ふたり乗り

下東 良雄

ふたり乗り

 夕暮れの土手の上。

 舗装されたサイクリングロードが視界の限り真っ直ぐに続いている。

 オレンジ色の空を背景に、そんな土手の上をふたり乗りの自転車がゆっくりと走っていた。

 漕いでいるのは、背の高い女の子。

 荷台で横乗りしているのは、小柄な女の子。

 キィコ、キィコ、と軋み音を立て、ふたりを乗せた自転車はだいだいに染まりながらゆっくりと走っている。

 ゆっくりと、ゆっくりと、走っている。


久美子くみこ先輩」

「ん? 理恵りえちゃん、なに?」

「相談にのってもらっていいですか?」

「可愛い後輩だもの、もちろんよ」


 少しだけ空白の時間。

 キィコ、キィコ、と自転車がその時間を埋めてくれた。


「恋の悩みなんです……」

「私、恋の『こ』の字も知らないけど……」

「久美子先輩だから相談したいんです」

「……そっか。うん、お話ししてみて」


 少しだけ冷たい風がふたりの身体にまとわりついた。


「私、好きな人がいるんです」

「そうなんだ、知らなかった。どんなひとなの?」

「優しくて、笑顔が素敵なひとです」

「理恵ちゃんにもそういうひとがいたんだね」

「はい……背が高くて、後輩の私に気を使ってくれて、いつもそばにいてくれるひとです」


 優しい微笑みを浮かべている久美子は、まっすぐに先を見つめている。

 でも、キィコ、キィコ、と心が軋んでいた。


「わ、私、やっぱり、おかしいですよね……」


 久美子にしがみついている腕とその声が震えているのは、冷たい風にさらされているからではないだろう。


「わ、私、そのひとが好きで、だから、だから私、女の人が好きなのかなって、そんな自分が気持ち悪くて、もう自分が分からなくなって、どうしたらいいのか分からなくて……」


 理恵の頬に一筋、夕日が映り輝く雫が流れていく。

 キィコ、キィコ、と自転車が心配そうな声を上げた。


「理恵ちゃん」


 理恵は何も答えられない。


「慌てずに恋を楽しんだらどうかな」


 顔を上げた理恵は、夕日を浴びた久美子の横顔を見た。

 細かな表情は分からない。


「今、LGBTQ+セクシャルマイノリティが話題になることも多いし、そういうのを理恵ちゃんも見聞きしていると思うんだ。だから、今の気持ちが不安になっちゃったんじゃないかなって思う」


 理恵は覚えがあった。久美子の言う通り、LGBTQ+セクシャルマイノリティに関する報道を見たのがきっかけだった。性的少数者を理解しようという気持ちはあるものの、どうしても理解し切れない部分もある中で、久美子への思いが先輩と後輩の関係での『好き』ではなく、レズビアンとしての『好き』なのではないかという思いが生まれたのだ。

 理恵は悩みに悩んだ。でも、どれだけ考えても答えが出ない。どうすればいいのか分からず、理恵の心はキャパシティオーバーに陥った。

 ここで告白したのは、久美子への愛の告白ではなく、久美子へのSOSであった。


「じゃあ、私も理恵ちゃんに告白しようかな」


 一字一句聞き逃すまいと、理恵の意識は久美子に集中する。

 キィコ、キィコ、と軋む音は、いつしか理恵の耳には届かなくなっていた。


「私にはね、とっても可愛い後輩がいるの。いつも笑顔で、いつも一緒にいてくれる優しい後輩。そんな後輩が私に好意を寄せている。とっても嬉しい。本当に嬉しい。恋に悩む彼女を抱き締めてあげたい。強く強く抱き締めてあげたい」


 久美子の言葉に微笑みを浮かべる理恵。


「でも、キスできるかって言われたらNOかな。エッチなんてできないと思う。そのままエッチしちゃうようなマンガとかあるけどね」


 ハッとする理恵。久美子のことは好きだが、性的な目では一切見ていなかった。


「私、その後輩に言ってあげたいんだ。『恋に焦る必要はないよ』って。『言葉に縛られないで』って」


 理恵は、久美子の言葉を一生懸命飲み込もうとしている。


「気になる男子ができた時、男子から告白された時、『レズビアン』という言葉に縛られて、自分の気持ちから目をそらしてほしくないなって、私は思う。だって、これからたくさんの男子とも出会っていくんだもの。これまでだって好きな男子がいたんじゃないのかな」


 確かに、理恵には小学生の時に好きな男子がいた。


「何が言いたいかっていうと……ごめんね、うまく説明できなくて。えーとね、今結論を出さなくてもいいんじゃないかってこと」


 理恵の心を縛っていた何かが解かれていく。

 キィコ、キィコ、という不快な音さえも自転車からの祝福に感じた。


「今、その後輩が私のことを好きなら、その想いを否定する必要はまったくないと思う。でもね、そこで『女子しか愛せない』と結論付けないで、フラットな気持ちで男子も見てほしいな。その上で、いつか『自分はレズビアンだ』と結論が出るようなことがあれば、私はそんな後輩を受け入れるよ。ただ、キスとかエッチはできないけどね」


 久美子なりに理恵の想いを受け止めた故の言葉。

 なぜか理恵は涙が止まらなかった。


「だからね、理恵ちゃん」


 理恵は顔を上げた。

 久美子はまっすぐ前を向いたままだ。


「私も理恵ちゃんのこと、大好きだよ」


 理恵は涙を溢しながら、久美子の背中にしがみついた。

 自分の身体に回された理恵の手を優しくポンポンと叩いた久美子。


「……久美子先輩、大好きです……」


 キィコ、キィコ、自転車が軋む。

 夜になりかけた空の下、ふたりを乗せた自転車が土手の上をゆっくりと走っていった。

 ゆっくりと、ゆっくりと、走っていった。



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