オタクに優しいギャルの正体はメイクした妹です

英 慈尊

サオリ

 イベントスペースの中には、折り畳み式のテーブルがずらりと並んでおり……。

 それぞれのテーブルは、参加者が持ち込んだグッズなどによって、元が安物のレンタル品だとは思えないくらいに飾られている。

 飾り付けは、参加者が持ち込んだグッズやセンスによって様々だが、共通しているのは、本が積まれているということ……。


 それも、書店などで見かける通常のそれではない。

 恐ろしく薄い――およそ、二十から三十ページで完結するだろうというペラペラの代物だ。

 この薄い本……その名を、同人誌という。


 ――いやあ、いよいよデビューしちまったなあ。


 秋葉原の某商業施設内で催される同人誌即売会。

 そこに、参加者として加わった俺は、あてがわれた椅子に座りながら、万感の思いを抱ていた。


 ――にしても。


 ――俺も飾り付けのグッズとか用意すればよかったな。


 他の参加者と違い、剥き出しとなったテーブルの上へ平積みにしているのは、一年ほど前に放送された女子高生バンドアニメを題材とした同人誌である。

 そう、何を隠そう――描いたのは俺!

 人生で初の同人誌だ。


 ページ数は二十。表紙がフルカラーで中身はモノクロという、ごく一般的な製本。

 部数は、ページ数と同じく二十部。

 今日の目標は、これを全て売りさばくことだが……まあ、無理だろうな。


 大手のサークルともなれば、これだけで食っていけるくらい売れるそうだが、俺は無名の新人だ。SNSのフォロワー数だって少ない。

 画力も……持てる全てを注ぎ込んでなお、物足りないことは分かっている。

 とてもではないが、全部売り切ることは不可能だろう。


 それでも!! と、ユニコーンなロボットを駆る主人公のように叫びたい。

 この、熱いパッション! 創作熱!

 こいつは、放出せずにはいられないものだ。

 で、あるから、俺はなけなしの小遣いでこの同人誌を印刷してもらい、今日という日へ臨んだのであった。


 スタッフの方が、イベント開始の合図を行い……。

 パーティションポールによる仕切りが外され、一般参加者――つーかお客さんが、なだれ込んでくる。

 さあ――どうなる!?




--




 結論から言おう。

 何の、成果も、得られてません!


 すでに、時刻は午後三時を回っており、参加者の中には撤収準備を行っている者の姿も見受けられた。

 が、我が同人誌の売り上げは――ゼロ冊!

 貫禄のゼロ冊である!


 たまーに見本誌をパラパラめくってくれる人もいるが、購入には至っていない。

 いやあ、創作の世界って厳しいですね。

 まあ、世の中には小説家になろうの空想科学ジャンルで年間一位を取ろうが、コメディジャンルで年間一位を取ろうが、さっぱり出版社の声がかからないという人もいるらしいし……。

 俺などは、まだまだということだろう。


 まるで、世界の全てが俺を見放したかのような……。

 圧倒的な孤独感と無力感に、秋葉原のド真ん中で蝕まれる。


「まあ、そういうものですよ。

 誰もが味わうことです。

 よかったら、お互いの同人誌を交換しませんか?」


 あ、違ったわ。孤独じゃなかったわ。

 隣で参加してるおじさんが声かけてくれたわ。

 あったけえ……おじさんあったけえ……!


 彼と交換してもらった同人誌を読んだりしつつ、もう少し粘ってみた。

 声をかけられたのは、そんな時のことである。


「へえー!

 これ、君が描いたの?」


「ん? ええ、もちろん」


 もはや、見本誌だけパラリとめくられることに、一喜一憂はしていられず……。

 誰かが見てくれていることに気づいてはいても、それがどういう人物であるかは注目していなかった。

 だから、反射的に返事して顔を上げ――大いに驚くこととなったのである。


「へぇーっ! ビックリした!

 あたしと同じくらいの年なのに、すっごく絵が上手いんだね!

