9.浜辺到着

 旅客機の墜落現場から懸命に歩いて、ようやく浜辺に辿り着いた一同は、砂浜に立って海を見つめながら深呼吸した。心地よい潮風に癒される。


 東京の海水浴場よりも透明度が高い青い海は息を呑むほど美しく、死神が棲んでいるとは思えない。とても幻想的だ。


 類は、ずぶ濡れの前髪をかきあげてから女子に顔を向けた。ジャングルから砂浜へと張り出すように植物が茂った場所がある。類はそちらを指さして言った。

 

 「濡れた衣服を脱ぎたいだろ。俺らから用があるときは、適当に近寄って大声で呼ぶから、そのときはよろしく」


 女子は類が指さす方向に目をやった。奥まった位置に入れば、ここからは見えないので、安心して脱衣できる。それに会話も漏れない。


 綾香はうなづいた。

 「わかったよ」


 湿った服を脱ぎたかった女子は、類が指さした場所へ駆けていった。男子は靴とジーンズを脱いで下着一枚になり、砂浜に腰を下ろしてから、女子の後ろ姿を一瞥した。


 翔太は自分たちに視線を戻す。

 「トランクスも海パンも変わんないよな」


 純希が冗談を言う。

 「でもあくまでトランクスだ。ガードが甘いから、はみちんには気をつけろよ」


 元気がない類の代わりに、ムードメーカーを努める純希の冗談に、みんな笑い声を上げた。ようやく海に辿り着いたのだ。こんなときだからこそ笑いが欲しい。


 「忠告ありがとう。はみちんには気をつけるよ」笑いながら言った翔太は、大きな流木を指さした。「脱いだ衣服をまとめて置こうぜ。しばらくトランクスで過ごそう」


 いつもの類ならおもしろい返事をしてくれる。こちらとしては元気がない理由を説明してくれるのを待っている。それなのに、いつまで経っても言おうとしない。


 純希は率直に尋ねる。

 「鏡の世界で何かあったんだろ? いい加減、教えてくれてもいいじゃねぇの?」


 みんなも類の様子に気づいている。


 類は、みんなの本心を知るのが怖かった。だが、おもいきって訊いてみた。

 「俺のことどう思ってるの?」


 類の問いかけに全員の目が点になる。


 純希は訊き返す。

 「意味がわからないんだけど……ちゃんと説明してもらえると助かるかな」


 類はもう一度訊く。

 「俺のこと友達だと思ってる?」


 質問の意味を理解したので答える。

 「当たり前じゃん。友達以外と一緒にいるなんて嫌だよ」


 明彦も同じ意見。

 「俺も友達以外とわざわざ過ごしたくない。気を使うだけだ」


 突然の今更な質問だ。翔太は首を傾げる。

 「みんな友達だ。でも何でそんなこと訊くの?」


 鏡の世界で見た現実世界の生徒たちの様子を教える。

 「うちのクラスの補習の生徒も、ほかのクラスの生徒も、俺たちがこんな目に遭ってるのにいつもどおりだった。誰も俺たちを心配してないんじゃないかって寂しく思ったんだ」


 翔太は思わず笑いそうになった。

 「寂しくって、ガキかよ」


 ふて腐れた子供のようにちょっぴり下唇を突き出した。

 「だって……」


 「補習の連中とそこまで仲良くないじゃん。それに鏡に映っていた生徒の名前、類だって知らないだろ? 立場を逆にして考えてみろよ。事故に遭ったのがそいつらだったら、俺らだっていつもと変わらない日常を送ってるよ」


 「でもクラスメイトは別じゃん」


 「お前みたいにクラスメイトはみんな友達なんだって社交的な考え方のやつと、仲良し以外とは喋りたくない内向的なやつだっているんだ」


 明彦が言った。

 「けっきょくクラスメイトって、先生が勝手に決めた卒業までの強引な運命共同体だもんな。中学のころは人見知りしたし、友達なんていなかったもん」

 

