朝変な時間に起きてパンを食った話

 妙な時間に目が覚めた。就寝したのは深夜3時頃だというのに朝7時に目が覚めてしまった。夜遅くまでテレビゲームに勤しんでいたせいだろうか、十分に深い睡眠が取れなかったようだ。


 今日の授業は3限から、普段なら京都にはびこる自堕落大学生の例にもれず再び夢の世界へと旅立つところであるが、わずか4時間の睡眠でありながらやたらと覚醒した現状では横になろうとも意識を手放すことができなかった。寝よう寝ようと試行しているうちにどんどんと頭は冴えてゆき、数分後には寝ることを諦めだらだらとスマホを弄る無為な時間を享受していた。


 しかし30分も立てば自分の行っていることの愚かさに気づかされるもので、何か生産的なことをしてバランスを取ろうとするのだ。とりあえずカーテンを開けて全身に日光を浴びてみた。眩しい。閉じた。だがこのままでは何もできる気がしない。部屋の掃除をするか?めんどくさい。朝ご飯を作るか?長ネギとショウガしか入ってない。暗い部屋の中でうんうんと唸っているとなんだか朝から悩んでいることが馬鹿らしくなって、結局朝ごはんにパンを買いに行くことに決めた。


 家からお気に入りのパン屋までの距離は約1.5km。歩くには少し遠い距離だが、秋の冷たい風を受けながら自転車を漕ぐよりはいいだろうと徒歩で向かうことにした。外に出る準備をしながらなんのパンを食べようかと考える。なんとなく甘いパンが食べたいからチョココロネとかかな、などと思いをはせるこの時間が一番楽しいのだ。新学期の小学生がごとき期待を財布に詰め込んでわくわくしながら外へ出た。


 外に出た瞬間、全身を撫でる冷気に迎えられ心が折れそうになった。あまりにも寒い。日頃怠惰な生活を送っているため朝の寒さを知らなかったのが裏目に出た。思わず踵を返して温かいお布団にくるまりたくなってしまう。しかし、いま私はパンの口。どんな困難があろうとパンを食べる、そう腹に決めているのだ。私は快適な我が家が引っ張るを後ろ髪を引きちぎりパン屋へと向かった。


 パン屋までの道は単純で、鴨川を下るだけだった。少し歩けば寒くもなくなり、思考もクリアになった。茶色く色を落とした雑草が茂る朝の鴨川は風の冷たさもあいまって風情ある寂しさを感じさせた。なんかこういうの、いいよね。


 鴨川の雰囲気を楽しみつつ下っていくと、存外すぐパン屋についた。お気に入りのパン屋から今日もいい香りがする。ここはパンのおいしさもさることながらほぼ全品120円という破格の安さを誇る。私のような労働を怠った金欠大学生には非常にありがたい存在なのだ。


 店外へ延びる香りを堪能した私はウキウキしながら店内へ入る。まず目に入るのは入ってすぐ正面に並ぶおすすめのパン達。正直おすすめされているかは不明なのだが、大体おいしいので私はそう思っている。向かって左には惣菜系のパン、右側にはお菓子系のパンが並べられているのだが、その中に私の心をひきつけてならないパンがあった。



「生チョコクリームパン」



 なんて甘美な響きなんだ。「生」に「チョコ」に「クリーム」に「パン」て。欲望の詰め合わせ、美味の宝石箱のようなパンがそこにあった。思わずトングで威嚇することも忘れてパンを取ろうとしたが、そこでふっと思い出した。


 いかん、私はチョココロネを買いに来たんだ。あのヤドカリのようななんとも言えない形を求めてここに来たのだ。浮気をするわけにはいかない。すまない生チョコクリームパン。君は確かに美しかった。呆れるほど一途な私をどうか許してほしい。私は泣く泣く彼女に別れを告げた。


 数分後、パンを買い終わった私は生チョコクリームパンを頬張りながら鴨川を上っていた。仕方ないじゃないか。チョココロネ置いてなかったんだもの。会えない妻より会える愛人とはよく言ったものである。


 そんなことはともかくこの生チョコクリームパン、うまい。朝からさすがに甘すぎるかとは思ったが実際はそんなことはなく、程よい甘さのチョコとアクセントのカシューナッツが絶妙なハーモニーを舌の上で奏でてくれる。疲れの取れ切ってない体に糖分が染みわたっていく。120円の味とは思えない。200円くらいの味がする。80円の得だ。ああ、うまい、うまい、うま――


 突如バサッという音とともに食べていたクリームパンが弾け飛んだ。背後から忍び寄ったトンビが私のパンを攫ったのである。あまりの急な出来事に唖然として立ち尽くすしかなかった。しかし無残にも地面に転がったパンを再び降りてきたトンビが食らっているのを見て、胃の奥底からふつふつと怒りが込み上げてきた。人間様をなめ腐ったこのケダモノに力というものを教えねばならない。


 そう思って1歩踏み出した瞬間トンビは逃げた。それはそれは天高く逃げた。もう一度降りて来いとそっぽを向いて隙を演出したりしたが一向に降りてくる気配はない。後に残ったのは食い荒らされた私の愛人と怒りの矛先を失った私だけだった。


 行き場を失った私の憤怒は変わり果てた彼女を見ているうちに落胆へと変わっていき、最後には大きなため息となって口から溢れ出た。珍しく有意義な時間を過ごそうとしている時に限って何故こんなことになるんだ。この国では河原でゆっくりパンを食べることすら出来ないのか。今1人の国民が泣いているぞ、トンビ対策をしっかりしてくれ自民党。


 すっかり意気消沈した私は立ち尽くしたままぼうっと鴨川を眺めていた。愛らしい姿をした鴨がぷかぷか浮かんでいる。あ、魚食べた。


 なんだか全てのことがどうでもよくなってきた。運命は先に決められていて私たちはそれをなぞって生きているだ。彼女はトンビに食われる運命にあったのだ。それをまっとうした彼女の姿は例え醜くとも誇らしい者であるのだろう。私はなぜだかその姿にある種の美しさを覚えていた。


 風が吹いた。寒い。何を訳の分からんことを考えてるんだ。帰って寝よう。


 そう決めて寂しい秋風の吹く鴨川沿いの道をとぼとぼと歩いて帰った。程よく歩いて疲れたからか、帰宅しベッドに横になった途端急に眠気に襲われ、特に抵抗することもなくそのまま意識を手放した。意識が無くなる直前、「まあこういう日もあるか」となんとなく思った。

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