三日月の微笑

島原大知

本編

第1章


 母を亡くして三年。今日も私は一人、静かに目覚めた。カーテン越しに差し込む朝日に、瞼を軽く圧迫される。伸びをしながらベッドを抜け出し、制服に袖を通す。鏡の前に立ち、無造作に髪を梳かす。父とは顔を合わせずに家を出る。それが日課だった。

 私の名は氷川美優。高校二年生の、特に変わったことのない女子高生。去年まではそう思っていた。

 玄関を出ると、小さな庭に目を向ける。季節外れの桜が一輪、風に揺れていた。淡いピンク色の花弁は儚げで、どこか私に重なるようだ。つい見とれていると、背後から声がかかった。

「おはよう、美優。今日も早いね」

 振り向くと、そこには幼馴染の健太が立っていた。サッカーボールを片手に、爽やかな笑顔を向ける。逆光に照らされた彼は、いつも以上に眩しく見えた。

「ああ、おはよう健太」

 私は小さく微笑み返した。小さい頃からの幼馴染で、いつも一緒に登校している。彼の明るさに、私は救われていた。

 健太と並んで歩きながら、通学路を進む。道端の植え込みには、可憐な花が色とりどりに咲いている。それを眺めながら、健太が不意に口を開いた。

「美優は、最近元気ないよな。何かあったのか?」

「え? 別に、何もないけど」

 健太の言葉に、思わず視線を逸らす。鋭い彼の観察力に、いつも驚かされる。でも、胸の内を明かす勇気はなかった。

 澄んだ青空を見上げながら、私は自分の殻に閉じこもっていた。雲一つない空は、どこまでも高く、遠い。自分との距離感に、ふと息苦しさを覚える。

 健太は私の沈黙に気づいたのか、話題を変えてくれた。サッカーの練習の愚痴を言いながら、笑顔を見せる。その笑顔に、私も少し救われる気がした。

 登校すると、教室はいつものようににぎやかだった。女子生徒達のおしゃべりに、男子生徒のふざけ合う声。その喧騒が、今の私には無縁に感じられた。

 ふと視線を感じ、教室の隅を見る。するとそこには、見慣れない男子生徒の姿があった。黒髪をさらりと流し、鋭い目元が印象的な彼。

 私と目が合うと、彼は小さく頷いた。微かに笑みを浮かべる唇。どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。

