君じゃなければいいのに

綾瀬七重

うそつき

「ねえ、私、きーくんと付き合うことになったよ」

「へぇ、よかったじゃん」

――…あぁ、私一体どんな答えを期待していたんだろう。


「あれ?龍樹は?」

その声に顔を見なくても誰か分かる自分が、嫌い。

「今日部活休みなんじゃなかったっけ?」

今は会いたくないのにお構い無しに話しかけてきて簡単に近付いてくるあなたも嫌いで、そんなあなたに未だに少しだけ心が浮き足立つ自分はもっと嫌い。

「なんか、部活のミーティングだけ急に入ったって」

そんなことを思いつつ、でもなんともない振りをして、田辺茉莉花は返事をした。

なるほど、と言いながら彼、相馬真白は前の席にどかっと座る。

「で?茉莉花は待ってんの?それとも居残り勉強?」

茉莉花の方に向けて真白は座り頬杖を着いて手元に目をやった。

「両方。真白くんはきーくんに用事?」

「そ。貸してた教科書返してもらわんと今日課題出来ないから」

「そっか、急ぎなら私貸すけど」

「いい、このまま茉莉花と待つ。あ、邪魔ならどっか行くけど」

「もー、そんなこと言ってないでしょ」

そんな風に普通に、友達のように話す。話せる、だから大丈夫だと茉莉花は少し安堵した。

もう自分の真白への好きは違うんだと、友達の好きなんだと、そうならなければならないと。


真白はその名の通り肌が白く、整った顔立ちで背も高い。

いつ見ても漫画の中の王子様のように感じる。

(昔は私より背もちっちゃかったのに…)

そんな風に見ていたら茉莉花の手元を見ていた真白が顔を上げた。

「手元、全然動いてないけど」

その真白の声にあ、として茉莉花は焦って作り笑いを浮かべた。

「集中しないとね」

「なに、俺の顔なんか着いてるから見てたの?」

ぎくりとする、見ていたことがバレていると思わなかった。

「あ、ごめん、違くて。真白くん相変わらずお肌白いなって」

「ああ、なんだ。…まあね、それが名前の由来だから努力しなくても自然となっちゃうんだよねー」

「うわ!嫌味だ!」

そう言って笑い合う。

真白は雪国で生まれて小学6年の時に転校してきた。

お母さんの病室の窓から見えるいつもの景色が、いつもの雪原がその日だけ特別に美しく真っ白に見えたから名前を真白にしたらしい。

茉莉花はその由来を知った時素敵だなと思ったので覚えている。

…聞いた当時覚えた理由はそれだけじゃなかったけれど。

「でもさ、茉莉花だって肌白いじゃん、綺麗だしさ」

その発言に一瞬胸が高鳴ってすぐに落ちた。

他の人もきっと聞いている言葉だろうとすぐに思ったからだ。

「私は努力してるからね~」

この発言はちょっと可愛くなかったかなと思ったけれど真白はただ優しく笑って言った。

「うん、知ってる」


日がまだ高い。9月だからか、もうこんなに昼が長いなんて。

夕暮れに風がよく通るので窓を開けるとまだ蝉の声がする。

ミーン、ミンミンミー…ン…、その音を聞きながら沈黙のままどちらも特に何も言わず、ただ茉莉花は問題を解いて真白はその茉莉花の手元を見ているだけ。

「…あ」

「ん?」

長い沈黙の末、真白がなにかに気がついたように声を上げる。

「茉莉花、ここ違う」

「え、どこ?」

真白の言葉にノートに目を落とす。真白はとんとん、と間違えているところを指さした。

「えー?なんで?こうじゃなかった?」

言われても分からない茉莉花に真白はうん、と頷く。

「貸してみ」

茉莉花のシャーペンを真白は借りてそのままサラサラと公式を書く。

大きな手が一瞬触れて茉莉花が驚いていても何も空気は変わらない。

気が付いているのか、いないのか、真白はいつもそのまま。

「ほら、こっちにこれを当てはめないと答え正しく出ないよ」

複雑な気持ちにもやもやしていた茉莉花はそれを隠すように見せてーと明るく声を上げノートを覗き込むとあっと声を上げた。

「ほんとだ、習ったのこれだった。ちょっと待ってね、解いてみる」

そう言ってからシャーペンを受け取ると茉莉花はサラサラと問題を解き直した。

勉強の方が辛くなくてノートを見た瞬間から一気に集中出来た。

「…よし、どう?これなら合ってる?」

そう聞くと真白は少ししてからうん、と言った。

「良かった~!明日当たる所だから不安だったの、さすが真白くん」

そう言って茉莉花が笑顔を見せると真白が釣られたように笑って頭をわしゃっと撫でた。

「茉莉花の理解が早いからだよっ」

(うそつき、褒められて照れてるくせに)