 しかも、こうやって自分の本出してるし!」


 ハスキーな声でそう言ってきたのは、なるほど……本人が言う通り、俺とほぼ同年代だろう女子高生だ。

 ただし、制服の着こなし方は、通常の女子高校生とはいささか異なる。


 まず、上着はだるーい感じで着崩されており……。

 シャツは、当然のように首元を開けてあり、せっかくの赤リボンは、その役目を完全に放棄しぶら下がっていた。

 ベージュのカーディガンは、スカートの裾近くまで下りているぶかぶかな装いで……。

 足元は、平成の世を席巻したという神器――ルーズソックスによって、文字通りルーズに固められている。


 髪の色は、当然の権利がごとく――茶色。

 ウェーブがかったそれを、腰の辺りまで伸ばしていた。

 指先は、ネイルによって彩られ……。

 顔は……うん、化粧品のことよく分からねえや。

 ただ、間違いないのは、十代の少女には不必要というほどの化粧でコーティングされているということだ。


 ただ、それが下品に感じるかというと、意外なことにそうでもない。

 何故なら、こちらを見ながら大きく笑う彼女の化粧は、きらめいて彼女の魅力を増しており……。

 これは、真実、自分を高めるために……いや、理想の通りにアゲるためか?

 ともかく、明確な美意識に則った化粧であると直感できた。


 このような人種を表す言葉は、この世に一つしかない。


 ――ギャルだ。


 ギャルが、俺の見本誌を手に取りながら、太陽のような笑みを向けているのである。


「え、あ?

 いや、あの……」


 うむ――どもった!

 いやー、しょうがねえでしょ。

 この俺こと尾田和夫は、これまでの十七年間……一切、女っ気のない生活を送ってきた。

 それが、女の子……。

 しかも、ギャルに声をかけられたとあっては、これはもう人生の一大事なのであった。


「その……自分の本っていっても、商業出版じゃなく同人誌……。

 ああ、いや……自費出版みたいなもんだから。

 五千円ちょっとあれば、誰でも印刷してもらえるし。

 キャラだって、自分で考えたわけじゃないから……」


 ともかく、我ながらたどたどしい口調でそう答える。


「ええ! でも、描いたのは君なんでしょ!?」


 そんな俺に対し、彼女はぐいっと顔を近づけながらそう言ってき――いや、近い近い近い!

 なんつーか、顔はもとより、その豊かな胸元まで見えてしまいそうというか、視線が吸い寄せられてしまう。

 だって! シャツの上ボタンめっちゃ大胆に開いてるんだもの! 男の子なら、誰でもそこ見ちゃうんだもの!

 いかん! 目を逸らさねば!

 鋼の精神力で眼球を動かしつつ、ついでに口も開く。


「そ、そりゃ、描いたのは俺だけど……。

 そんな人、それこそここには、沢山いるし……。

 大したことないよ」


 例えば、行列の出来てた大手サークルとかな!

 いやあ、自分のが一切売れない状態で見るあの行列、心を突き刺すものがあったわー。


「大したことあるよ!」


 そんな風にして無力感を味わう俺に対し、彼女は力強く否定の言葉をぶつけてきた。


「あたし、こんなにいっぱいの絵を描いて、しかも、それを本にするなんて絶対できないもん!

 それに、この絵だって……。

 なんかなー。上手くは言えないんだけどさ。

 こう、何か見てるとアガってくるもん!

 それって、才能じゃん!」


「ええ? いやあ、それは……」


 さて、諸君にお聞きしたい。

 ここにいるのは、同人誌を描いた作者……すなわち、創作者だ。

 承認欲求モンスターが登場する作品の二次創作を行った承認欲求モンスターとも言う。

 そんな男が、可愛い女の子から全肯定の言葉を向けられたら、どうなるか!?

 答えは――そう!


「いやあ、そんなこともあるかなあ!」


 イイ気になるのである!


「こ、こいつ――イイ気になってやがる!?」


 隣のおじさんが何か言ってるけど、あーあー、聞こえなーい!

 調子に乗らずして、何が創作者か!

 たった一人の応援……たった一言の賞賛を求め、ペンを振るう。

 それこそが、絵描きの本懐よ!


「うん! うん! その調子! その調子!

 んっと……五百円でいいんだよね?

 あたし、三冊買っちゃうよ!

 ほら、何だっけ?

 保存して、読んで……」


「布教用かな?」


「そうそう! それそれ!

 布教用!

 あたし、友達にもこれ一冊あげちゃうよ!」


 そう言いながら、彼女が千五百円をきっちり差し出してくる。

 おお……これは……。


 ――売れた!


 ――初めてだけど、売れちゃった!


 それも、一冊や二冊ではない……。


 ――三冊だ!


 初めて刷ってもらった同人誌が、一度に三冊も売れたのだ!

 しかも、買ってくれたのはこんなイベントと縁遠そうなギャルで、俺の絵が刺さったと言ってくれている!


