1-15.鬼

 鬼。それは心の器から溢れた“じゃ”によってその身と心を支配され、異形へと変じた存在。今でこそ一部の人間には“邪”と“鬼”の因果関係が知られているが、古来より鬼は神々の祟りだと恐れられてきた。


 鬼はその発生の仕組みより、世が乱れれば乱れるほど、その数を増し、鬼による被害は増える。今の時代から数十年前も、北の地では小国が覇権を争い続けていて、その戦乱の世が長引くにつれて、人々は鬼の脅威にも晒されることとなった。


 そんな時、小国の中の一国に、一人の巫女が現れる。破邪の秘術を修めた彼女は鬼を滅して人々を助けると共に、鬼が生まれない世を目指した。


 やがて巫女は人々に乞われ、小国家連合の盟主、山門やまとの女王となった。彼女は破邪の力を翡翠ひすい勾玉まがたまに込め、鬼と戦う力として有力者に渡すことで自身の立場を確かなものとした。


 そして、更には海を渡った大陸の大国に朝貢し、皇帝より王の称号を授かることでその地位を盤石のものとした彼女は、山門を窺う周辺勢力との争いでも優位に立ち、未だ尽きることのない鬼との戦いに本腰を入れることとなる。


 しかし、破邪の力の根源は巫女自身の正の感情であり、それは無尽蔵に生まれるものではなかった。人々の求めに応じ、そして自らの宿願のために正の感情を消費し続けた彼女はいつしか感情を無くし、それでもこの世から邪を消し去るために禁呪に手を染めた。


 それは世に蔓延はびこる邪を自らの器に取り込むというものだった。人の身を鬼へと変ずる前に邪を取り払ってしまえば鬼と化すことはないという、言うなれば対処療法のようなもの。


 本来は集めた邪を術者が中和することで完成を見る術だが、既に巫女にはそうするだけの破邪の力を残してはいなかった。一般的な人より心の器の容量が大きかった巫女のおかげで一時的に鬼の発生は抑えられたものの、限界を迎える日はそう遠くはなかった。


 そうして、いつしか巫女の器の中で限界まで凝縮された邪は溢れ出し、彼女の清き心と体を、醜悪な、そして強大な鬼へと変えた。


 鬼の王とも言える存在と化した巫女は国を荒らし、かつて愛した人々を蹂躙する。幾人か巫女より破邪の秘術を授かった者たちも、勾玉を授かった者たちも、誰も巫女を止めることができなかった。


 山門では女王の縁者を廃した後に男王が即位して事態の収拾を試みるが叶わず、世は再び乱れた。


 そんなとき、遥か東方より、ヤマトに属する一軍が現れる。


 関門海峡を閉鎖した山門の繁栄を尻目に出雲を拠点とした船での交易で発展した各地の勢力の集合体であるヤマトが、出雲出身の一人の首長の元で団結し、混乱に乗じて山門制圧に乗り出したのだ。


 そして、スジン帝のめいで遣わされた一軍を率いたのが、女王と同様に破邪の秘術を修めた巫女のトヨと、その腹違いの兄のスクネだった。


 スジン帝の子でもある二人はその名声を利用して翡翠の産地の“こし”で得た大量の勾玉を持ち込んだ。その勾玉にはトヨの秘術によって多くの人々から少しずつ集めた正の感情が破邪の力として宿されていた。


 トヨとスクネ率いるヤマト軍は荒廃した山門の中心地を押さえて早々に各地を制圧すると、鬼と、そして元女王と対峙し、多くの犠牲を払いながらも打ち滅ぼした。


 その後、トヨはかつての巫女と同様に山門の地に平穏をもたらすために次代の女王として即位する。


 トヨは前女王の一族に連なる台与トヨとして大陸の“魏”に朝貢し、“親魏倭王”の称号を受け継いだ。こうして鬼の脅威は去り、北の地は台与の治世の下、魏の威をも借りて繫栄した。




「そのトヨとスクネというのが……」

「はい。その二人の英傑こそが、彦五瀬命と薙様の祖父母でいらっしゃいます」


 思わずはやてが呟いた言葉に沙々羅が応じる。真っ直ぐな沙々羅の瞳からは二人への敬意が感じられた。


 颯は僅かに顔を伏せ、思索を巡らす。話の中に、幾つか気になる点があった。


 山門と読みを同じくするヤマト。大陸にある魏という国。それに親魏倭王の称号。颯はそれらに聞き覚えがあった。そして、古代日本史に登場する女王と言えば――


 考え込む颯の横で、真菜が首を捻っている。


「ねえ、沙々羅さん。トヨさんが女王に即位したっていうことだけど、トヨさんとスクネさんは東のヤマトの人なんでしょ? そんなことして怒られなかったの?」

「お二人は遠征の前にそれまで治めていた領地を召し上げられていて、切り取った地を新たな領土とすることを認められていたのです」

「そうなんだ……。でも、王はまずいんじゃないの? もしかして領地を取られたことを恨んで独立しようとして――」

「違います!」


 真菜の言葉を伽耶がさえぎった。それまで静かに聞くばかりだった伽耶の突然の叫びに、颯も真菜もビクッと肩を揺らした。


「トヨ様はかの地の安寧のために女王に即位されましたが、事前にスジン帝の許しを得ていたのです。トヨ様もスクネ様も、民草を思えばこそで、決して反逆など企ててはいませんでした!」


 颯は呆然と伽耶を見つめる。伽耶の言い草は、トヨとスクネが反逆を疑われたかのようだった。颯の脳裏に、憤る彦五瀬の姿が浮かんだ。


 北の地から逃れて高千穂に隠れ住んだという彦五瀬の一族。その一族がトヨとスクネの一族と同義であるのなら、鬼から人々を救った二人は程なくしてその地位を追われたということになる。


 瞳に涙を浮かべる伽耶の背中を、沙々羅が、そっとさする。


「真菜……」


 颯が妹の名を呼ぶと、真菜は今にも泣き出しそうな顔で頷いた。


「伽耶ちゃん、ごめんね……」

「い、いえ……。真菜様は悪くありません。私こそ、声を荒げてしまって申し訳ありません」


 互いに謝罪し、わだかまりを残さないように微笑み合う二人に、颯はホッと胸を撫で下ろす。


 古代日本史と日本神話。それらと符合する物事を持ちつつも鬼の実在する世界。颯はこの世界が本当に自身の知る日本の過去の世界なのか疑問に思うが、いくら自身に問いかけても確かな答えが出ることはなかった。

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