 隣の席の健太が、小声で話しかけてきた。

「美優、あの人知ってる? 転校生らしいよ」

「転校生…」

 胸に、かすかな動揺が走る。見ず知らずの彼になぜか、惹かれるものを感じていた。

 放課後、一人図書室へと向かう。静寂に包まれた空間は、私にとって心休まる場所だった。

 いつものように書架の間を歩いていると、不意に視線を感じた。顔を上げると、そこには例の転校生が立っていた。

「君は…確か、氷川美優さんだよね」

 低くて落ち着いた声。まるで、溜息をつくような調子だ。

「えっと、そうだけど…あなたは?」

「僕は神崎蓮。転校してきたばかりなんだ」

 蓮は、私の隣に立った。ふいに差し込む夕日に、黒髪がオレンジ色に染まる。

「氷川さん。君は孤独を知っているようだね」

「孤独…? 私は、別に」

「本を読む人は、孤独と親友だと思うんだ。孤独だからこそ、物語の世界に没頭できる」

 彼の言葉に、息を呑む。まるで私の奥底を見透かすような、鋭い洞察力。

「でも、それは悪いことじゃない。孤独は、自分と向き合うチャンスを与えてくれる」

 優しく囁くような、蓮の声。その響きに、不思議と安堵感を覚えた。

 蓮と私は、本の話をするようになった。彼もまた、孤独を抱えているように感じられた。

 図書室の窓から見える景色。茜色の空が、徐々に藍色へと変わっていく。

 心の襞に、新しい感情が芽生え始めていた。蓮との出会いが、私の日常を静かに揺るがしていく。

 変わりゆく季節の中で、私達は互いの孤独に寄り添っていた。まだ見ぬ未来に、かすかな期待を抱きながら。

第2章


 蓮との出会いから、私の日常は少しずつ色づき始めていた。放課後の図書室で、二人きりの時間を過ごす。静かに並んだ書架に囲まれ、言葉を交わす。

「美優さん、最近読んだ本で面白かったのは?」

「うーん、やっぱりミステリーかな。謎解きが好きなんだ」

「なるほど。僕は哲学書が好きなんだ。人間の本質に迫る、深い洞察が魅力的で」

 蓮の語る言葉は、私の心に響いた。彼の瞳は真摯で、真理を追究するような熱を宿している。

 図書室の窓辺に腰掛け、外の景色を眺める。夕焼けのグラデーションが、美しい。橙から赤、紫へと移り変わる空。

「夕日が沈むのを見るのは好きなんだ。一日の終わりを告げるようで、儚いけど温かい」

 ふと漏らした言葉に、蓮が顔を向ける。

「美優さんは繊細だね。その感性は、きっと良い作品を生み出せると思う」

「作品? 私には無理だよ、そんなの」

「いいや、美優さんの感受性なら、素敵な小説が書けるはずだ。諦めないでほしい」

 そっと差し出された蓮の手に、思わず頬が熱くなる。彼の励ましが、心に沁みた。

 いつの間にか二人の距離は縮まり、肩が触れ合うほどになっていた。微かに感じる体温。穏やかな安心感が、私を包み込む。

 だが、そんな時間はかけがえのない反面、健太との関係がぎくしゃくし始めていた。

「美優、最近は神崎とばかりいるよな」

「そうだけど、別に…」

「俺とは話さなくなったし、まるで避けてるみたいだ」

 健太の寂しげな表情を見て、胸が痛んだ。大切な幼馴染を疎外してしまっている自覚はあった。だけど、素直になれない自分がいる。

「ごめん健太。そんなつもりじゃないんだ。私…」

「美優は変わったんだね。昔は、俺だけを見てくれてたのに」

 低い声で呟いた健太の言葉に、言葉を失った。罪悪感と、蓮への想いの間で揺れる。

 心の軋轢は、やがて爆発した。ある雨の日の放課後、蓮が私に告白してきたのだ。

「美優さん、僕は…君のことが好きなんだ」

「え…? 私のこと…?」

「君と一緒にいると、心が洗われる。君の純粋さに、惹かれずにはいられない」

 蓮の言葉に、胸が高鳴った。私も、彼に特別な感情を抱いていた。静かで物思いにふける彼の姿は、私の孤独に寄り添ってくれていた。

「蓮くん…私も、あなたといる時間が好き。けど…」

「けど?」

「私には、答えられない。ごめんなさい」

 そう告げると、蓮は悲しげに微笑んだ。潤んだ瞳が、雨に濡れた窓ガラスのようだ。

「分かったよ。答えを急がせてごめん。でも、美優さんのことは諦めない」

 蓮はそう言い残し、教室を後にした。私はただ、うつむいて立ち尽くすことしかできなかった。

 次の日、屋上に呼び出されたのは健太からだった。どんよりとした空模様。それでも、健太の眼差しは真っ直ぐだった。

「美優、俺は…お前が好きだ。ずっと前から」

「健太…」

「神崎のことを、好きなんだろ? けど、俺はお前の側にいたい。お前の笑顔が、見たいんだ」

