第6話 裁判所での反論


 それは、高校も大学も同じ女性で、大学は保健学部卒となっている。



 それよりも、特に気になったのは、卒業写真から見ると、相当に美人だった事だ。無論、殺された谷川真里亞と比較すると、少し劣るのは仕方が無いが、それにしても相当の美人である。



 早速、高校の三年生の時の担任と、大学の文学部英文学科のゼミで谷川真里亞を受け持っていた丸山教授に聞いてみると、この女性は確かに美人で有名で、高校では純ミスに、大学でも準ミスに輝いていた事が分かった。



 何と、ある意味、ガイシャの美の面でのライバルであったのだ。しかし、教師と教授の二人とも、彼女らの関係は、大変に良かったとも証言したのである。


 

だが調べていくうちに、更に面白い事が分かった。彼女は、大学で看護師の資格を取り現在、勤務している病院が、あの医療ミスをつい先般起こしたばかりの病院だったでは無いか!こんな偶然が、そうそう重なるものであろうか?



 彼女の名前は、丸川萌もえと言い、同級生の評判もいいらしいが、しかし、偶然にしては、あまりに重なり過ぎているではないか?



 そう言えば、谷川真里亞が殺された日に、丸川萌もえらしき人物の後ろ姿を見たと言う例のマンションの入居者の証言も出てきたのである。後ろ姿だったため、正式な証拠には採用されなかったらしいが……。



 早速、例の病院を訪ねた。病院側では、例の医療ミスの件に警察が本格的に動きだしたのかと心配していたが、中村主任刑事及び高知刑事の思いは、訪問前から単なる医療ミスとは思っていなかった。



 極、簡単に言い切れば、丸川萌がガイシャの谷川真里亞殺害のためにどうしても必要な精液を採取した患者を、その後のDNA検査の事も恐れ、医療ミスに見せかけて殺害したのではないかと言うのが二人の共通した意見であり、事実、患者は既に家族の元に返され火葬処理されていたのだ。



 病気の性質上、特に、患者の血液とか臓器の一部などは残っていない。患者のいた病室は個室で完全に清掃消毒されており、つまりここでもDNA検査を行う事はできなかった。



 しかし、二人の刑事が、その病院を訪れた時から、丸川萌もえは観念したらしく、自分から自首を申して出て、自白を淡々と取る事ができた。



 こうして、ダムの一部が決壊すると全体があっと言う間に崩壊するように、この難事件、通称『聖母マリア殺人事件』はあっけなく解決したように思われた。



「しかし、意外とあっけなく解決したなあ」と、中村主任刑事は言った。



「そうでしょうか?僕は、この事件は裁判で必ず揉めそうな気がします」



「何でや?」



「よく考えてみて下さい。結局、まともな直接証拠となるものは一切無いのですよ。

 あるとすれば、ガイシャの体内から採取された精液のDNA鑑定結果のみです。しかしその精液を採取したとされる患者は医療ミスで既に死んで火葬までされています。



 まあ、患者の火葬された遺骨から、DNA検査をして、それを証拠とするしか有りません。僕は医学者ではないので、この種の火葬した死体のDNA検査結果をどこまで、検察や裁判所で証拠採用してくれるのかは分かりません。



 そして、後は、丸川萌の自白のみです。勿論、彼女のアリバイもはっきりしない事から客観的には、ホシで有る事は疑いないものの、あの残忍な事件を引き起こしたホシです。そんなに簡単に引き下がるとは思えません。



 また、その動機も、『聖母マリア』と言われた谷川真里亞に対する嫉妬心と言っていましたが、何か、動機として少しは弱い気がします。



 ですから、裁判では、必ず、無罪を主張するでしょうねえ」



「まあ、送検されてしまえば、後は、検察と裁判所の仕事じゃないか」



「そう旨くいけばいいのですが」



 この時の高知刑事の心配は、その後、的中するのである。



 裁判では、丸川萌とその弁護人は、一転して無罪を主張。その理由として、



1.当日の事件当時のアリバイがハッキリしないのは、午後6時までの病院勤務の後、いきつけの居酒屋で同僚と一杯飲んで、その後酔い覚ましに金沢市内をぶらぶら歩いていたからで、だから詳しい事が説明できないのだ、と言う。これに対し、午後7時ぐらいまでは同僚及び居酒屋の証言も有る事。



2.又、自分は確かに医療ミスのあった例の病院に勤務してはいたが、医療ミスで死亡した患者の直接の担当看護師では無かった事。故に、検察側の言う、死亡した患者から故意的に精液を採取する事は事実上できなかった事。



3.医療ミスで死んだとされる患者の遺骨から採取したDNA鑑定と、谷川真里亞マリアの体内から採取された精液のDNA鑑定が、最終的な検査の結果、全く一致しない事。よって2.の仮説自体が否定される事。



4.殺害の動機とされる、谷川真里亞への嫉妬心が殺害の大きな動機と言う事になっているが、谷川真里亞とは、小・中・高・大を通じて同じ学校であり、彼女に尊敬の念は持ってはいても、殺害する程の強い嫉妬心や憎しみは全く無かった事。何故なら、二人とも、キリスト教原理主義教団の『賛美歌の会』の信者だった事。



