第24話 帰還不能線の向こう側
ラウルスの街から繋がっている東部外壁長城の門をくぐり、俺はララと二人で穢気領域に足を踏み入れた。
東部防壁長城には聖女が常に控えているらしいが、冒険者たちが近場の魔物を狩るため、魔物が接近しない限り門は解放されている。
穢気に汚染されきった領域では、樹々を含むあらゆる生物が、黒く朽ち果てているように見える。
世界全部が黒白、灰色になったかのようだ。実際には、単に腐り落ちているわけではなく、生物は穢気によって穢人の様に書き換えられて、別の生物みたいになってしまっている。
穢気からは常に、周囲の環境に応じた魔物が生み出され続けて、その数を減らすために兵士や傭兵、冒険者たちが穢気領域に入って、魔物を狩っている。
王国軍では追い付かないような数が多くて小物の魔物たちは、兵士を動かすより安い金で冒険者たちが狩ってくれるというわけだ。
奥に進めば進むほど、兵士や傭兵たちの姿は減っていった。たまに人を見かけたと思えば、物好きの冒険者たちが少人数でパーティを組み、金だか名誉だかのために危険を冒しているらしい。
「ミューカは大丈夫かなぁ」
人目も減ってきたので、俺は常に光剣を背中に展開しておく。すると、近づいてくる魔物に必要最低限の光剣が向かっていき、一定範囲内の魔物は勝手に迎撃される。
黒いスライムを光剣がぶった切ったところを見て、ついミューカの心配をしてしまった。
スライムはジュッと焼かれ、地面に雨粒のように飛び散って消えてしまった。
「光剣で斬られてもくっつくようになるって言ってたけど……」
「ミューカはまだ王都についてもいません。王都行きの馬車の下にへばりついて、ただ乗りしているところですよ」
「そっか。元気そう?」
「寝てますね。こちらの呼びかけに応じません」
「相変わらずだなぁ……」
どうしてミューカの状況がわかるかというと、念のためララにもミューカの一部を寄生させてあるからだ。そうすればララは離れていても、いつでもミューカと意思疎通ができる。
しばらく歩くとふと、ある看板が目についた。赤い塗料で注意事項と、髑髏のマークが描かれた物々しい看板だ。
「ララ、これは何?」
「
なるほど。じゃあその先の土地に拠点を作ってしまえば、少なくとも聖女を連れてこない限りは誰も近づけないということか。ララやミューカ、もちろん自分も、穢気の影響は受けないらしいし。
そしてララのその言葉通り、その先には全く人の姿は無かった。
そう思っていたが、道端からうめき声が聞こえて、男の冒険者が座り込んでいる所を見つけた。
「たす……け……」
「あ、まただよ。冒険者っていうのは懲りないなぁ」
未だ穢人化はしていないようだが、呼吸が苦しそうで、片目が赤く明滅している。
「主様。先ほども申し上げましたが、そのように人間を浄化してまわっていたら、足跡を残しているようなものです」
「まぁまぁ、でも放っておくわけにも行かないからさ。ほら、じっとしていて」
肩に優しく触れて、マルスアールでシエナにした時のように、穢気を浄化する。冒険者の身体が光り輝き、黒い蒸気が発散していく。もう慣れたものだ。穢気領域に足を踏み入れてから、何人浄化しただろうか。
「聖女様……どうしてこんなところに?」
その茶髪の冒険者はよく見ると自分よりも一回り若く、青年というより少年といった方が適当だった。若気の至りといっても、奥に足を踏み入れすぎだ。
少年は、革の軽装防具を着けていて、手元にはショートソードが置かれている。一応一通りの備えはしているようだが、装備は真新しく、経験豊富には見えない。
「それはこちらのセリフですよ。どうしてこんなに奥まで来てしまったんですか?」
ララの先ほどの話によれば、この先に進めば生きて戻れないというラインを、この冒険者は自ら超えてきたということになる。
「それは……その」
「私が来なければ、ここで死んでいるところだったんですよ? えーと……」
「キルトだ。ああ。無茶したんだ。魔物にやられて気絶して、目覚めたら穢人化しかけてた」
「そうでなくても、帰還不能線を越えて来たんでしょう?」
「……仕方なかったんだ。幼馴染が……魔女に連れ去られてしまったから」
「魔女?」
キルトと名乗った少年が言った魔女というのは、自分たちがこれから尋ねようとしている、屋敷の魔女のことだろうか。
「俺たちは冒険者だった。リリーと一緒に、穢気領域で魔物を狩って生きてたんだ。けどある日、ワイバーンに出会って、死にかけた。だけどなぜだかワイバーンは、俺たちにトドメを刺さずに立ち去った。そうしたら、魔女が来て……リリーだけをさらっていったんだ」
「それでキルトさんは、リリーさんを連れ戻すために、魔女を倒しに行こうとしたってこと?」
