6.カラクリ

 けたたましいアラーム音が響く―――


 見慣れた校内にいた一同は一斉に瞼を開いた。薄暗い空と鬱蒼としたジャングルが視界に広がった。太陽が昇った時間帯に比べれば、ずいぶんと涼しい。


 純希はスマートフォンを手に取り、アラームを解除した。そのさい、画面に表示されている時刻を確認した。


 <8月1日 火曜日 6:00>

 

 類たちもスマートフォンの画面に表示されている時刻を確認した。教室の壁時計も同じ時刻だった。もちろん全員がその時刻を記憶している。そして、全員が同じ夢の中にいることを確認するために、合言葉まで決めた。


 奇妙な夢の内容を思い出しながら、スマートフォンを所持する一同は画面を見つめた。


 気にならないと言えば嘘になる……夢と同じ時刻なのは偶然だ……と、思いたいが、やはり何かが変だ。


 スマートフォンを所持していない道子が現在の時刻と、夢の中で決めた合い言葉を口にする。

 「現在の時刻は夢の中と同じ、六時。合い言葉は、鏡の世界」


 結菜は慄然とする。

 「これってどういうこと?」


 全員の身も凍りつく。

 

 もちろん合い言葉は覚えている。全員が同じ夢の中にいた、という何よりの証拠。そして夢の中で道子から聞いていた植物について確かめてみる必要がある。


 道子以外、周囲の植物に触れてみた。引きちぎれない。まるで作り物のように硬質。それなら何故、昨日は椰子の実を解体できたのか?


 仰向けで地面に転がる昆虫の死骸に目が留まった。植物は異様に硬質だったけど昆虫はどうなんだろう? と、疑問が湧く。


 類は昆虫の死骸を指さした。

 「こいつを踏んだらどうなると思う?」


 一同は類が指さす先に目をやった。


 明彦は言った。

 「植物が硬いんだから虫も鉄みたいに硬い……かもしれないけど、わからない。」


 純希が類に言う。

 「踏んでみればいいじゃん。そうすれば一目瞭然だ」


 類は昆虫の真上に靴底を重ねた。


 一同が注目する中、恐る恐る昆虫の死骸を軽く踏んでみた。乾燥した翅(はね)が、まるでピーナッツの薄皮のように崩れていく。植物は摘み取ることさえできなかった。それなのに、昆虫の死骸はあっけなく潰れた。


 人間が昆虫を踏めば潰れる、その当たり前の光景に安堵した。


 「潰れた……」類は潰れた昆虫をまじまじと見る。「植物は異様に硬いのに、虫はふつうの虫なんだ」


 道子はふと笑みを浮かべた。

 「虫まで石みたいだったらどうしようかと思ったよ」


 結菜は明彦に顔を向けた。

 「夢といい、植物といい、ふつうじゃないことばかり起きるからなんだか安心した」


 だが明彦には疑問が残る。生体はどうなのだろう? と、樹木を這う鮮やかな色の昆虫に目をやった。

 「……」


 「どうしたの?」と、結菜は返事しない明彦に訊く。


 明彦は樹木を這う昆虫を指さした。

 「死骸は潰れたけど、生体も潰れるだろうか?」


 「何言ってるの?」結菜は言う。「どっちも同じでしょ」


 「俺がやってみるよ」と、類が言った。


 類の立ち位置のほうが樹木に近いので明彦は任せた。

 「頼んだ。どうしても気になるんだ」


 「ちょっとかわいそうだけど踏むぞ」と、一同は合図を出した類を見つめた。


 脚を上げ、樹木を這う昆虫を踏んでみた。普通であれば、人間の足の裏と樹木のあいだに挟まれた昆虫は、見る影もなく潰れているはずだ。だが、昆虫は何ごともなかったかのように樹木を這い続けていたのだ。


 植物に続いて昆虫までも硬質。現実離れした光景に驚愕した。それならなぜ、死骸は潰れたのだろうか……と新たな疑問が湧いた。


 「死骸は潰れるのに生体はまるで石。生と死に大きなちがいがあるような気がする……」と、明彦は呟くように言った。「だって俺たちは椰子の木から落ちた椰子の実を解体して食べている。木から分離された果実は生命線が切れているのと同じ。だから解体できたのかも……」


 生と死に関係するものとは……


 全員が同じことを考えていた。


 夢の次は硬質な生体……何がどうなっているんだ?


 椰子の木から切り離された椰子の実は、生命線は断ち切られている。だから、簡単に解体できたのか……


 ここに根を下ろす椰子の木に登れたとしても、椰子の実は収穫できないだろう。庭先に生えているような雑草でさえ引き抜けないのだから。


 つまり、この島の生体は、なんらかの力に守られているということになる。踏み潰そうとした生体の昆虫も植物も、なんらかの不思議な力に守られている……


 だからこそ、あれだけ大破した機体の中で七人は生きていた。


 だが乗客は死んだ。七人以外の乗客は初めから死体だった? 