 純希は普通の友達は全員の身を案じてくれていると信じている。

 「でもさ、うちの学校も他校も含めて、仲良くしていた友達は心配してるはずだよ。名前も知らないやつじゃなくて、ちゃんとした友達な。類は浅く広くが多すぎるんだよ」


 「かもしれないけど……なんかショックだ」


 純希は両腕を空へと突き出し、背筋を伸ばしてから、頭の後ろで腕を交差させて砂浜に横になった。

 「細かいことは気にしないのに、そういうところは繊細」


 落ち込んだ理由を教える。

 「みんなが俺らのことを忘れちゃったらどうしようって、マジで不安になったんだ。自分の存在が消えちゃう気がして怖かった……」


 「自分の存在が消えるなんて、そんなわけないだろ。みんな盛大に迎えてくれると思うぜ。食事会でもしてくれないかなぁ」


 自分よりも純希のほうが楽観的だなと思った。

 「呑気な考え」


 純希は軽く笑ながら背を起こした。

 「新学期は食事会決定だ。もちろん先生とクラスメイトの奢りで。とにかく、みんなお前のことを親友だと思ってるよ」


 明彦が類に言う。

 「純希の言うとおりだ。安心しろ」


 みんなからどのように思われているのか不安だった類は、解決して安心する。

 「新学期が楽しみだ」


 明彦は、類の気持ちの切り替えの早さを見て、思わず笑ってしまう。

 「単純なやつ」


 類は明彦に言い返す。

 「単純でわるかったな」


 突然、物思いにふけった翔太がため息をついた。

 「新学期かぁ……」


 純希は翔太に訊く。

 「どうしたんだよ?」


 翔太はため息をついた理由を言う。

 「いや、話が逸れてわるいんだけど……新学期から本腰入れて頑張らないと、いつも赤点ギリギリだし、マジで成績がヤバいんだ。居眠りしてる場合じゃなさそう」


 「お前よくうちの高校に入れたよな」


 「それ、母さんにも言われる」苦笑いする。「中学までは授業中に先生の話さえ聞いていれば勉強なんてしなくてもできたんだ。成績なんて学年トップクラス。まぁ、それもいまとなっては虚しい自慢、過去の栄光」 


 「お前、将来やりたいことかないの?」


 純希の質問に満面の笑みを浮かべた。

 「人生、楽しみたい」


 「なんだ俺と同じかよ」笑いながら言った。「だけど、どうして補習予備軍になっちゃったわけ?」


 「偏差値が高い高校に入学すると、五教科もハイレベルになるってわかっていたけど、想像以上でびっくり。ワンランク下の高校にしときゃよかったなぁって、何度も後悔したよ。

 お前らと友達になってなかったら、編入試験を受けていたところだ。頑張っても勉強が難しすぎてついていけないのがその理由」明彦に顔を向けた。「がり勉してるのは知ってるけど、お前みたいに難しい勉強が要領よくつぎからつぎへと頭に入るやつが羨ましいよ。まるで歩くマッキントッシュだ」


 驚いた表情で否定した。

 「マッキントッシュ? ちょっと待ってよ、それは誤解だ」


 「謙虚にならなくていいから。ぶっちぎりで頭いいんだし。いつも学年トップじゃん」


 否定した理由を言う。その表情はどこか暗かった。

 「ちがうんだ……その反対だよ。やらないとついていけないんだ。中学のころから必死だった。大学生の兄貴がいるんだけど、すごく優秀でいつも比べられていた。代々医者の家系だから、できて当たり前って考え方で……本当に大変なんだ……。

 医者になれなきゃ自分自身の存在価値もない。どんな状況でも学校や塾に行かないと勉強が遅れる。成績が下がっては、それこそ俺の存在価値がなくなってしまう。そう思い込んでいたから……つねにプレッシャーで苦しかった」


 明彦の自宅に遊びに行くと家政婦がいる。手荒れひとつない綺麗に着飾った母親。光り輝くダイヤモンドの指輪に、ネイルサロンで手入れされた爪が印象的だった。


 平凡な家庭の類や事業で失敗した純希の母親は、パートに炊事洗濯、働く主婦の手。あかぎれなんてしょっちゅうだ。髪を染める暇もなくて、たまに白髪がちらほら。裕福な家庭の明彦が羨ましいと、ずっとそう思っていたので、初めて聞かされる苦悩に哀れみを感じた。


 類は質問した。

 「お前自身が医者になりたくて頑張ったことってあるのか?」


 明彦は答える。

 「ひとの命を救う仕事なんて誰にでもできる職種じゃないし、こんな俺でもひとの命が救えるなら……いまは自分の意思で医者になろうとしている。でも当時は、ひとを助けるよりも自分が助けてほしかったから、須藤家に産まれたことを恨んだよ」


