第6話

「そう簡単に殺すか、主を。」

「俺は大罪だぞ? 悪魔で最も崇高な存在だ。たまたま俺の理想に近かっただけで思い入れも何もないさ。」

「崇高ね、その行いから羽をもがれ地獄にすら帰れなくなったくせに。」

「黙れ。元々羽も尻尾も生えていない低級が愚弄するな。」


 だんだんと本性を表す悪魔をよそに、ヴィセは耳打ちする。


「リーベ、あの悪魔も殺すかい?」

「うん、人を困らせるわるいあくまなら。」

「まだ契約が切れないのか。」


 コソコソと話す二人を見て驚きを見せる。


「すまないね、主人が君も含めて悪い悪魔と認識しているようだ。」

「そうか。」


 突如、爆音が鳴り響き倉庫の屋根が吹き飛んだ。あまりの大きさにリーベは腰を抜かして尻餅をついた。

 リュグナーが大鎌を振り上げると開けた紺色の夜空に分厚い雲が発生した。一際大きな閃光が走ると一帯に耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。


「ならばまとめて死ね。」


 雷鳴が鳴り響き、より一層天候が悪くなる。


「お空が怒ってる。」


 自らの尻をさすりながら立ち上がると、リーベはヴィセのコートの裾を掴んだ。ぎゅっと握るその力は音と共に強くなった。


「君は遠くへ逃げて。ここにいると危ない。」

「でも……。」

「丈夫な建物の中に隠れるんだ。」

「それじゃあびせが。」

「僕のことはいいから、早く!」


 無理やり主人を突き放して急かす。大きな声に目をぱちくりさせたリーベは固まっている。ヴィセは鎌を持ってない手で小さな頭を撫でると、


「君の魂を刈るのは僕だ。その前に死なれたら困るんだ。」

「わかっ、た。」


 ようやく手を離したリーベはヴィセに背を向けて一目散に走り出した。ヴィセは主人の姿が見えなくなったのを確認すると、視線をリュグナーに戻した。


「世界が一つになれば、人間も悪魔も俺の配下になれば、もう誰も見下ろさない。俺の理想郷のために、まずはこの街から支配する。」

「その体に見合わない大きな野望を持っているんだね。」


 演劇のように朗々と語るリュグナーとは反対にそっけなく返す。

 虚栄の顔から笑顔が消えた。それと同時に空気まで変わった。


「……あ?」


 身の毛がよだつような、あたりを震え上がらせるような殺気は人間はおろか、並の悪魔でさえも声が出ないほどだ。


「なに、気に障った? ごめんごめん。」


 しかし、ヴィセはそんな様子は気にもしないで平然と煽り続ける。

 相手が怒ると隙が生まれやすいのは悪魔も同じだ。


「武を弁えろよ。俺は大罪で、お前は低級だろ。お前如きが俺を貶すな。」


 分厚い雲が蒼い月を覆うが、絶えず閃耀が辺りを照らす。


「神の怒りを買うが良い‼︎」


 閃光がヴィセを目掛けて落ちてくる。それをうまく交わすと、回り込んでクレイドルを下から振り抜いた。


「己が神にでもなったつもりかい?」


 鎌同士が激しくぶつかり合う。金属同士の鈍い音と火花が散る。そこへ、


「あぁ、いずれはこの世もあの世も支配する神になる。」


 先ほどとは比べ物にならない威力の雷がヴィセにだけ命中する。

「なっ。」

 攻撃を一身に浴びた低級は、意識の途切れる寸前で飛び退いた。


「……はぁ、はぁ、器用なこと、するね。」


 まだ帯電する身体に鞭を打って立ち上がる。

 落とす稲妻は変形自在、広範囲にも局地にも最大出力で落とせる。一度攻撃を喰らうと痺れて身体が動かない。立つことすらままならないため、必然的に膝をつく。


「跪け、俺を見上げろ。賞賛しろ、振り仰げ。畏敬しろ!」

「……なる、ほどね。」


 窮地に立っているのにヴィセはにやけている。どうやって勝とうか? この状況が楽しくて仕方ないような表情をしていることを、本人は知らない。