 健太の告白に、涙がこぼれた。安易に彼の気持ちを受け入れられない、自分の心の狭さを呪った。

「ごめん健太。私は、自分の気持ちが分からないの。あなたも蓮くんも、大切な存在なのに」

「美優…」

 健太は何も言わず、ただ私を抱きしめた。雨の匂いがする制服。震える肩を、健太の大きな手が包み込む。

 空から雨が降り出し、世界がぼやけていく。私の視界も、涙で滲んでいた。

 幼馴染と転校生。二人の間で揺れ動く、私の恋心。答えの出ない感情に、心が千々に乱れていた。

 グレーの空の下で佇む私達。雨音だけが、静かに響いている。この先の未来が、見えなくなっていた。


第3章


 健太と蓮、二人の告白から数日が経った。私は未だに、答えを出せずにいた。放課後の教室で一人、思い悩む。夕日が差し込む窓際で、ぼんやりと空を見上げる。

 茜色の光が、教室を染め上げている。机の上で、私の影が長く伸びていく。黒板に残された、数式の跡。放課後の教室は、静寂に包まれていた。

 ドアの開く音が、私の思考を引き戻した。顔を上げると、そこには蓮が立っていた。夕焼けを背にした彼の姿は、どこか儚げで美しい。

「美優さん、こんなところにいたんだね」

「蓮くん…」

 蓮は静かに微笑み、私の隣に腰掛けた。黄昏時の光が、彼の横顔を柔らかく照らす。

「君は、まだ迷っているんだね」

「…ごめんなさい。私は、自分の気持ちが分からなくて」

「謝らないで。君の気持ちを、急がせたくはないんだ」

 そう言って、蓮は私の手を取った。温かくて、少し荒れた手のひら。不思議と、心が落ち着いていく。

「でも、君に伝えておきたいことがある。僕は、君と出会えて良かった。君の澄んだ瞳に、心を奪われたんだ」

「蓮くん…」

「君の孤独に寄り添えた時間は、かけがえのないものだった。だから、たとえ君が僕を選ばなくても、後悔はしない」

 蓮の言葉に、胸が熱くなる。真摯に私と向き合ってくれる彼に、惹かれずにはいられない。

「ありがとう、蓮くん。あなたと過ごした時間は、私にとっても特別なの。でも…」

 そこで言葉を切り、私は立ち上がった。夕日に染まる教室を、もう一度見渡す。

「私は、自分と向き合わなくちゃいけない。二人の気持ちに、ちゃんと答えを出さなきゃ」

 蓮は頷き、私の背中を押すように微笑んだ。

「君の決断を、僕は応援する。どんな結果でも、君の味方でいるから」

 蓮に見送られ、私は教室を後にした。一人歩く校舎の廊下。夕焼けの残照が、窓ガラスに反射している。

 私は、屋上へと向かった。そこには、いつも通り健太が佇んでいた。夕闇の中、空を見上げるその姿は頼もしい。

「健太」

「美優…よく来てくれた」

 健太は微笑み、私の隣に立つ。風に吹かれる髪が、夕闇に溶けていく。

「私は、自分の気持ちに気付いたの」

「そうか。で、答えは…?」

「ごめんなさい健太。私は、蓮くんのことが好き。あなたのことは大切な幼馴染として、いつまでも励まして欲しい」

 言葉を紡ぐ私の瞳から、涙がこぼれた。健太は悲しげに微笑むと、そっと涙を拭ってくれる。

「うん、分かった。お前の気持ちは、ちゃんと受け止める。これからも、側にいさせてくれよ」

「ありがとう、健太。あなたは、私の、かけがえのない親友だから」

 二人で夕闇の空を見上げる。星が、ぽつりぽつりと瞬き始めていた。私の恋心も、ようやく一つの光を見出せた気がした。

 次の日、私は蓮を図書室に呼び出した。窓辺に座る彼は、いつもの蓮らしい佇まいだ。

「蓮くん、私…あなたが好き。孤独な私に、心の安らぎをくれたあなたが、大好き」

 そう告げると、蓮は驚いたように目を見開いた。そして、満面の笑みを浮かべる。

「美優さん…! 僕も、君が好きだ。心からそう思う」

 抱き寄せられる温もり。甘酸っぱい、初恋の香り。私達は互いを見つめ合い、ゆっくりと唇を重ねた。

 図書室に差し込む光が、二人を優しく包み込んでいく。本の間を通り抜ける風が、新しい季節の訪れを告げているようだった。

 放課後、三人で屋上に集まった。夕焼けが、いつもより美しく感じる。

「美優、神崎。二人の幸せを、心から願ってる」

 健太の言葉に、私達は揃って頷いた。悲しみと喜び、様々な感情を乗り越えてきた私達。新しい一歩を、ここから踏み出すのだ。

「ありがとう健太。三人で、いつまでも友達でいようね」

「ああ、もちろんさ。神崎、美優のことよろしく頼むよ」

「任せてくれ。僕は、美優さんを一生大切にする」

 夕焼けに照らされた三人。風に吹かれる髪が、希望の光に輝いているようだった。