 ごくふつうの家庭で育った類とは異なる明彦の悩み。一般家庭ではそれぞれの経済事情によって、将来を左右されることもある。類の家庭も四年制の大学には通えないが、二年制の専門学校になら通わせてもらえる。ゲームクリエーターになることが幼いころからの夢。その夢が叶う人生でよかったと思った。

 

 明彦は話を続けた。

 「自分だけがどうしてこんな思いをしなきゃいけないだろうって苦しんでいた時期に、フレンズっていうサイトで、俺と同じ境遇のユーザーと友達になったんだ。それから、そいつにいろんなことを打ち明けて、ずいぶんと心が軽くなった」


 純希が目を見開いた。

 

 (フレンズってまさか……)


 明彦は口元に笑みを浮かべた。

 「ぼっちだったのにネットで友達が見つかるだなんて嬉しかった。SNSに感謝したよ」


 純希は尋ねた。

 「フレンズで出会ったユーザーとはいまでも友達なわけ?」


 目に薄っすらと涙が浮かんだ。

 「同じ高校に進学してリアルな友達になろうなって約束してたのに……死んだんだ」


 明彦から顔を逸らした純希は、ユーザーの死因について、およその察しがついたので、余計に申し訳なく思う。

 「ご、ごめん。わるいこと訊いちゃったな。気の毒に」


 気まずい空気が漂うと、それを感じた明彦は腰を上げて、遠くを指さした。

 「こっちこそ暗い話しちゃってごめんな。ちょっとその辺を散策してくる」

 

 明彦を心配した類が声をかけた。

 「あんまり遠くに行くなよ」


 「うん」と返事し、浜辺を歩き出した。


 明彦とこちらとの距離が開いたところで、純希が小声で全員に訊いた。

 「お前らフレンズってサイト知ってる?」


 互いに顔を見合わせた。


 類が答えた。

 「知らない」


 小声で教えた。

 「表向きはごくふつうの雑談をするサイトなんだ。だけど、蓋を開けてみれば死にたいやつらの集い」


 二人は動揺した。


 類は言う。

 「それって自殺サイトじゃん」


 「そうゆうこと。明彦の友達だったユーザーの死因は、たぶん自殺」


 明彦が自殺サイトにログインしていなんて信じられない。だが……彼が隠していた中学時代のつらい過去のできごとを、翔太が少しばかり知っていた。


 「明彦と同じ中学出身のやつと友達なんだけど、あいつ……いじめに遭っていたらしい。だから明彦と友達だってそいつに言うと意外な顔してたよ。あんな暗いボンボンとってね。あいつにとってフレンズであったヤツが唯一の友達だったのかもな」


 明彦の過去を知らなかったふたりは衝撃を受けた。


 純希は言った。

 「明彦は頼りになるし、いいやつだよ。だいたいに、いじめられて明るいやつなんかいるわけないじゃん」


 類は明彦を想う気持ちを口にする。

 「明彦は俺たちと一緒に、いまこの瞬間を生きてる。あいつにいじめられる要素なんかひとつもない。いつもどおり振る舞おう。だって、明彦は俺たちの大事な友達なんだから―――」


 そのとき、波打ち際を歩く明彦は、決別したつらい過去を思い出していた。


 将来は絶対に医者にならなければならない。優秀な兄と比べられるたびにプレッシャーを感じながら、つねにその背中を追い続けていた。


 比べられることがつらい。この劣等感から逃れたい……。


 気がつけば教科書と参考書がいつも一緒にいる友達。周囲から孤立してしまった自分。そして、いじめの対象となってしまった。


 ストレスが溜まるたびに過食してしまう。太りやすい体質のせいで、体重の増加が原因でついたあだ名は、眼鏡豚、がり勉豚。


 学校なんか行きたくなかった。どれだけつらくても学校に行かないと勉強が遅れてしまう。泣きながら登校するしかなかった。それでもたまにひとり寂しく公園のベンチに座り、学校を休んだ日もあった。


 周囲との遅れが怖い。勉強だけじゃない、人生そのものに恐怖を感じていた。自分だけが世の中に取り残されている……そんな気がした。登校拒否も怠け病なんかじゃなくて、本当につらいことなんだと叫びたかった。


 いじめを相談できる相手もいない。親は成績優秀な完璧な息子しか見てくれない。家にも学校にも居場所がない。友達もいない。みんなが当たり前に持っているものを、自分は何ひとつ持っていない。


