第8話 最初の闇堕ちフラグ

 学園生活が4か月目に入った、その日の放課後。


(あれ……?)


 セシリアちゃんがあしなんて珍しい。というか、初めて見た。

 彼女は基本、スローペースでの移動ばかり。一度ストーキングを始めると見失うことはないし、むしろ「もうちょい早く歩けないかなー」って感じるくらいなの。


 胸元に紙のたばを抱えて小走りで中庭に入ってくる彼女を、わたしは校舎3階の廊下から、両手に汚れた水が満ちたバケツを持って見下ろしていた。


 紙の束を抱えて、急ぎ足で中庭を突っ切る主人公。


(あれ? これって……ひとつ目の闇堕ちフラグイベントっ!?)


 間違いない。リアムに頼まれた用事を済ませたセシリアちゃんが、生徒会室に急いでいる状況だ。

 ってことは、イベントはすでに進行中。発生を止められなかった!?


 彼女の進路上には、中庭の中心を占領せんりょうする噴水。今がイベント真っ最中だとすると、噴水の近くには封印状態の魔王が精一杯の力で放った呪蛇カースひそんでいるはず!


 彼女がこのまま呪蛇カースに近づいてしまうと、「闇堕ちフラグ」が立って「トゥルーエンド」に行けなくなる。

 それは魔王との最終決戦で、5人の花束の騎士のうち「誰か」ひとりが死ぬということ。


 死ぬ? 誰か……が?


 そう……誰かが死ぬっ!


 わたしの脳内に広がるスノウくんの笑顔。

 彼はそんな満面の笑顔しないから、わたしの妄想なんだけど。

 だけどその「誰か」は、スノウくんかもしれない。彼は聖女を守護する、花束の騎士のひとりなんだからっ!


 ダメ、ダメダメダメッ! そんなの絶対ダメッ!

 ゾッとした。〈ゲーム〉の「スノウ・レイルウッド死亡スチル」が、わたしの脳内でよみがえる。

 彼は魔王が放った魔法のくいで、心臓をつらぬかれて死ぬ。大量の血を吐き、なんの言葉も残すことなく。


 わたし、わかってたのに! わかってたのに軽く考えてた。

 だって「闇堕ちフラグ」を2・3本立ててたところで、魔王は倒せるし「通常エンド」には行けるから。

 だけどそれは〈ゲーム〉の話でしょ!? この〈世界〉はゲームじゃない。〈現実〉なのっ!

 「闇堕ちフラグ」は1本も立てちゃいけない、セシリアちゃんの未来は「トゥルーエンド」以外ありえない。

 ここは、そういう〈世界〉なんだ!


 〈世界〉が魔王に支配される。それを避けるのは当たり前。だけどそれだけじゃない。それだけじゃ足りない。

 聖女に闇堕ちフラグは踏ませない。それが「わたし」の役割なんじゃないの!? 


 わたしが目を離しているすきに「生徒会からの呼び出し」があったなんて、運が悪いっ!

 なんのために、ずっと彼女をストーキングしてたのっ! こうならないためにじゃなかったの!?


 くっ、落ち着け。まだ終わりじゃない。終わってない。絶対間に合わせるっ!


 わたしが今日、掃除係をしているのは偶然だ。生徒が掃除をすることは、この学園ではほとんどない。わたしもこれが初めて。

 だから今、わたしの手に汚水が入ったバケツが握られているのは偶然。


「セシリアちゃんっ!」


 わたしは叫ぶと同時にバケツをひっくりかえし、汚れた水を窓の外へとブチけた。

 考えての行動じゃない。身体がそう動いただけ。でもそれ以外どうすればいいかわからないから、悪い手じゃないはず。


 ビシャアァっ!


 水をいて彼女の進路をジャマしようとした。足を止めさせようとしただけ。

 だけどわたしが放った汚水は、彼女をびしょれにさせていた。

 

 彼女は足を止めて、全身から水を滴らせながら上を向く。怒るとかにらむとかが普通だろうけど、ポカンとした不思議がってる表情で。


(よかったぁ~……呪蛇カースひそんでるのは噴水の近くだ。まだ距離はある)


 キョロキョロと視線を動かしているけど彼女だけど、わたしを見つけた様子はない。それに立ち止まったままだ。よかった。


 正直、迷った。これからどうするのが正解か。

 とりあえずわたしは、


「きゃあ~っ! 噴水のところにヘビがいるわよ~っ」


 わざとらしく叫んで、窓ぎわから顔を隠すためにしゃがんだ。


(ヘビの存在をにおわせたんだから、セシリアちゃん、わざわざ噴水に近づかないよね。これで闇堕ちフラグは折ったよね?)


 〈ゲーム〉でセシリアちゃんとマルタは、顔見知りじゃなかった。詳しくはわからないけど、設定資料集にもそんなこと書かれてなかったはずだ。

 〈ゲーム〉の展開とズレるかもしれないけど、ここで顔を合わせたほうがいい? 顔を合わせて、ちゃんと謝罪したほうがいい?

 それとも身を隠したまま、ストーキングを続けるのが正解?


(う~ん……どうしよ?)


 迷ったのは少しの間。


(やっぱり、ちゃんとあやまろう)


 そう思った瞬間。わたしの視線は、無表情で廊下にたたずむスノウくんをとらえていた。


(なんで、いる……の?)


 スノウくんの冷たい視線が、わたしを縛る。

 彼は凍るような……実際わたしの心と身体を凍らせるほどに冷たい視線のまま、無表情でわたしの横を通りすぎていく。


 動けない。

 なにも、考えられない。


「気をつけろ。噴水の右側、ヘビがいるぞッ!」


 外からの声に紛れるように、わたしの震える唇が小さな音を発した。


「ごめん……なさい……」


 それは、なにに対しての謝罪? 誰に対しての?


(見られてた。わたしが窓から水を捨てて、隠れたのを)


 胸が苦しい。気持ち、悪い……。

 わたしは廊下にへたり込んだまま、スノウくんの背中を探す。だけどどこにも、彼の影すら落ちていなかった。


『正義感が強くて言い訳を嫌う、精神的潔癖性』


 見つけてどうするの? なにをつげるの?

 この状況でなにを言っても、彼が嫌う「言い訳」にしかならないのに。


 身体から力が抜けていく。立ち上がる気力もない。どこかで攻撃魔法が発動された音がしたけど、意識に残ることなく消えうせた。


 ……これで、よかったんだ。


 スノウくんはセシリアちゃんの「攻略対象キャラ」なんだから、モブ子のマルタが近づいていいキャラじゃない。

 彼に恋だなんて、そんなこと……マルタは、わたしは彼にこっぴどくフラれる噛ませ犬なのよ?


 心臓が痛い。つぶれそうに、痛い。

 それに肺の中で大き石がゴロゴロしていて、息がしにくい。


(そっか……これが、失恋なんだ)


 ここでわたしは、彼への想いがとても大きく育っていたのを初めて実感した。


『大切なのものは、なくしてから気がつく』


 わかってたはずなのに。わたしは前世をなくして、それが大切なものだったって、わかってたはずなのに。

 なのに、まただ。懲りないな、わたしは。


 だけどこれで、スノウくんが死んでしまう可能性をひとつ減らすことができた。


 減らすことが、できたの……。

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