「ああ。もう十日以上前の話だ……」
「それって……」
「頼む……言わないでくれ……」
「キルトさん……」
リリーという子が十日以上前から穢気領域の中にいるということは、確実に穢人化している。
穢人化すると狂暴化し、他の穢人や魔物にまで攻撃的になるから、生存し続けることは稀だ。残念ながら、生きている望みは薄いだろう。
「キルトさん。あなたは……リリーさんが生きていると信じたいのか、もう自暴自棄になって死んでしまいたいのか、どちらですか?」
帰還不能線を越えてきたんだ。自殺したかったんだとしか思えない。
「俺は、リリーに生きていて欲しい。でも、たった一人の冒険者のために、聖女教会は来てくれたりしないんだ。だからもう、俺が行くしかないんだよ……」
キルトの声は掠れ、やりきれない思いを隠せていない。
まあ、ついでだし。
魔女に会うんだから、さらったリリーがどうなっているかくらいは、確かめておいてやるか。
「それじゃ、野良聖女の出番ですね。いいですか、キルトさん。私が代わりにリリーさんを探しておきます。生きているかの保証はありません。でももし、穢人化したまま生き残っていたのなら、私が浄化して、連れて帰ってあげます」
「ほ、本当か? あんたは、聖女なのに、どうしてこんなことしてるんだ?」
「……ただし条件があります。私のことは詮索しないこと。ここで私に会ったことは、決して口外しないこと。私と再び会うまで、勝手に無茶をしないこと。そして最後に……リリーがどうなっていても、復讐に人生を奪われないこと。これを守ってくれるなら、私がリリーを探してあげます」
まあ、これだけ条件満載なら、ララも文句は言わないだろう。
もし魔女との交渉がうまくいっても、リリーの件でキルトが復讐を志したらまた面倒なことになるし。
「リリーが死んでても……魔女に復讐しようとしちゃいけないのかよ……!」
「そんなことをすれば、キルト、あなたも死ぬだけです。リリーがそんなこと、望んでいると思いますか?」
「俺は、俺はどうなってもいいんだよ! 俺が連れ去られていればよかったのに!」
まあ、頭ではわかっていても、すぐに納得できる話ではないだろう。
正直キルトが約束してくれなくても構わないが、そうしたらまた今日みたいに無茶をして、彼は死んでしまうだろう。それはそれで寝覚めが悪い。
「全く、愚かな人間です」
「何だと……!」
あの、ララさん? 口を開けば死体蹴りみたいなこと、やめてもらえますか?
「あなた方は戦力を見誤ってその場で死にかけた挙句、今回も無茶をして死にかけ、幸運にも主様に救われた。愚かな自分を救った主様との出会いを奇跡と思い、主様に信仰を捧げ一生を終えるべきなのに。また愚かなことをして命を捨てようなどと、死んでも死んでも火に飛び込む虫たちと何の変わりがありましょうか。この先、生かすだけ無駄です。むしろ、この場で私が殺してさしあげます」
「ララ~? もう少し人に優しくしようか? キルトはリリーが大好きで、悲しいんだよ。まだ若いし……」
「しかし、この者は自分の身に起きた奇跡を何もわかっていないようなので」
キルトはララの言葉に、怒りはしなかったが、悔しそうな表情で視線を落とし、焼けたような黒い地面の砂を握り締めた。
「聖女様。俺、救ってもらったのはわかるけど。リリーがいない世界は、死んでるのと同じなんだよ」
「ええ、わかります」
「わかるって……聖女様も、誰かを失ったことがあるのか?」
「はい……私の世界を、全て」
まだ、全てを諦めたわけじゃない。ある日、目覚めたら、あのどうでもいい、まともで退屈な、正しい日々が戻って来るのかもしれない。
でも、家族も友人も知り合いも、推しも好きな漫画も、好きだった場所も景色も空気もみんな、俺は今、失った状態だ。そしてそれは、もう二度と戻らないものかもしれない。
もしそうだとしたらそれは、悲しいことだ。今は、あそこに戻れない確信がないということを逆手に取って、どうにか平常心でいるだけだ。
「そっ……か。それなのに、そんなに、穏やかに笑えるのか? そんな日が俺にも来るのか?」
「ええ。きっと来ますよ。命あっての物種……って、いいますしね」
「それってどういう意味?」
「あー……ほら、あなたの世界はまだ生きてるってことです。そこには私もいます。だから、ほら、約束してくれますか?」
手を差し伸べると、キルトは真剣な表情で頷いて、手を取り、立ち上がった。
リリーの特徴を聞いた後、安全な方向へと帰るキルトを見送って、俺たちは再び魔女の館へと向かった。
魔女と、キルトの仲間のリリーがいるはずの、その館へ。
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