 “ない” が当たり前になってしまった自分が虚しくてつらくて……身も心もボロボロで疲れた。もう死のうと思った。死にたくて、死に場所を探して自殺サイトに辿り着いた。


 そんなときだった―――俺と同じ境遇で苦しむあいつと出会ったのは―――


 彼のハンドルネームは透明人間。


 名前の由来は、親にすら自分の姿が見えていない気がするから……


 あいつも言った、死にたいよなって。初めはほかのユーザーと同じように心が病んでいた。でも日がたつにつれ、死にたい気持ちが和らいでいった。


 きっと、なんでも話せる友達ができたから。周囲に死ねと罵られても生きていけると思った、あいつと一緒なら―――


 目指す高校も同じで一生の親友。


 サイト以外でもやり取りができるように、ツイッターのDMでスマートフォンとパソコンのメールアドレスを交換した。LINEのように楽しい機能は使えないけど、LINEいじめを受けていた俺は、LINE恐怖症だったからしかたない。それでもすごく楽しかった。


 互いに本名は明かさず、高校に入学したら探し合おうって、ガキみたいなことを言い合っていた。絶対に高校で会おうな! そう約束していたのに、それなのに……あいつは中三の冬に自殺した。たったひとりで首を吊って命を絶ったそうだ。


 その悲しい死を知ったのは、あいつのスマホから送信されたあいつの母親からのメール。いつもどおり互いに勇気づけ合うメールだと思ったのにショックだった。人生であのときほど泣いた日はない。


 もし、あいつが生きていたら俺と一緒にここにいたはずだ。


 あいつ以外の友達なんかできるわけないって思っていたのに、類が純希たちを引き連れて “勉強を教えてくれ、がり勉博士!” って言いながら、俺の席に集まってきたんだ。中学のころ、悪口で言われていたあだ名のがり勉が、いまでは仲間内のあだ名だ。


 信じられるか? こんな俺にたくさんの友達ができたんだ。それも好き勝手言いあえる最高の友達が。


 ストレスで増加していた体重も、精神の安定とともに少しずつ元に戻っていった。油断するとすぐに太ってしまう体質だから友達より肉づきはいいけど、以前よりもずっと引き締まったと思う。


 あした何が起きるかなんてわからない。だから苦しみが続くと苦しみしか見えなくなる。そして目の前の現実に絶望してしまう。そんなとき、未来に希望があるだなんて考えられないだろう。


 たとえ希望を信じて前に進んだとしても、ぬか喜びや挫折の繰り返し。笑った数よりも、泣いた数のほうが多い。つらくて死にたいと叫ぶ日々に苦悩する。誰にも受け入れてもらえない、もがき苦しむ気持ち。


 這い上がろうと頑張っても、立ちはだかる人生の壁は想像以上に険しい。


 未来が見えなくなる。涙で見えなくなるんだ。


 そして思う……こんな人生いっそうのこと投げ出してしまいたいと……。


 目の前が暗闇に染まる前に、人生には必ず光がある、ということを知る方法があれば、自殺者の人数は漸減されるだろう。あいつも死なずに済んだはずだ。だけど、いまを生きる俺たち人間に、未来を知る方法なんてないんだ。


 だけど俺は学んだ。人生の試練を乗り越えたあとには必ず得られるものがあるということを。


 そしてそれを、あいつと一緒に学びたかった。

 

 生きてさえいたら……


 自殺せずに生きてさえいたら、あいつの未来にも光があったのに―――


 「どうして……死んだんだよ……」


 明彦は、たった十五歳で命を絶った名前も知らない親友を思い出して泣いた。


 眼鏡をはずして涙を拭ったとき、視線の先に鍋のようなものが見えた。


 なんだあれ? こんなところに鍋? いや、鍋の形に似た岩か流木か? 


 眼鏡をかけて、鍋らしき物体に視線を集中させた。


 やはり、鍋だ。


 明彦は鍋に駆け寄り、拾い上げた。海水にさらされて錆びた鍋底には凹凸があり、劣化も激しいが、使い古され、年季が入っているようにも見えた。


 鍋から波打ち際へと視線を移した。その視線の先には、歯磨き用のプラスチックの白いコップが落ちていた。明彦はそちらに歩を進め、コップを拾い上げた。内側も側面も傷だらけだ。これもまちがいなく漂流物。

 

 (そうだ、鍋は雨水を溜めるのに使うことにしよう。偶然とはいえコップまで手に入るなんてついてる)


 拾った漂流物を眺めて満足げな表情を浮かべたあと、はっとした。


 この漂流物、生活感がありすぎる……


 なぜ、鍋やコップが漂流してここに辿り着く? 