 ゾンビでもあるまいし、それこそ馬鹿げている。


 だったらなぜ……墜落現場に根を下ろす植物は、墜落時に薙ぎ倒されたのか……


 衝撃が強かったから? 


 いや、それでは単純すぎる……事はそう単純ではない。


 状況は深刻……


 類が大地に腰を下ろすと、一同も腰を下ろした。


 空が明るくなれば、どうせじきに暑くなる。頭上を覆う樹木の葉が日除けになっているので、それならここで話し合おう。時間ならたっぷりある。


 道子が真剣な面持ちで言った。


 「あれだけ大破した機体から、あたしたちだけが無傷で助かるなんて、最初っからみんな死体だったみたい……だから生体のあたしたちだけが助かったってことなのかな……でも、さすがにそれは飛躍しすぎてるよね」大地に根を下ろす雑草を引っ張り、強調する。「抜こうとしても抜けない。なぜ、乗客は死んだのか……あたしたちが生体だから助かったというなら、乗客だって同じだったはず……」


 類と明彦は、何も言わずに道子の話に耳を傾ける。


 明彦は俯く。ここでいま体験していることは非現実的だが、乗客が最初から死体だった……というのは、絶対に受け入れられない。鉄の機体が木っ端微塵になったというのに、全員が無傷で生きている。これが意味するものとは、いったい何なのか。


 「それが最大の疑問かも……俺たちだけが生きていて、どうして乗客が死んだのか……」


 「本当に死神が関係しているツアー会社だったりして。死神だったら時間の流れを自由自在に制御できそう。だから日付がきのうと同じなんだよ。それに、全員に同じ夢を見せることも可能なんじゃない? 死体だって動かせそう」


 結菜は顔を強張らせた。

 「死神って……やめてよ。どうかしてるよ、道子……」


 縁起でもないことを言うかもしれないけど、たったひとりだけ生き残ったというなら、九死に一生そして奇跡だと思う。全員生きてるんだよ、なんだか話がうますぎる。もしくは墜落時に異世界にトリップしてしまったとか……」


 一同はざわついた。


 綾香は強い口調で否定する。

 「異世界? 絶対ない。そんなことあるはずない」


 「だって普通の島じゃないよ……」


 明彦は言った。

 「それこそ死神とか異世界とかそこまでぶっ飛んだ話をしているわけじゃない。でも奇妙な島に墜落したとすれば、ここを異世界と呼ぶべきなのかもしれないし……とにかくどう考えても普通じゃないことは確かだ」


 今後の行動が生死を左右することになるだろう。自分たちの身になんらかの危険が迫っている気がする……真剣な面持ちで話を続けた。


 「だけどもし、ここがミクロネシアなら、救助ヘリが上空を飛ぶ日が必ずやってくる。だっていまごろ、捜索活動が開始されているはずだから。ただし、何日たっても救助ヘリが飛ぶ音すら聞こえなければ、俺たちはかなりヤバい状況にいる。

 もしここが現実世界じゃないとすれば、それこそツアー会社が関係しているかもしれないし、あるいは墜落した衝撃で偶発的にこの奇妙な島にワープした可能性だってあるんだ。どちらにしても危機感を持ったほうがいい」


 綾香は明彦の説明に顔を強張らせた。

 「やめてよ……」


 道子は納得した。

 「いろんなケースで物事を考えたほうがいいってことだよね」


 明彦は頷く。

 「警戒するべきだ。だってこんなに不可思議な体験初めてだ」


 類が明彦に言った。

 「科学的なことしか信じない、おまえらしくない考えだよ。なんでも博士のお前に言われたら不安になるじゃん」


 「信憑性に欠ける話は興味ないし、非現実的なできごとは、ことごとく無視してきた。心霊画像を記念としてスマホの待ち受け画面にしちゃうようなお前らと同じだ。超常現象なんて馬鹿らしいとしか思っていなかったから」道子に目を向けた。「それこそ死神のたとえだ」


 明彦は、去年の夏に類と純希が廃墟に行ったさいに撮った心霊画像の話をした。この廃墟は、若者たちや周囲の住民のあいだで呪われていると噂が絶えない有名な心霊スポットだ。


 また、廃墟のリビングルームに設置されている大きな鏡の前で衰弱死した若者の遺体が何度も発見されていることから、 ‟死神屋敷” と呼ばれている。


 廃墟の元所有者は、再婚相手の連れ子である息子と実娘とともに、新居に引越していった芸術家だった。背の高い木々に囲まれた敷地には、三十五年前まで売家と看板が立てられていたのだが、個性的で変った外観だったので買い手がつかず。