5.今回の事件に関しては、谷川真里亞に男性の影が発見されなかったため、敢えて関係の無い女性の犯罪として、自分がスープゴートにされた事。自白は、警察側によって最初から作られた話を元に、強制・強要されたものであり、全く無効である事。



6.今回の事件を俯瞰的に見て、被告人の自白以外、例えば谷川真里亞を強姦した時に使用したとされる男性器に見立てた棒等々の有力な直接証拠は一切見つから無い事。



 以上の全ての理由により日本国憲法第38条第3項の規定により、有罪とされない事。



 これだけの反論を一挙に述べられた事により、一転、丸川萌冤罪説が有力となってしまったのである。



 この展開は、検察も警察も実は内々心配していたのである。



 特に、火葬した医療ミスで死んだとされる患者の遺骨から採取されたDNAの不一致に関しては、その遺骨事態が沢山の人の遺骨が入っている大病院の納骨堂から採取された事を理由に、苦し紛れの言い逃れはしたものの、証拠となるものが、丸川萌の自白のみでは、これは裁判の遂行は非常に難しいのだ。



 何故なら、状況証拠と丸川萌の自白のみでは、裁判で勝つのが難しいのは、法律関係者なら常識中の常識なのである。



特に、5.の、自白を強制・強要された事となれば、これは、冤罪の可能性が非常に高くなるのである。



「なあ、高知君や、裁判では丸川萌は、自白を強制・強要された言い張っているらしいが」



「それについては、ここにペン型の、録画も録音もできるデジタル録音機である程度は録画・録音してあります。僕は、元々、「取り調べ可視論者」なので、彼女の勤務する病院へ行って、彼女に任意で話を聞いた時から、できるだけ録画・録音されています。



 これを、裁判所に新たな証拠として提出すれば、少なくとも、自白の強制・強要はほとんど無かった事は証明されると思います。この点については、裁判官の心証もぐっと変わってくるでしょう。



 ただ、医療ミスで死亡した患者の遺骨のDNA鑑定結果と谷川真里亞の体内から発見された精液のDNA検査とが一致しなかったとなると、これは僕らの組み立てたストーリー自体が、実は最初からそう思わせるようにうまく話を進められていた事になるのです。早い話、結局、僕らは逆に最初から丸川萌に一杯食わされたのかもしれません」



「どう言う事だ?」



「通称『聖母マリア殺人事件』は、最初から非常にうまく作られたシナリオに沿って、話が進んでいったのではないのでしょうか?普通、冤罪事件とは、こちら側、つまり警察等取り締まる方が、勝手にシナリオを作って、被疑者を被告人にします。



 今回は、その逆で、この私らが、被告人らの考えたシナリオに完全にはめられた事になるのです。つまり、逆冤罪事件とも言えるかもしれません。



 僕は、今回の事件は、虚言癖のあるコルサコフ病に罹っていた、あの帝銀事件の平沢死刑囚の話と少し似ているなあ、と感じるのです。推理作家の故松本清張先生は、帝銀事件の裏には、当時日本を占領していたGHQの陰が強く感じられると言っています。松本清張先生自身、平沢死刑囚は無罪であり、あの判決文には矛盾があると書いておられたように僕は記憶しています。



 例えば、帝銀事件では十数名の行員が、その毒薬を飲み、ほとんどの方が亡くなっていますが、問題は、その使われた毒薬は、遅効性の青酸化合物(青酸二トリール)であって、そのような物を、一画家である平沢死刑囚が手に入れれる筈も無い。



 そのため、判決文では、「被告が、かねてより所持していた薬物で云々」となっていたそうですが、常識的に考えれば、青酸化合物は超即効性の毒薬です。



 しかし、平沢死刑囚は、自らのコルサコフ症と言う病のため、結局、自白したらしいのですが、故松本清張先生が言われるとおり、どうして一画家がそのような遅効性の青酸化合物(青酸二トリール)を手に入れる事ができたのでしょうか?



 あの帝銀事件を参考にすれば、僕の直感では、相当に頭のいい誰かが、最初からこの事件を考え実行し、まず被疑者として丸川萌に目を向けさせ、あたかも筋の通った犯行を自白させ、そして、裁判で逆転無罪を勝ち取る計画だったのかもしれませんねえ」



「じゃ、裁判はどうなるのだ?」



「明白な、事実誤認や新たな事実の発見があれば、刑事訴訟法第312条に基づく訴因変更手続を検察側が行うでしょうが、今のままでは、何の新しい証拠も事実認定も無い以上、今回の第一審では、僕らが負ける公算が大でしょうねえ」



「と言う事は、丸川萌は無罪と言う事になるのか?」



「まず、それは覚悟しておいて、問題は、控訴審となる第二審の時までに、新たな証拠や事実を発見できるかどうかが、これが、僕らの最大の試金石となるでしょうねえ」



「うーん、新たな証拠か?しかし、今までの捜査において、粗方の証拠は押さえたつもりだが、更に、新たな証拠など発見できるものだろうか?」



 しかし、高知刑事は、ニヤリと笑いを浮かべたのである。



「あるかもしれません」







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