 異世界の鍋とコップ?


 それとも、ここは現実世界なのか?


 いや、それはないだろう。


 どう考えてもこの島は現実世界ではない……


 両腕を胸の前で組んで考え込んでいると、類に名前を呼ばれたので、後方を振り返った。すると、綾香たち姿が見えた。濡れた衣服が嫌だったのか、三人とも下着姿だった。下着風のビキニと思えば、自然かもしれないが、女子の下着姿を初めて見る明彦は、内心ドキドキした。だがいまは、女子の下着姿に見とれている場合ではないので、気持ちを切り替えて彼らへと歩を進めた。


 するとすぐに、一同のざわめく声が聞こえてきた。鍋とコップを手にしているのだ。驚くのも無理はない。


 一同の許に戻った明彦は、「波打ち際に落ちていた。謎のお土産だ」と言って、類の隣に腰を下した。


 男子は明彦の過去を知った。だが、古傷に触れる必要もないので、いつもどおり接した。これからもずっと、頼りがいのある親友だ。


 「謎すぎるだろ」類は、明彦に訊いた。「どうしてこんな場所に鍋とコップが?」


 「そんなこと俺にだってわからないよ」


 「漂流物なんだよな?」


 「うん……たぶん。だって、それ以外考えられない」明彦は答える。「ここが異世界なのか、それとも現実世界なのか、ますますわからなくなってきた。だけど、すべてのできごとを合わせて考えると、ここが完全な現実世界とは思えない……」


 「生活感のある漂流物がここに流れ着くってことは、ひとが住んでいる島があるってことだろ? ましてやここが異世界なら、どんな連中が住んでいるかなんてわからない」


 漂流物が落ちているということは、有人の島が存在する。


 翔太が言う。

 「ふつうに考えて、生活しているやつらがいないと鍋なんかないよな……」


 「ちょっといいかな?」綾香が考えを言いたい。「異世界の島がほかにあるわけじゃなくて、鏡がここと現実世界との境界線みたいなものなら、海のどこかに現実と異世界の境界線が存在するかもよ。

 ひょっとしたら、その境界線をなんらかの理由で越えてしまった現実世界の漂流物なんじゃないのかな? 現にあたしたちも墜落時の衝撃が原因で、この奇妙な島にワープした可能性だってあるんだ」


 その意見に明彦は納得する。

 「なるほどね」


 類は鏡の世界で理沙に訊かれたことを思い出す。

 「そういえば、理沙がバミューダトライアングルの伝説みたいな現象が起きたのかって、俺に訊いてきたんだった。たしかにその伝説も、異世界と現実世界とのあいだにある特殊な境界線やゲートを通り抜けないと起きない現象だよな」


 「魔の海域、バミューダトライアングルか……」明彦は胸の前で腕を組んだ。「飛行機や船が突然消える奇妙な現象。消えたはずの飛行機が長い時を経て空港に出現して……機内を覗いてみれば、搭乗していた全員が白骨死体になっていたって話を聞いたことがある」


 「いいこと思いついた」海を見渡した類は閃いた。「木が硬すぎて切り倒せないなら、流木を集めて筏(いかだ)を作ろう」


 「筏? そんなもの作ってどうするんだよ」


 「もし海のどこかに現実世界へと繋がるゲートが存在するなら、漂流してるうちに現実世界の海へ出られるかもしれないじゃん」


 「危険すぎるだろ」


 「どうして?」


 あたりまえの説明する。

 「素人の手作り筏で大海原を横断するんだ。無謀にもほどがある。墜落で生き延びたのに、高波にさらわれて溺死だ」


 純希は呆れた表情を浮かべる。

 「鮫の餌のち鮫の糞ってこと」

 

 翔太にも言われる。

 「だから思考が中二なの、お前は」


 真剣に提案したつもりだった。

 「なんだよ、俺なりに考えたのに」


 道子が類の肩に手を置き、「つぎは理沙が惚れ直しちゃうようないいアイデアを待ってる」と慰めた。


 腐れながら礼を言う。

 「優しい言葉をありがとう」


 綾香は何気ない質問をする。

 「海にゲートがあるなら、この島の中にもあっても不思議じゃないよね?」


 「あるかもな」明彦は返事する。「海だろうと陸だろうと、俺らがこの島に来たのは、それが関係しているはずだから、ゲートを探して現実世界に戻る。けど、難しいよな。だって目に見えないんだから」