 私達の青春は、まだ始まったばかり。これから先も、笑顔と涙、そして愛を紡いでいく。

 孤独だった私の世界に、二人が色を添えてくれた。私はこの出会いに、心から感謝している。

 夕闇が訪れ、星たちが瞬き始める。私達の未来も、きっと輝かしいものになるだろう。大切な仲間と共に歩む、これからの日々に思いを馳せた。


第4章


 蓮と付き合い始めて、一ヶ月が経った。私の日常は、優しい色合いに染まっていった。放課後は二人で図書室に籠り、本を読んだり語り合ったりする。

 蓮の朗読する声は、低くて心地よい。私はその声に耳を傾けながら、ページをめくる。夕日が差し込む図書室。埃の舞う空気の中で、私達だけの時間が流れていく。

「美優さん、この一節が好きなんだ。『愛とは、相手の孤独に寄り添うこと』。僕は、君の孤独に寄り添えているかな?」

「…うん。あなたは、私の孤独を受け止めてくれる。私も、あなたの孤独に寄り添いたいの」

 微笑み合う二人。指を絡めると、蓮の手の温もりが伝わってくる。私はこの瞬間が、ずっと続けばいいのにと思うのだった。

 だが、そんな穏やかな日々に、ある日の出来事が影を落とした。蓮の過去について知ってしまったのだ。

 職員室から聞こえる、先生たちの会話。

「神崎くんは、転校前の学校でいじめに遭っていたらしい。だから、あまり心を開けないのかもしれない」

「そうだったのか。可哀想に。でも、最近は氷川さんと仲良くしているようだね」

 その言葉に、胸が痛んだ。蓮がいじめられていたなんて、知らなかった。どれほどの孤独を、彼は味わったのだろう。

 放課後、私は蓮を屋上に呼び出した。夕焼けが、二人を照らしている。

「蓮くん、私…あなたの過去について知ってしまった。いじめのこと」

「…そうか。君に知られたくなかったんだ。情けない自分を、見せたくなかった」

 俯く蓮。その姿に、切なさがこみ上げる。

「そんなことないよ。私は、あなたの全てを受け止めたい。過去も、弱さも、全部」

「美優さん…」

 そう告げると、蓮は驚いたように顔を上げた。潤んだ瞳。私は、そっと彼を抱きしめた。

「あなたは一人じゃない。私が、ずっとあなたの味方でいる。だから、辛い時は素直になって」

「…ありがとう、美優さん。君に出会えて、本当に良かった」

 私の肩に顔を埋める蓮。震える背中を、優しく撫でる。夕焼けに照らされた二人の影が、ゆっくりと重なり合っていった。

 次の日、私は健太に蓮のことを話した。放課後の教室。窓の外には、夏の日差しが注いでいる。

「健太、蓮くんはいじめられていたんだって。転校前の学校で」

「えっ、そうなのか…。辛かっただろうな」

「私も驚いた。どうしたら、蓮くんの力になれるんだろう」

「美優は、それでいいんだよ。神崎の側にいてやることが、一番大事なんだ」

 健太の言葉に、頷く。大切なのは、蓮の心に寄り添うこと。私にできるのは、彼を信じて支えていくことだ。

「ありがとう健太。私、蓮くんと向き合っていくよ」

「ああ、応援してるからな。二人で乗り越えていけ」

 健太は優しく微笑み、私の背中を押してくれた。心強い幼馴染の存在に、感謝の気持ちが込み上げる。

 放課後、私は蓮を海辺に誘った。波の音が、心地よく響く。打ち寄せる波に、裸足を濡らしながら歩く。

「蓮くん、今の気持ちを聞かせて。私に、素直な心を見せて欲しいの」

「美優さん…。僕は、君に出会えて救われた。孤独に耐えていた僕を、君は優しく受け止めてくれた」

 蓮は立ち止まり、私を見つめる。潮風に吹かれる髪。瞳に映る、夕日の輝き。

「でも、過去の傷は簡単には消えない。いじめの記憶は、僕の中にまだ残っているんだ」

「大丈夫。あなたは、一人で抱え込まなくていい。私もあなたの傷を、一緒に負うから」

 そう告げて、蓮の手を握る。波が二人の足元を、優しく洗っていく。

「美優さん、ありがとう。君と出会えたことが、僕の人生の一番の幸せだよ」

「私も、蓮くん。あなたと過ごす毎日が、かけがえのない宝物」

 額を合わせ、微笑み合う。夕焼けの海に、二人の影が寄り添っている。波の音が、私達の心を包み込んでいく。

 蓮の過去と向き合い、共に乗り越えていく。それが、私に課せられた試練だと感じていた。愛する人の孤独に寄り添うこと。それが、私の選んだ答えだった。

 夏の日差しが、二人を優しく照らしている。手を繋ぎ、歩き出す。広がる海と空。私達の歩む先には、きっと希望が待っているはずだ。


第5章


 夏休みが終わり、二学期が始まった。教室には、笑顔と歓声が溢れている。久しぶりの友人との再会に、私も嬉しさが込み上げてくる。