散々見てきたからそのくらい分かる。

(でも可愛い)

そう思った瞬間にふと、またさーっと全身の一気に上がった血が引いた。

(なに…やってるんだろう)

急に我に返って冷静になって、作り笑いをした。

「もー、真白くんこんなこと他の女の子にしたら彼女が嫌がるよ」

自分で言っておいて少し苦しくなる。

真白の言葉ひとつ行動ひとつで一喜一憂する自分にもううんざりする。

「あー…」

真白がその言葉を聞いて気まずそうに声を上げ茉莉花の頭から手を引くと急にさっきまであった熱が重みが一緒に引いて寂しくなった。

(こんなこと言われたら、そりゃそうするか。それにこれは友達の寂しいじゃないといけない)

自分なりに納得しようとする、色んな気持ちに折り合いをつけて落ち着こうとした。

「うーん…彼女ね…振られたんだよね」

なのに。なんで、今そんなこと言うの?

「なんか俺があんまり自分のこと好きじゃない気がするからって言われて」

はは、と何ともなさそうに笑う真白に、茉莉花は思わず口にしていた。


「ねえ、私、きーくんと付き合うことになったよ」

茉莉花は1度俯いて、でも顔を上げる。気になったから。

「…へぇ、よかったじゃん」

でも真白は先程と特に顔色を変えることなく、ただ口元だけ微笑していた。

正面を向いているけれど目線は合わなかった。

(…馬鹿じゃないの?私…)

その返答に茉莉花は小さな声で付け加える。

「…試しに1ヶ月だけだけど…」

一体真白にどんな答えを求めて期待していたのか。

あまりに当然の返事に、友達としての普通の返事に、一瞬でもその返事に落胆した自分にもがっかりした。

ねえ、どんな返事をするの?どんな顔するの?一瞬でもそう思った自分に自己嫌悪した。思わず俯く。

(本当に最低…きーくんに失礼過ぎる)

龍樹は何か知っているのか、ゆっくり好きになってくれればいいと言ってくれて、1度は断ったけれど2度目の告白で試しならどうかと提案されて茉莉花が折れることになった。

2度目の告白は真白に彼女が出来てから2週間後だった。

「そか、よーやくか。よかったじゃん龍樹」

その声に茉莉花は顔を上げた。

少しの沈黙の後に真白は茉莉花へ向いていた身体を茉莉花から見て右向きに変えて言った。

試しに1ヶ月という龍樹の提案は驚かないようだった。龍樹からそう言うと聞いていたのか、親友だから想像が着いたのかは分からない。

「漸くって」

「漸くだよ、だって2人幼馴染じゃん」

「何言ってるの、それなら真白くんだって小6からずっと一緒じゃん」

「いやいや、2人は生まれた時からじゃん?運命って感じするじゃん」

真白が誰にでも向ける笑顔で言う。

じゃあなんでこっち見ていつもみたいに笑って言わないの?って、なんで目、見ないのって言おうとしたその言葉を茉莉花は飲み込んだ。

自分の諦めの悪さが嫌だった。そんなただの仕草に縋りたくなるくらいに自分の想いの強さが毒になる。

黙り込んだ茉莉花に真白はわざと明るく話をするかのように続ける。

「よかったじゃん、親友よ、中2から長かったわー」

その言葉を聞いて苦しくなった。

長さは関係無いって、知ってるのに。でも茉莉花は小6の終わりから真白が好きだったのに。

龍樹の親友があなたじゃなければまた違ったのだろうかと考えるぐちゃぐちゃな真っ黒な自分が最低で恥ずかしくて嫌だ。

私がたった1度恋をしたのが君じゃなければいいのに、君じゃなければよかったのに。

真白を好きにならなければこんな自分知らなくて済んだのにと茉莉花はぎゅっと下唇を噛んで涙をこらえた。


その後龍樹がやって来るまでまた沈黙が続いて、3人で帰ることになって駅まで歩く。

赤い夕焼けに蝉の声、駅までにある公園で遊び回る夏休み明けの小学生たち、まだ暑くて汗で肌とブラウスがくっつく不快な感じ、制服のネクタイの部分が無駄に重なって暑くて息苦しい気がした。

小学生たちを見ながらもう小6の夏休み明けには、真白を好きになったことの無い自分には戻れないんだとぼんやり実感する。

自分は龍樹の気持ちに向き合うと決めたから向き合わないといけない。

9月に入って衣替えしたばかりの長袖ブラウスをまくって着る腕がまだ慣れない感じがして、今のこの全てが間違えているようでなんだか居心地が悪かった。


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君じゃなければいいのに 綾瀬七重 @natu_sa3

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