第10話 棒立ちの街


 商業都市、マルスアール。その外側は魔物の侵入を防ぐために、他の中程度の都市と同じように、分厚い城壁で囲まれている。


 ルースと部下たちに護衛されて、乗り心地最悪の馬車で尻をすり減らしながらその外側にたどり着くと、都市の周りを既に軍隊が包囲していた。


「ルース様。お待ちしておりました。現場を任されております、ロイ・エッカートです。そちらが例の……」


 赤髪の兵士が一人、素早く駆けつけて敬礼した。

 ロイと名乗った小麦色の肌をした青年は、ルースよりも少し年下に見えるが背は高く、軍人らしくきびきびとした動きで挨拶をした。


「ご苦労。彼女が第十聖女のメイティアだ。丁重に扱うように」

「メイティアです、よろしくお願いいたします」


 フィーナに教え込まれた通りに、丁寧にお辞儀をする。あれだけ徹底して仕込まれれば、猫をかぶるのもお手の物だ。こそばゆい感じは消えないが。


「聖女様。お待ちしておりました。どうかマルスアールの人々をお救い下さい」

「ええ、最善を尽くします」

「そちらの方は?」

「私はララ・スキュラ。主様の娘であり恋人でありまたある時は」

「あー! あー! 気にしないで。彼女は侍女です。護衛兼侍女です!」

「侍女のララ様ですね。どうぞよろしく。さて、時間がありません。穢人も浄化が遅れれば手遅れになります。こちらへ」


 危うくララとセットで頭ハッピー聖女にされるところだった。しかしロイはてきぱきとしていて、余計な詮索をしなかった。からっとしていて、いつも勿体ぶった物言いのルースよりよっぽど好感が持てる。


「門は全て閉鎖済み、外壁上方の安全は確保してあります。長梯子をかけてあるので、そこから登れます。ただ引っ掻けただけの梯子ですから……まずは私とルース様で偵察して、計画を立てますか?」

「いえ、私とララも上がります」

「しかしかなりの高さで……」


 ロイはどう断ったものかと、困ったようにルースの方を見た。


「ロイ、彼女も戦うためにここに来たんだ。余計な気遣いは不要だよ」

「……であれば口は挟みません。出過ぎたことを申しました。お許しを」

「いえ、お気遣い感謝いたします」


 ルースに一言言われればロイはすぐに引き下がった。ロイが軍人らしく聞き分けがあるのか、あるいはルースがそれだけ偉い立場ということかもしれない。自分の行くところどこにでも出張ってくるので、ルースがそれなりの立場だということをたまに忘れそうになる。


 そんなわけで、四人と最低限の護衛をつけて、ひとまず偵察のためにその外壁へ登ることになった。

 門の近くの穢人に気づかれないように、姿勢を低くして静かに外壁に近づく。


「門は閉じているんでしたね。穢人が出てくるのを防ぐためですか?」

「ええ。封じ込め、あるいは隔離と言ってもいいでしょう。穢気が広がって聖女様がいらっしゃるまでの一般的な一時的措置です」

「しっかりしてますね……」

「今やそのための王国軍です」


 かつては人間同士の為に創設された王国軍も、今は専ら魔物や穢気の相手をしているということだろうか。

 二十メートルはあろうかという外壁は、近づいてみるとなかなか迫力があった。そこに城壁攻略用の長い梯子が、てっぺんまで届くように立てかけられている。


「先に上がって安全を確認します。少々お待ちを」


 ロイは驚くほど素早く梯子を上って、あっという間に外壁の上へとたどり着いた。例えは悪いがこれだけ速いと、まるで壁を這う虫のようだ。


 少ししてロイは下を覗き込み、来ても構わないと手招きした。ルースの部下が数人、続いて梯子を上る。


「どうぞ、聖女様」

「ええ。失礼します」


 ルースが芝居がかった仕草で、先に登るよう促した。作り笑いで応じて、梯子に向かおうとすると、突然ララがそれを引き留めた。


「メイティア様の後ろは私が。ルース様はお先にどうぞ」

「ララ? どうしたの?」


 意図がわからずララとルースの顔を見比べていると、ルースは肩をすくめて言った。


「ララ、私はメイティアが落ちた時に受け止められるようにだね……」

「存じております。ですから後ろは私が務めます」

「そうかい。君が居てくれて助かるよ、全く」


 言葉とは裏腹に全く助からなさそうな顔をして、ルースは梯子を登っていった。よくわからないが、足を滑らせてもルースの代わりにララが受け止めてくれるということらしい。


「ありがとう?」

「はぁ……そう無防備では先が思いやられます」

「んん……?」


 珍しくララから呆れてため息を吐かれてしまった。

 ララの様子が気になったが、自分の番なので、とりあえず梯子に足を掛けた。


 そろそろ終わりかと上を見上げると、まだまだ半分ほどだった。梯子は簡素なつくりで、手足を掛ければ軽く軋む。確かに、後ろにララがいないとかなり不安だったかもしれない。助かった。


 下を見ると、ララは注意深くこっちを凝視してくれていた。落ちるはずないと思っていたのが、無防備というのも今言われてみればその通りだ。やっぱりララは可愛くていい子だな。


 頂上にたどり着いて塀を超えると、外壁の上は想像よりも広く、木箱の物資や武器も置かれていて要塞のようになっていた。


 街側の塀の前で、ロイが足場の木箱を用意してくれていたので、軽く頷いてその上に上った。


「うわぁ……ひどいですね」


 外からは全く見えなかったが、そこら中に穢気の黒い沼が現れていた。

 至る所に、町人がその場に突っ立ったまま立ち止まっていた。フィーナの話では、穢人は獲物を探すように徘徊するという話だったが、彼らは微動だにせず、固まったように突っ立っている。


 その瞳が赤く光っていることは遠目からでもわかった。おかげで普通の人間と違うということは見分けがつく。


「まるで時間が止まったみたいですね」


 街全体でフラッシュモブでもやっているかのようだ。まさか新人聖女への恒例のドッキリじゃないよな?