 窓辺の席に座る蓮。朝日を浴びて、柔らかな表情を浮かべている。その姿を見ているだけで、心が安らぐ。

「蓮くん、おはよう」

「おはよう、美優さん。夏休みは、あっという間だったね」

 微笑み合う二人。周りの視線を感じながらも、わずかに指を絡めた。夏の思い出が、ふっと脳裏をよぎる。

 放課後、蓮と二人で図書室に向かう。読書の秋。今日も、本の世界に浸ろうと思っていた。

「そういえば美優さん。君の書いた小説、読ませてもらったよ」

「えっ…! あの未完成の小説を?」

 顔が火照る。誰にも見せたことのない、私の拙い創作。恥ずかしさで、俯いてしまう。

「とても良かった。君の感性が、ストーリーに表れていた。もっと書いて欲しいな」

「そ、そんな風に言ってくれるなんて…嬉しい。あなたが、私に勇気をくれたおかげだよ」

 蓮の言葉に、込み上げるものがあった。孤独な私を、彼は信じ続けてくれた。小説を書く原動力は、彼の存在があってこそだ。

 そっと手を重ねる。流れる読書の時間。穏やかで心地よい沈黙が、二人を包み込んでいく。

 帰り道、いつものように蓮と並んで歩く。風が、私達の髪をなびかせる。

「ねえ蓮くん。あなたの夢は何? 卒業後、何がしたい?」

「僕は、写真家になりたいんだ。君との思い出も、全部カメラに収めておきたい」

「写真家…素敵だね。私、あなたの撮る写真が大好き。だって、あなたの優しい眼差しが写っているもの」

 そう告げると、蓮は照れくさそうに微笑んだ。夕日に照らされる横顔。その表情を、私は一生忘れないだろう。

 蓮の家の前で立ち止まる。名残惜しさを感じながら、別れを告げようとする。

「それじゃあ、また明日」

「うん…ありがとう、美優さん。君と一緒にいると、幸せな気持ちになる」

 不意に腕を引かれ、抱き寄せられる。甘酸っぱい、切ない気持ち。初めて触れ合った、温もりの記憶。

「私も、蓮くん。あなたと、こうしていられる奇跡に感謝してる」

 ぎゅっと抱きしめ返す。夕闇に溶けゆく、二人の影。幸福の予感が、胸の奥でふくらんでいく。

 そして、文化祭当日。私は蓮と健太と一緒に、出し物の準備に追われていた。

「美優、この看板はここでいい?」

「うん、ありがとう健太。蓮くんは、写真の展示の方は順調?」

「ああ、何とか形になってきたよ。君の小説の朗読会も、楽しみにしてる」

 三人で協力し合い、文化祭を作り上げていく。昔からの絆と、新しい絆。かけがえのない仲間たちと過ごす時間は、私の宝物だ。

 朗読会の直前、私は控室で震える足を必死に抑えていた。初めての舞台。大勢の前で、自分の作品を披露する機会。

「緊張してるの?」

 気づけば、蓮が隣に立っていた。優しく微笑みながら、差し出された手。その手を取ると、震えが鎮まっていく。

「平気。あなたがいてくれるから、怖くない」

「君なら大丈夫。君の言葉には、人の心を動かす力がある」

 額に、そっとキスを落とされる。愛おしさが、全身を包み込んでいく。

 朗読会は、大成功に終わった。拍手喝采。友人たちの祝福の声。私は蓮と健太に駆け寄り、抱きしめ合う。

「二人とも、聞いてくれてありがとう。私、自信を持てた気がする」

「美優の小説、最高だった! 感動したよ」

「君の言葉は、僕の心に響いた。君は、本当に才能に溢れてる」

 三人で笑い合う。私達の青春の日々は、まだまだ終わらない。希望に満ちた未来が、目の前に広がっている。

 文化祭の夜。私と蓮は、屋上から星空を眺めていた。満天の星。キラキラと瞬く光に、見とれてしまう。

「美優さん。卒業しても、ずっと君の側にいるよ。君の夢を、僕は全力で応援する」

「私も、あなたの夢を支えたい。二人で、夢に向かって歩いていこう」

 見つめ合う瞳。星明かりに照らされた、愛しい顔。ゆっくりと唇を重ねる。甘く切ない、初めてのキス。

 私達の物語は、新たなページを刻み始めた。苦しみも、喜びも、全て分かち合っていく。二人の絆は、どんな困難にも負けない強さを持っている。

 星空の下で、固く手を握り合う。未来への期待を胸に、歩み出す二人。

「愛してるよ、美優さん」

「私もあなたを愛してる、蓮くん」

 夜風に、囁くような言葉を乗せる。星屑の輝きが、二人の行く末を優しく照らし出していた。

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三日月の微笑 島原大知 @SHIMAHARA_DAICHI

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