる圧縮された死の穢れは、まるで超巨大なショットガンの散弾かのようだった。


 颯は黄泉津大神を中心としてコンパスで円を描くように走って避けながら隙を窺うが、半人半蛇の大神に肉薄する機はなかなか訪れない。


『――――!』


 言葉では言い表せない叫びが響き渡り、黄泉津大神の全身8か所がバチバチと放電した。直後、色とりどりの雷撃が放たれる。8本の雷撃がサーチライトで獲物を探すかのように、それぞれがぐるぐると狙いを変えて颯の逃げ場を奪う。


「くっ」


 颯は足を止め、天之尾羽張で雷撃を受け止め受け流し、斬り払う。そうして8色の雷をやり過ごすも、黄泉津大神の上半身の人の口が、立ち止まった颯目掛けてどす黒い霧を吹きつけた。


 瞬時に辺り一帯を濃い死の穢れが覆い尽くす。颯の視界も黒一色で埋め尽くされていた。


「人の子の心の光よ……!」


 黒の中心で、白い輝きが生まれた。勾玉から滲み出た光が颯の全身を伝い、徐々に輝きを増していく。そして颯の体から溢れ出た光が黒を侵食し、周囲の穢れを跡形もなく掻き消した。


『――――――!!』


 黄泉津大神が怒り狂い、無数の死の穢れの弾丸と8色の雷撃が荒れ狂うが、リズミカルに颯から球状に周囲へ広がっていく破邪の光がそのすべてを打ち払う。


「我一人では敵わずとも、我が子らの力があれば――」


 颯は大上段に天之尾羽張を構えた。光が、剣に集まる。


「はぁああああっ!」


 胸元の勾玉と颯自身から生まれ出でた純白の光が、神殺しの剣を輝き照らす。やがて、すべての光が天之尾羽張に収束し、太陽のような輝きを放つ。


 その一方で、黄泉津大神のひび割れた口内に闇が集っていた。


 極限まで圧縮された光と闇が、今か今かと衝突の時を待っている。


『――――――――!!!』


 視線が交差した瞬間、闇が弾けた。半人半蛇の大神の口から弾け出た死の穢れが、極太のビームのように紫の大地を削り取りながら颯に迫る。


 死者の国を統べる大神をすっぽり覆い尽くしてしまうほどの巨大な黒の奔流に対し、颯が白き剣を振り下ろす。


 白い光が剣の前方に一気に広がり、禍々しい漆黒のビームを迎え撃った。白と黒が両者の間でそれぞれ半球を形作り、互いに押し返さんと真っ向からぶつかり合う。


「くっ」


 颯の口から苦悶の声が零れ落ちる。黒が勢いを増していた。颯の胸の勾玉が明滅を始める。


 彦五瀬の祖母から伝わる破邪の勾玉は、人々から正の感情を少しずつ集めて破邪の力として蓄えるものだ。それは即ち、その力に限りがあると言うことに他ならない。颯の脳裏に敗北の二文字が過った。それと同時に更に黒の圧力が更に増していく。


「颯様!」


 その場から離れたはずの沙々羅の声が、すぐ後ろから聞こえてきた。


「沙々羅! 五十鈴媛と真菜を連れてこの場を離れるんだ!」


 もし颯が敗れた場合、この強大な死の穢れが世界に及ぼす影響は計り知れない。もしかするとどこに逃げても助からないかもしれない。けれど、この場にいるよりはずっといい。颯は大切な仲間たちと妹の無事を願う。


「颯様。諦めてはなりません! その八尺瓊勾玉やさかにのまがたまには破邪の力を増幅する力が秘められております」


 破邪の力の源は人の正の感情。それを失わない限り勝ち目はあると沙々羅は語る。


「沙々羅っ!?」


 突然、颯は背中に温もりを感じた。優しく颯の背に身を寄せた沙々羅から、温かな心が、力が、颯の中に注がれる。


「颯様。皆が颯様の勝利を、無事を祈っています」


 沙々羅は、この場にいない彦五瀬や伽耶、思金おもいのかね手力男たぢからおや兵士たち、高千穂の地と東征で出会った多くの人々の想いが颯の胸の中にあると告げる。勾玉の明滅が、明の状態で止まった。


「もちろん私も五十鈴媛も、そして真菜様も」


 その言葉から、颯は真菜が無事だと知る。勾玉が輝きを増した。


「颯様。私のすべてを颯様に捧げます。どうか、世に安寧を――」


 背に寄り添う沙々羅の全身が白く輝き、光と温もりが颯の体と心に広がっていく。白が、黒を僅かに押し返す。


「はぁああああああっ!!」


 颯の胸で光が弾けた。二人の心の光が勾玉によって増幅され、閃光となって白い奔流に加わる。一瞬の拮抗の後、一気にバランスが崩れ、白い光が黒を呑み込んだ。


 光が黄泉津大神を包み込み、白がどこまでも広がっていく。白い光が黄泉国よもつくにを満たし、黄泉比良坂よもつひらさかを照らし、更にその先へ。


 すべてが白に塗りつぶされた世界が、生まれていた。


 そんな白い世界で、2つの人影が向かい合う。


『すまなかった』


 その世界で、颯は伊邪那岐命いざなぎのみことの姿となっていた。その対面で、伊邪那美命いざなみのみことが無表情でたたずんでいる。


『謝って許されるとは思っていない。愛する妻を2度も裏切ってしまったのは私なのだから。けれど、そんな私にもできることがある』


 颯の、伊邪那岐命の胸の中心が淡く輝き、光が白い世界と溶け合って伊邪那美命を抱きしめるかのように包み込む。


『来世で幸せになってほしい。叶うことなら、再び私と共に――』


 世界が、最後に一際強く輝いた。輪郭すらぼやけいく中、颯は最愛の妻が優しく微笑んだような気がした。

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