「確かに生きていて、近づけばみんな呼吸をしているのがわかります。自分から獲物を探しはしないのに、近づけば周囲の穢人と示し合わせて襲い掛かって来るんです。なんというか……こんなことは初めてです。おかげで街の封鎖は楽に済みましたが……」

「私も初めて見る。不気味なことこの上ないな。穢気溜まりの場所に心当たりは?」

「推測ですが……避難した者の話を総合すると、中央の噴水広場にあるのではないかと。最初に穢人が目撃されたのも街の中央付近で、追われた人々も中心部から追われながら街の外へと逃げてきたと証言しています」


 わざわざ街の中心に汚染物質を置くとは。魔物は案外戦略的なのだろうか。


「できるだけ穢人を刺激しないようにしながら、最低限の人数でメイティアを護衛し、中央広場を目指すしかなさそうだな」

「ええ。街に詳しい者を選定しますが、護衛の方は?」

「私の部下から出そう。メイティア、それでいいかな?」

「ええ。それしか無さそうですね」


 特殊な穢人たちは、近づけば周りの穢人たちと一緒に攻撃してくるらしい。ならば極力見つからないようにしながら中心部へ向かい、穢気溜まりを浄化してしまう必要がある。


 しかし穢人の様子がおかしいということを考えると、広場にいるのは穢気溜まりではなく穢気核を持つ、穢人を操れる魔物の可能性が高い。


「いいえ、もう一つ方法があります」


 作戦が決まりかけていたところでララが口を挟んだ。


「他にどんな方法があるんだ?」


 ルースはララの意見でも無下にせず、まずは話を聞こうとしていた。しかしロイは侍女にすぎないララが口を挟んだからか、微かに表情を強張らせた。


「私と主様で、直接中央広場へと降り立ち、穢気溜まりを浄化するのです」

「直接? ララ、君は実は、空でも飛べるのかい?」

「似たようなことができます。説明するより、お見せした方が早いでしょう」


 ララがそう言うと、ララのドレスの裾から、地面に向かって触手が伸び、地面に先端を突き立てた。

 ララの周りの地面に円を描くように、何本もの触手が突き立つ様子は、傘の骨を全て地面に突き刺したかのようだ。

 そして、地面につき立った触手はそのまま伸び続けた。


 そうしてついにララは両足を地面から離して、触手だけで身体を支えた。ララは今や、タコの様に腰から伸びた触手だけで地面に立っている。


「おお……こうしてみると、君がスキュラだということを思い出させられるな」

「ルース様、聖女様! これは!?」


 ロイと周りの護衛たちは、素早く武器を抜いて構えた。さっきまで人間だと思っていた奴が突然触手で立ち始めたら、当然の反応だ。


「ロイ君。武器を収めてくれ。詳しいことは話せないが、彼女に敵対の意思はない」

「大丈夫、大丈夫です! ですからどうか、武器を収めて下さい……!」


 ルースに続いて、必死に説得する。もちろん、ララを心配しているわけじゃない。


「へっ?はあ、しかし……いえ……わかりました。君たちも武器を下ろせ」


 ロイは戸惑いながらも武器を収め、部下たちにもそうするように命じてくれた。

 危ない危ない。彼が物分かりのいい兵士でよかった。

 多分、もう少し武器を下ろすのが遅れていたら、ルースと自分を残して、ここはただの血だまりになっていたことだろう。


「それで、それを使ってどうやって?」

「そうして、このように」


 ララは触手を全て折り曲げて、少し体勢を低くすると、一気にバネの様に反発させて、自分を打ち出すように空中へと跳躍した。


「うぉっ!?」


 風圧に驚いて身体を庇った後、みんな一斉にララの飛んでいった方向へと身体を向けた。


 ララは遥か高いところを、触手を伸ばしきって抵抗を減らし、螺旋を描きながら飛んでいた。まるで墨を吐いて素早く逃げるタコみたいな様子だ。

 そして流星の様に街の方へと落ちていき、建物の屋根の上で再び触手を広げると、何本もの触手へ衝撃を分散、吸収しながら無事、着地した。


「おいおい、彼女は何でもありなのか?」


 ララの人間離れした移動方法に、さすがのルースも額に手を当てて、頭を悩ませている。ロイたちは言葉を失って、ララの方を見下ろしていた。


 なるほど。屋根の上にいる穢人なんてほとんどいないから、あれを使って屋根を渡り歩けば、直接中央広場まで行けるというわけだな。


 おい……待てよ? 何か嫌な予感がしてきたぞ。

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