 これは……勝ったね。

 何に勝ったのかは、分からない。

 だが、俺は何か得体の知れないものへ、確実かつ完璧なる勝利を収めたのだ!


「ありがとう!

 ……あ、やばい。

 袋とかあるわけじゃないから、裸で渡すことになっちゃうな」


 そこで、一つの問題に気づく。

 ここは秋葉原だ。

 おそらく、宇宙一リュックサックを背負う人間の数が多い。

 しかしながら、目の前に立つ彼女はギャルなわけで……。

 肩からかけているのは、同人誌を入れるには少々容量の足りない小さなバッグであった。


「あはは、いーよいーよ!

 このまま持って帰るし!

 案外、宣伝になっていいかもよ?」


 テーブルから三冊のマイ同人誌を手にした彼女が、にかりと笑いながらそう告げる。

 ええ子や……。

 純然たる江戸っ子である俺が、エセ関西弁で独白してしまうくらいええ子や……。


 感動に打ち震える俺へ、周囲をきょろきょろと見回した彼女が、再び口を開く。


「んー、何か帰り始めてる人も結構いるし……。

 よかったらなんだけど、この後、ちょっとお茶しない?

 あたし、友達が出かけられなくなっちゃって、暇してたんだよね。

 お茶しながら、この本に出てくるキャラのこととか教えて欲しいかなって」


 おおっと!

 これは……これは……。

 まさかの逆ナンパか!


 俺の心は、まさしく有頂天!

 その心は、黄金の鉄の塊と化しつつあった。


「……美人局じゃない?」


 そこに水を差してきたのは、隣のおじさんがぼそりと発した一言である。

 はうあっ! 言われてみれば……!

 これは、あれだ。

 一昔前、この秋葉原で、絵画の販売とかをしてたという姉ちゃんと同じ商法ではないだろうか?

 それでなくとも、今は宗教団体の勧誘とかをしてる人たちもいるらしいしな。


 一抹の疑いを抱いた俺は、ちらりと彼女に視線を向けたが……。


「……?」


 小首をかしげた彼女の胸元が、ぶるりと揺れた。


 ――うむ!


 ――胸がでかい!


 ――これは、信頼に足る根拠だ!


 ブルリを脳内にアーカイブしつつ、完璧な論理構築が完了される。


「もちろん!

 すぐそこのミスドでいいかな!?」


 俺は元気に彼女へ返事すると、荷物をキャリーケースに片付け始めたのであった。




--




「――でさあ、このぼきたが見せる関係性が、見ている方にはたまらないわけだ。

 片や筋金入りの陰キャ。

 片や根っからの陽キャ。

 お互いに足りないもののある二人が、互いに惹かれ合う様の素晴らしさっていうかさ」


 結論から言おう。

 彼女はやはり、信頼できる女の子だった。

 まあ、おっぱいが大きいからな!

 おっぱいが大きな女の子を、信用しない理由などない!


「うん、うん。

 君の本でも、すっごく仲良さそうにしてるよね」


 これがオタクの性というものか……。

 ついつい早口となってしまう俺の言葉に、彼女がいちいちうなずいてくれる。

 ああ、楽しい。

 オタトーク聞いてもらうの、すっごく楽しい!

 人間っていうのは、自分の好きに理解を示してもらえると、かくも幸福な気持ちになるものなのだなあ。


「君って、本当にアニメ好きなんだね。

 他にも、何かオススメのやつある?」


「そうだなあ。

 ちょっと前にやってた、美少女ゲームを題材にしたタイムリープものとかも面白いぜ。

 ちょうど、このお店が聖地なんだ」


 エンゼルフレンチをパクつきながら、そう答えた。

 そういえば、好みが合うといえば、ドーナツの好みもそれで、彼女と俺は共にエンゼルフレンチを食べている。

 やっぱ、ミスドと言ったらこいつだよな。

 我が家においても、俺と妹はこれ一択だ。


「へぇー。

 そうやって、アニメで出てきたものとか食べたりするんだ?

 うん、うん。

 あたしの友達も、ドラマで撮影に使われた場所とか見に行ったりするし、その気持ち分かるかも――と」


 そこで、彼女がスマホを取り出した。

 ん? そのカバー……。


「あはは、楽しかったけど、そろそろ時間みたい。

 ……どったの?」


 おそらく、時間を確認しただけなのだろう。

 スマホ片手に小首をかしげた彼女へ、取り繕うように口を開く。


「ああ、いや。

 そのスマホとスマホカバー、妹が使ってるやつと一緒だったからさ。

 偶然もあるもんだな」


「……っ!?