 「ねぇ、飛行機が墜落した衝撃が原因でこの島にワープしたとすれば、境界線やゲートに関するヒントが墜落現場にあるかもよ。もし、ツアー会社が関連していたとしても、同じように墜落現場に何かがあるような気がするの」


 結菜の発言で静まり返った。


 旅客機の墜落現場には戻りたくない……


 多湿高温の野外に生肉を放置しているのと同じ状態なのだ。いまごろ鼻を刺すような腐敗臭が漂っているはずだ。


 だが結菜が言うように、旅客機の墜落現場にヒントがあるとすれば確認する必要がある。あのときは死体を見たくなかった。それに死体と旅客機の残骸以外何もなかった……とはいえ、くまなく確認したわけではないが。


 「墜落現場までまっすぐ進めたとしても、けっこう歩くよなぁ」類はため息をついた。「けど……戻る価値はあるよな。てゆうか……戻るべきだよな……」


 翔太は顔を強張らせた。

 「またあの現場に戻るって? お前、正気かよ。行って何もなかったらどうするんだよ?」


 類は翔太に言った。

 「わずかでも可能性があるなら確認してみるべきだよ。じゃないと俺たち、マジで一生この島から抜け出せないかもしれない」


 明彦も類の意見に賛成した。

 「潮風を浴びててもなんの解決にもならない。俺も行くべきだと思う」


 結菜は類に顔を向けて、気まずい表情を浮かべた。

 「あのね……自分で言っといてわるいんだけど、墜落現場に戻るだなんてあたしには無理だよ」


 「体力勝負だし、男子が行く。もしゲートらしきものがあった場合、鏡の世界で知らせる」


 「ごめんね、役に立たなくて」


 またもや雨が降ってきた。鍋底に打ちつける雨音が周囲に響く。脱水症状を起こすよりましだろうと考えなくては身が持ちそうにない。

 

 類はぼやく。

 「どうせなら掘っ立て小屋が漂流物ならよかったのに。小さい雨除けでもいいよ、なんとかならないのかな」

 

 純希が鍋を手にして、類の頭に被せた。

 「すげぇじゃん。お前だけの雨除けだ。よかったな」


 頭に鍋を被った類は、純希に言い返す。

 「よくねぇし。前見えないから」


 「ある意味おしゃれだ。トランクス一枚に鍋を被った野郎なんかいない」翔太は類の頭の上の鍋を軽く叩いて笑う。「イケてる」


 「だったらこれで渋谷を歩いてみろよ」


 「俺には無理だけど、お前なら歩けそうだ」


 明彦は笑った。

 「現実世界に戻った初日のデートはそれで決まりだな」


 純希は言った。

 「それはさすがにふられる」


 「独り身だからって僻むなよ。頭に鍋を被ったくらいじゃふられない。理沙の愛は深いんだ」


 「だったらそれでデートしろよ。写メ期待してるぜ」笑いながら立ち上がった純希は、海に向かって叫んだ。「くっそ! もうヤケクソだ! 異世界スコールでもなんでもこい!」


 類も頭に鍋を被ったまま立ち上がった。

 「俺たちは絶対に生き延びてやる!」


 明彦が提案する。

 「ジャングルで切り上げた島の謎解きをこの雨の中でしよう。どうせいつも雨だ」


 綾香は言った。

 「夜の学校でいいんじゃない? この状況がツアー会社の罠によるものなのか、それを明らかにさせてから謎解きしたほうがいいと思う。そのために理沙に協力してもらうんだから」


 ふたりの意見に納得しので、聞き返す。

 「まぁ、いいけど。だったら、夜までどうする?」

 

 綾香は満面の笑みを浮かべて、海を指さして答えた。

 「雨の中、遊ぶしかないでしょ! 気分転換も必要だよ。だってせっかく海に辿り着いたんだから」


 「賛成!」と、最高の笑顔を見せた道子は、綾香と手を繋いで海に向かって走った。


 ふたりは教室にいるときのように笑い合う。それを見た一同も、一斉に足を踏み出した。謎解きの続きは夜にして、いまは遊ぶことにしよう。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る