正しい信仰の終わらせ方

海沈生物

第1話

 新興宗教に入教した。それは佛教とキリスト教をごちゃ混ぜにしたような「法怪」という怪しげな神様を祀るものである。私はこの宗教の神様をこれっぽちも信仰していない。それならどうして入教したのかと言えば、大した理由はない。


 ただ、心の拠り所……いや「言い訳」が欲しかっただけである。私の人生がズタボロでしかない、ただの破滅待ちの待機列に並んでいるだけのものであることに対しての。


 私は自分の人生を唾棄すべきものであると思っている。それは「他人と比較するべきではない」と言われるかもしれない。それは譲れない「何か」を持っている人の言い分である。私の人生にはテーマ性も、信念も、何もない。ただ、永遠のような虚無と破滅しかない。


 だから、宗教が……縋るものが必要なのである。私という存在に、何もない私に、意味を与えてくれる宗教というものが。





 入教して一日目。私は教祖の女から人を殴り殺せそうな程に分厚い教典を貰った。そこには見ているだけで吐き気を覚えそうな程の文字が並んでいた。


『これは神聖なものなので、大切に保管しておいてください。ゆめゆめ、肌から離さないように』


「風呂入る時はどうしたら良いんスか? 教典ちゃんとラブラブ♡入浴しても大丈夫なんスか?」


『それは脱衣所に置いておいてください……』


 眉を顰めているのを見て、ちょっと可愛い生き物だなと思った。教祖に対してそんなことを思っているなんて知れたら、即刻打ち首ものかもしれないが。心の中で思う分には自由である。信教の自由、最高!


 その日はそれだけで帰宅させられた。仕方がないので、家で教典の一ページ目にある法経の絵でもダラダラ見た。河童の顔と猿の胴体を合体させたような生き物。評するならそんな所だろうか。とにかく可愛い。どことなく教祖に似てるし。


 明日から教祖に毎日会えるのを楽しみにして、その日は眠りについた。


 翌日。そして、その翌々日も。それから一か月程、期待に反して教祖に会えなかった。代わりに大量の宗教行事を受けさせられた。どれもくだらないものだ。特に「法経サマの銅像の足を一時間触り続ける」「一時間逆立ちを受けさせる」のような意味不明な苦行をさせられたのが苦痛でしかなかった。それでも、またあの教祖に会えることを期待して苦行に励んだ。


 そうして、一か月が経過した。ついに教祖と会える日がやってきた。


 クソでしかない修行こと「法経業」を経た私を見て、彼女はまるで愛おしい娘でも見るような目で私を見つめてきた。宗教の教典の内容はあれから一行も記憶していない。それでも、彼女の美しさだけは、目を奪われるような美しさだけは本物だった。


「よく、ここまで法経業に耐え忍んできましたね。佐藤虚無江さとうきょむえ。貴女はもう私たちの法経家族ほうけいふぁみりーです。これから、素晴らしき法経様の教えを民に教え導いていきましょう!」


「はい、教祖様!」


 心の中は相変わらず虚無だ。ただ、この宗教が社会倫理に反しているものであることだけを理解している。それでも、私の言葉にと表情を見せる。私にはこれっぽちも彼女の感情は理解できない。


 それでも彼女が喜んでいるのならそれでいいか、と思う。誰かが喜んでいるのであれば、それはきっと正しいことなのだろう。私にはこれっぽちも分からないが。


 それから五年後のことだ。その宗教は高額な壺を入教者に販売・多くの入教者からの不法行為に対する証言がされたことを理由に解散を命じられることになった。私は「案の定だな」と思った。いつかこうなることを予期していたので、驚くこともなかった。


 ちなみにその解散のきっかけを作ったのはである。大した理由はない。ただ、少なからずの教徒から「絶対に訴えてやる!」「滅ぼしてやる!」等の声が多く見え始めてきていた。だから、そろそろ解散時かなと思ったからだ。


 多くの入教者たちは「貴女のおかげで母が助かった」だの「貴女のおかげで目が覚めた」だの、感謝の言葉を言ってきた。だが、そのどれも私には響かなかった。


 私の心に響いたものはただ一つ。教祖の目である。


 解散が決定した日の夜、教祖から呼び出しを受けた。さすがに煽動したのがバレたのか、これは殺されるかなーと思っていた。ただ、武器を持っていくのも面倒だったので、スマホすら持たずに向かった。


 呼び出しを受けて教祖に指定された場所に行くと、法経の銅像の前で座り込んでいた。何やらにゃむにゃむと言っている。多分教典の中に書いてあったような気がする。うる覚えなので分からない。


「教徒たちから聞きました。貴女が彼らを煽動したそうですね」


「そ、そうっスね。隠しても仕方がないので言うんですが、私が彼らを煽動した感じっス」


「なぜ……なぜですか。貴女はこの五年で教典を丸暗記して、私の忠実な右腕として多くの人々に法経様の素晴らしさを伝えてくれました。それなのに、なぜ」


「”正しい”からっス」


「は……?」


「私は”言い訳”が欲しいんっスよ。世間の人たちから、自分が空っぽであることを許してもらえる。そんな、人間のままで許される"正当な"理由が欲しいんっスよね」


「だから、煽動したのですか?」


「そうっス。”本当は神様なんて信じていなかったけど、悪い教祖様に脅迫されて泣く泣く右腕をやらされていた。でも、多くの人が騙されている姿を見て良心が痛み、自分の身の危険なんて省みないで行動に移した”。そういう物語が必要だったんっスよ」


「それだけのために? そんなことのために法経様を捨てたのですか!?」


「はい、そうっスね」


「貴女は……おかしいです。狂っています。もはや教徒でも……人間である価値すらありません。ただのごみクズです。この神聖なる場から消えてください。今すぐにっ……!」


 それ以上、教祖は何も言わなかった。ただ、私のことを「異端」なものを……私が最も人々から向けられることを恐れている「目」を向けてきた。その目にぞくりと心臓が痛む感覚を覚えた。ああ、これが生きているという感触なのだ。


 私の人生も心も本質は虚無でしかない。けれど、この憎悪だけは、悪意だけは、本物の感情として感じることができるのだ。この瞬間だけ、私は自分の人生を生きているという感触に出会えるのだ。


 これから教祖様の美しい顔を毎日拝むことができないのは残念だ。だが、今の彼女の目だけでお釣りが出るぐらいの感触を味わうことができた。もう諦めよう。


 私は笑顔で「失礼します」と彼女の背中に向かって言うと、その場を立ち去った。そのまま帰宅すると、部屋にあるアニメのグッズを飾っている棚に教典を飾った。破棄しても良かったのだが、飾った方が面白いと思ったのでそうすることにした。


 その翌日、ネットニュースの一面に教祖が法経様の銅像の前で首を吊って死んだ旨が綴られていた。私はまた、虚無に戻ってしまった。自分が原因のことだけど。


 今はぼんやりと天井の染みを眺めながら、新しい正しさを求め、次の信仰先を探している。

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