 鎌に全体重をかけて立ち上がると、ふらつく足に無理やり力を込めて刃先が上になるように持ち直す。


「へぇ、並の悪魔じゃ、今ので死ぬんだけどな。」


 心底つまらないといった様子で、感情のこもらない無機質な声で淡々と話す。

 ゆっくりと立ち上がるヴィセは大鎌を構え直すと深呼吸をした。瞬きをして気合いを入れ直すと、もう一度間合いを詰めた。低い姿勢のまま先を大罪の顔めがけて一振りした。相手の頬に傷がついたものの、致命傷には程遠い。再び落とされた雷に身動きが取れず、リュグナーの鎌は腹部に命中した。

 うつ伏せになって倒れるヴィセは、遠くに聞こえる虚栄の高笑いと鼻腔に広がる血の匂いに眩暈がした。あまりの出血量に指先が震えるほど冷たくなっていた。


「……勝てるかな。」


 愛武器に手を伸ばすが上手く力が入らない。


「気分はどうだ? いつも見下して嗤うヤツを見上げる気分は。」


 リュグナーは思いっきりヴィセの頭を踏み躙る。厚底の靴裏にはわざわざ悪魔を踏むためだけの銀細工が施してあり、赤いツノの生えた額からじわりと血が滲んだ。


「くっ。」


 正直なんとも思わない。見下すだの嗤うだのヴィセにとってイマイチ関心がない。


「どうでもいいよ。君、強いのに小さいんだね。色々と。」


 こんな状況でも相手を煽ることを忘れない様子により一層強く躙る。


「もうそのふざけた口も聞けなくなるよ。」


 リュグナーは短い呻き声を存分に愉しむと、鎌をゴルフクラブのように構えヴィセを振り抜いた。

 簡単に倉庫から弾き飛ばされると、人影のない裏路地で勢いが止まった。




「……かなり吹き飛ばされたな。」


 街灯も届かない袋小路ではトレードマークのツノも光らない。

 シャツを赤く染める腹部に手を当てると、視線を感じた。


「まだこんなところにいたのかい。危ないよ。」


 リーベはただ立ち尽くしてヴィセを見つめている。逃げる途中に転んだのか、右膝が赤く擦りむけていた。


「びせ、死んじゃうの?」


 その声は震えていて、今にも涙が溢れそうなほどだった。


「死なないよ。」

「でも、血が。」


 ふらふらと近づいてくるリーベはヴィセの近くに座り込むと、ダムが決壊したようにぼろぼろと涙を溢した。


「おとうさんも、おかあさんも、いなくなっちゃった。びせまでいなくならないで。」


 リーベはヴィセの傷口に構わず上に乗っかると強く抱きしめた。ヴィセの血がリーベの服に赤いシミを作るが、主人は一向に動こうとしなかった。


「ぐっ、僕は、悪魔だよ? そう簡単に、死んだりはしないさ。」


 痛みを悟られぬよう柔らかい口調で返す。悪魔は腹部に力を入れて無理やり笑顔を作ってみせた。

 でも、と言いかけたリーベを遮って「大丈夫。」と微笑む。安心させたくて吐く嘘は、どこか温かい。今まで人を騙すために吐いてきた嘘に、こんな使い方があるなんて知らなかった。腹の上に乗る小さな命はなんでも教えてくれる。


「じゃあ、約束して。」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で懇願する主人がなぜかおかしくて悪魔は怪我の痛みも忘れて思わず吹き出した。ひくひくと痙攣する筋肉が傷口を刺激する。ヴィセは痛みを鎮めるように大きく息を吸った。


「なにを?」

「私より先に死なないで。」

「……物を盗るな、ご飯を作れ、そして三つ目が、主人より先に死ぬな、か。」


 こんな状況なのにヴィセの心は和んでいた。


「そう約束されちゃあ、仕方ないね。」


 力を入れて起き上がると、主人の頭を撫でて袋小路を後にした。

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