 あはは! それは面白い偶然だねー!

 まあ、このカバーかわいいし?

 妹ちゃんと気が合うかも!

 というか、妹ちゃんいるんだ?

 どう? かわいい?」


 問われ、あいつの顔を思い浮かべながら答える。


「可愛いか可愛くないかでいったら、そりゃ可愛いさ。

 ただ、難しい年頃――中学二年生でさ。

 元々人見知りがちなのもあるけど、最近は、家でもほとんど話をしないかな。

 だから、向こうがどう思ってるか分からねえ」


「ふうん……。

 難しいんだ?」


「難しいのさ」


 両手で頬杖をつき、興味深そうに聞いてくれた彼女とうなずき合う。

 何か、ここだけはさっきまでの彼女と違う雰囲気だな。

 何がどう、とは言えないけど。


「……と、それより時間がやばいんだっけ?」


「あ、そうそう!

 あたし、そろそろ帰らなきゃなんだ。

 ねえ、よかったらなんだけどさ?

 チェインの友達登録しない?

 また気が向いたら、一緒に話したりしようよ」


「え、それは……」


 おいおいおいおいおい。

 そんなの、答えは決まってるじゃねえか!


「もちろんさ!」


 妹と同じスマホとスマホカバーの彼女に対し、メッセージアプリから出したQRコードを向ける。

 それを彼女が読み取り、ちょいちょいと友達登録は完了した。

 へえ、サオリさんか。

 妹と、一文字違いなんだな。

 これもまあ、珍しい……くはないか。どっちもありふれた名前だ。


「ありがと!

 それじゃあ、カズっち! またよろしくね!」


「カズ……ああ! もちろん!」


 早速にも俺へあだ名を付けてくれた彼女と共に、会計を済ませる。


「ばいばーい!」


「ああ、ばいばい!」


 そして、店の前で分かれて手を振り合った。

 周囲を見回せば、見慣れたアキバの景色……。

 ともすると、今起こったことは白昼夢なんじゃないかと思えてくる。

 でも、チェインのトーク画面には、しっかりとサオリさんの名前と、自撮りした彼女のアイコンが追加されていた。


「くう……。

 よっしゃあ」


 小声でつぶやきながら、拳を握る。

 尾田和夫十七歳。

 春の季節に、また別の春が訪れていた。




--




「ただいまー」


 それから……。

 何となく浮かれた気分でアキバの散策を楽しんだ後、本所の自宅へと帰ってきた。

 親父がローン組んで購入した家は、ごくありふれた一軒家だ。


「お帰り」


 ありきたりな家のありきたりな玄関に入り込むと、そこで俺を待ち受けていたのは妹……。

 すなわち、尾田詩織である。


 詩織のことを評するならば、それは、大人しく内気な少女ということになるだろう。

 黒髪は、短めなおかっぱで整えており……。

 目鼻立ちは、どこか小動物めいていて、愛らしくはあるのだが、内気な人間性というものも表れてしまっているように思えた。


 胸は――つつましい。

 純然たる平たい胸族である。

 いやまあ、妹の胸が大きかったところで、だからどうしたという話になるのだが……。


 うーん……。

 見れば見るほどに、サオリさんとは正反対なのが我が妹だ。

 似ているのは、身長くらいか? 彼女、結構小柄だったし。


「お母さんが、もうご飯だって」


「ああ、チェインで見たよ。

 すぐに荷物を置いてくる」


 詩織の言葉に答えて、キャリーケースの車輪を常備されているウェットテッシュで拭う。

 いつもなら、ここで会話は終わり。

 それが、俺と詩織との関係性である。

 よくある兄妹の形だと思う。

 お互いに難しい年齢だし、性別も性格も異なるからな。

 別に家庭内で冷戦しているわけでもないんだし、構わないと言えば構わないんだが……。


 ここで、一歩を踏み出してみたくなったのは、サオリさんとの会話があったからだろうか。


「なあ、今日は何をしてたんだ?

 俺は、同人誌のイベントに参加してみたんだけど」


 車輪を拭いつつ、当たり障りのない話題を振ってみた。


「友達の家に行ってた」


 返ってきた言葉は、ごくごく短いもの……。

 だが、俺はそれに、妙な嬉しさを覚える。


「そうか。

 楽しかったか?」


「うん。

 お兄ちゃんは? 売れた?」


「それが、三冊も売れたのさ。

 まあ、買ってくれたの同じ人なんだけど」


「そう……。

 よかったね」


「ああ、本当に嬉しかった」


 おお、会話っていうのは、続けてみようと思えば続くもんだな。

 この一分足らずで、一週間分くらいの兄妹会話をしてしまったぞ。

 その事実に、ますますの嬉しさを覚え、せっかくだから、サオリさんのことについて話してやろうと思ったのだが……。


「和夫!

