3-3.案内

 はやてたちは五十鈴媛の手にした松明たいまつの明かりを頼りに黄泉比良坂よもつひらさかを進む。初めは徐々に上り坂で、ある地点からはゆるやかな下り坂。死者の国である黄泉国よもつくにへ続いているという話を裏付けるかのように、そこに生者の息吹は感じられず、枯れた木々が散発的に姿を見せるだけだった。


 颯は天之尾羽張あめのおはばりを手に周囲へ気を配る。どこからか黄泉醜女よもつしこめやそれに類する亡者共が姿を現してもおかしくない雰囲気に、颯は背中から汗が滲み出るのを感じていた。


 冷たい空気が漂い、颯は言葉を忘れたかのように黙々と足を動かす。得も言われぬ恐怖心はあるものの、この道の先に真菜がいるのだと思えば、引き返そうという気にはならなかった。


 一本道の坂道が上り坂から下り坂に変わってしばらくして、颯の頭に黄泉比良坂が後どれだけ続いているのかという考えが浮かんだとき、突如雷鳴が轟く。颯らの周囲が一気に明るさを増した。


「颯様!」

「颯!」


 二人が警戒を促し、颯は剣を構える。3人のいる地点から下り側の道なりに、篝火が並んでいた。左右にずらりと並んだ篝火にどうやって同時に点火したのかは不明だが、まるで飛行場の滑走路の灯りのように、これから進むべき道がはっきりと示されていた。その道の真ん中で、影から染み出したかのような黒い大蛇が鎌首をもたげている。


 大蛇と言っても真菜を攫った化け物のような巨体さはなく、颯がいつか映像で見たことのあるアナコンダのような現実的な大きさだ。それでも道端で出会えば冷静ではいられないサイズではあるが、重機並みの化け物と戦った後では殊更大きくは感じなかった。


「颯。見かけの姿に惑わされてはいけないわ」

「颯様、おそらくあの者も八雷神やくさのいかづちのかみの一柱かと」


 決して油断しているつもりはなかったが、颯はいつ戦闘になってもおかしくないのだと改めて気を引き締める。しかし。


「お待ちしておりました」


 黒い大蛇の口から発せられた言葉に、颯は眉根を寄せた。黒い大蛇は颯の訝し気な視線をどこ吹く風で受け流し、持ち上げた頭を背後に向けた。


「この先は黄泉国。生者が迷い込めば無事ではいられない地でありますれば、この黒雷くろいかづちが案内いたします」


 黒雷。八雷神の一柱で、黄泉国の住人となった伊邪那美命いざなみのみことの腹部から生まれた雷神だ。


 雷神の名を名乗った大蛇は颯らの返答を待つことなく、ゆっくりと坂を下り始める。


「颯様。どうやら敵意はないようですが……」


 言われるままついていくべきか悩む颯に、沙々羅が怪訝な顔で告げた。


「罠の可能性も捨てきれないけれど、土地勘のない黄泉国をあてどなく彷徨うよりは早く真菜様の元へたどり着けるかもしれないわね」


 沙々羅と同じように黒雷から敵意を感じないという五十鈴媛の言葉を受け、颯は決断する。相手の領域に乗り込む以上、危険は承知の上だ。それに、どちらにしても既に侵入していることが知られてしまっているのだから、黒雷の申し出に含むものがあってもなくても警戒することに変わりはなかった。


「沙々羅、五十鈴。行こう」

「はい」

「ええ」


 二人が頷くのを確認し、颯は先を行く黒い大蛇の背を追った。


 颯らは一定の距離を保ちながら黒雷の後に続き、篝火で照らされた道を行く。しばらく進むと、前方に洞窟の坂道の終点が見えた。もちろん行き止まりではない。山の腹の中なのか、はたまた地下なのか、それとも異空間と言うべき場所なのか、それはわからないが、坂の先に広々とした空間が存在しているように思えた。


「あれが……」


 黄泉比良坂は生者の国と死者の国を繋ぐ道でしかない。前方に見える地こそが黄泉国。そう思うと、颯の背筋を冷たいものが這い上がっていく。颯が、ごくりと喉を鳴らした。


 その瞬間、数メートルほどの颯と黒雷の間に突如雷が落ちた。落雷の跡から炎が立ち上る。


 爆風と共に赤々とした炎が広がり、颯は二人の前に立って天之尾羽張で炎を切り分けた。


 やはり罠だったのか。そう考えた颯の目に、炎の中から顔を出した真っ赤な蛇の頭が映った。


 颯らは後退し、それぞれ武器を構える。沙々羅はいつでも矢を放てるように生弓矢に矢を番え、松明を投げ捨てた五十鈴媛は左右に互い違いの枝刃を持つ七支刀しちしとうを胸の前に掲げた。


火雷ほのいかづちよ。何のつもりだ」

「こやつらを通す訳にはいかぬ」

「それが、我らが母の願いだとしてもか」

「母の勘気に触れようとも、こやつらはこの場で殺す。黒雷よ、止めてくれるな」


 炎の中の蛇と視線を合わせ続けていた颯は、炎の向こうで黒雷が溜息を吐いたような気がした。


「好きにするが良い」


 黒雷のその言葉を待っていたかのように炎が一気に膨れ上がり、洞窟を埋め尽くさんとするほどの荒ぶる炎を纏った巨大な大蛇が姿を現す。


 火雷。黒雷同様、八雷神の一柱で、蛆の集る伊邪那美命の胸部から生まれた雷神だ。


 火雷が大口を開け、火炎を放った。轟々と音を立てる火の柱が颯らに襲い掛かる。洞窟を巨大な炎が覆い尽くし、逃げ場はなかった。けれど、颯は天之尾羽張を一閃して炎を打ち払う。


「沙々羅!」


 五十鈴媛が七支刀を持っていない方の手で、腰に結いつけた銅鏡を沙々羅に示した。その白銀に輝く鏡面には赤い雷の球体が映し出されていた。


 颯の背後から、沙々羅が淡く輝く矢を放つ。直後、巨大な炎の大蛇の体が揺らめいた。


「颯!」

「颯様!」


 二人の叫びに背を押されるように、白い光を纏った颯が炎の大蛇に向かって駆け出す。真の姿を現した天之尾羽張が赤い球状の雷を一刀のもとに切り裂く。断末魔とも言える叫びが木霊した。


 炎もろとも大蛇の姿が掻き消え、弱々しく明滅する火雷の本体とも言うべき赤い雷の球体が黄泉国の奥に向かってふらふらと飛んでいく。


「では参りましょう」


 颯らが束の間の勝利を噛みしめる暇もないまま、何事もなかったかのように、黒い大蛇が案内を再開した。


「あの……仲間を倒したんだけど、いいの……?」


 ともすれば黒雷とも戦いになるのではないかと思っていた颯は呆気あっけにとられ、ついついそんなことを尋ねてしまう。


火之迦具土神ほのかぐつちのかみを容易く切り殺した天之尾羽張に、火に縁を持つ火雷が敵うわけがないのはわかり切ったことにございます。それに、我が母のいる限り、我らが滅びることはありませぬ」


 そう淡々と告げる黒雷に、颯は何と返していいのかわからないまま、その後に続いた。

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