 帰って来たなら、さっさと手を洗ってきなさい!」


「そうだぞ!

 母さんの料理が冷めてしまう」


 父さんと母さんにせかされ、会話は打ち切りとなってしまう。


「ああ、今、荷物を置いて手を洗ってくるよ!

 詩織は、先に行ってな」


「うん」


 こくりとうなずき、居間へ向かう妹をよそに、階段を上って自室に向かう。


 ――ん?


 ――同人誌のイベントに参加したとは言ったが、売る側だとは伝えたっけ?


 ふと湧いてきたのは、そんな疑問……。


 ――まあ、いっか。


 ――多分、父さんが教えたんだろ。話してあったし。


 俺は楽観的に考え、さっさと荷物を置くのだった。




--




「ふぅー……」


 夕食を終え……。

 自室に戻り、固く施錠した詩織は、大きく溜め息を吐き出しながら壁へともたれかかっていた。


「緊張したあ……」


 その瞳に映るのは、両親が中学入学のお祝いに買ってくれたドレッサーだ。

 とりわけ目立つのは、マネキンの頭部にセットされた茶のウィッグ……。


「ふふっ……」


 ほほ笑みながら、それを装着して鏡の前へ座る。

 鏡の中にいるのは、詩織ではない……。

 架空にして理想の少女――サオリだ。

 今は化粧をしていないし、つけまつ毛なども装着していないから完全な状態ではないが、すでに変身後の面影は宿していた。


「今日はお兄ちゃんと、いっぱいお話しちゃった」


 うっとりとしながら、サオリに向かって話しかける。


「ふふっ……。

 すっかりわたしのこと、女子高生だと思いこんで……。

 制服、もらえてよかったな」


 サオリの時に着ていた制服は、友人の姉から貰ったものだ。

 小柄な人なので、詩織でも着ることができたのであった。


「でも、気をつけないと……。

 スマホの機種……は、仕方ないにしても、カバーは迂闊だった」


 スマホの機種とカバーが自分と同一であると指摘された時は、口から心臓が飛び出るかと思ったものである。

 それ以外にも……。

 思えば、ミスドで普段と同じドーナツを頼んだりしたのも、油断であるといえるだろう。


「もっと設定を作り込んで、サオリになりきらないと……」


 反省はここまでとし、かつらを押し入れにしまい込む。

 押し入れの中には、サオリとなった時に着用する制服や特大胸パッド……。

 それから、和夫の描いた同人誌がしまい込まれていた。


「う、ふふ……」


 自分の胸より薄い同人誌を抱きしめながら、ベッドに倒れ込む。

 そのまま、スマホを取り出す。

 素早いフリック入力は、詩織もまた、今時の少女であるという証左だ。


「カズっちの本、家に帰ってからまた読んじった。

 これから、元になったっていうアニメもサブスクで見てみるつもり、ピース……と」


 普段とは別アカウントによるトーク入力。

 このアカウントで友達登録している唯一の人物――和夫から、素早い返信がくる。


『いいね!

 俺の方も見返してみるよ!』


「じゃあ、同時視聴だ。

 後で感想、言わせてね、ハート……と」


 出来ることなら、通話を繋いで本当に同時視聴したい気持ちはあったが……さすがにそれはまずいだろう。

 ボイトレの成果により、サオリとしての声は完璧に作り出せている自信があった。

 が、我が家の壁はそこまで厚くはないため、通話などをすればバレる可能性が濃厚なのだ。


「設定追加。

 家は壁が薄いから、あんまり通話はしない。

 動画とかを見る時も、イヤホンを使っている……と」


 スマホのテキストファイルに、文章を追加する。

 ここに羅列されているのは、サオリとしての設定だ。

 喋り方や、生い立ちなどは細かく書いてあるが、まだまだ固めていかねばならない部分は多いだろう。


「理想のわたしに……サオリになりきらないと。

 それで……お兄ちゃんと、恋人になる」


 スマホをスリープ状態にしながら、天井を見つめた。

 その眼差しに宿るのは、確固たる決意であり……。

 あるいは、思慕の念だったのである。




--




 お読み頂きありがとうございます。

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