 のちに、リビングルームに設置されていた大きな鏡の前で衰弱死した義理の息子の遺体が発見された。それ以来、この売家は曰く付き幽霊物件となった。さらに不幸は続くもので、義理の息子が亡くなる数週間前に海外に行った実娘も消息不明となった。


 その後、元所有者は行方を定めずに妻と東京を離れた。そして、いつの間にか売家の看板も撤去され、廃墟となった。


 現在、心霊スポットとなった廃墟の玄関の鍵は、肝試しに訪れた若者たちによって壊されているので、屋内への侵入は容易い。


 廃墟に侵入すると細長い廊下が続く。その正面にあるドアを開けると、リビングルームが広がっており、蜘蛛の巣と長年の埃が付着した大きな鏡が壁に設置されている。いまでは、鏡の中に若者たちの命を奪う死神が棲んでいるという噂が流れ、魔鏡(まきょう)と呼ばれるようになった。


 心霊現象を信じていない類と純希は、何人もの若者が魔鏡の前で亡くなっているにもかかわらず、肝試しするために遊び半分で廃墟に侵入した。そして魔鏡を背に、ふざけたポーズで記念撮影を行った。


 すると、ふたりの背景を占める魔鏡の中に、白いロングワンピースに身を包んだ朧げな少女の姿が映り込んでいたのだ。しかしふたりは、恐れるどころかスマートフォンの待ち受け画面にしてしまった。


 現在は互いに待ち受け画面は異なるが、心霊画像は削除していない。というより……心霊画像を撮ったこと自体忘れていた。


 類は、だからどうしたと言わんばかり表情を浮かべた。

 「懐かしい話題だけど、いまはそんな話どうでもいい。論点がずれてる」


 純希も思い出した。

 「何かが鏡に反射して女の子の影に見えただけだ。いるわけないじゃん、幽霊なんて馬鹿らしい。それこそ、お前らしくない」


 翔太も死神屋敷の噂に関しては信じていない。

 「俺も何かの影が重なって、たまたま女の子に見えただけだと思う。だって心霊写真のほとんどがそうだろ? それに魔鏡の前で衰弱死した連中の大半が家出した少年少女らしいじゃん。飲まず食わずで自殺したんだよ。もし本当に幽霊がいるなら世の中に未解決の殺人事件なんてない。被害者に呪い殺される」


 道子もそのときの画像を見ている。呪われても知らないよ! と、待ち受け画面にしたふたりに向かっていったことをいまでも覚えている。

 「あの画像は絶対に本物」


 翔太は否定する。

 「そんなわけないよ」


 道子は説明する。

 「だって、鏡に反射した光が壁を照らすと、そこにも死神の姿が映るって、ほかのクラスの子が言ってたもん。それが鏡の中に棲んでいる死神が見える瞬間なんだよね」


 見た目はふつうの鏡。鏡面に光を当て、その反射光を壁に当てると、鏡の内部に描かれた絵や文字が壁に映し出される工芸品の魔鏡と同じ。つまり、死神屋敷の鏡が魔鏡って呼ばれるようになった由来である


 「そんなの全部が目の錯覚だよ。ばかばかしい。類の画像もそんなところだ」


 魔鏡の中に死神が棲んでいると信じ込んでいる。

 「ちがうよ。壁に映し出されるどころか鏡に映っていたなんて、ガチなやつを撮っちゃんだよ」


 何を言っても無駄なので、翔太は返事しなかった。

 

 (思い込みが激しいんだよなぁ)


 興味のない心霊スポットの話題を口にした明彦に、何かしらの考えがあるのだろうと思った綾香は訊いた。

 「それで、いま置かれている状況と、あのときの心霊画像と何か関係しているの?」


 明彦は答える。

 「いや、もののたとえで言ったんだ。いままでの俺たちの考え方じゃ駄目だと思うから。とくに綾香と俺ね」


 首を傾げる。

 「どういう意味?」


 考えを改めた理由を説明する。

 「非現実的なできごとはすべて否定してきた俺らからしてみれば、心霊画像なんて単なる話のネタでしかない。だけど道子なら呪われる前に元を絶つため、血相を変えて御祓いに行くはずだ。 

 この状況に置き替えてたとえれば、俺たちは呪われてから後悔するオチだ。つまり、後悔してから考えを改めては遅すぎる。

 道子の視点でものごとを考えたほうが、謎の解決の糸口を掴めそうだし、危険を回避することにも繋がる」


 考えを改めた結菜も、その意見に納得する。

 「慎重に考えたほうがいい。大袈裟かもしれないけど、見て見ないふりを続けると、この先、命取りになるような気がする。あの夢には感覚があった。つまり痛覚も存在する。だけど、構えてさえいれば、危険を回避できる。だってこの島はどう考えても普通じゃない。ひょっとしたら道子が言うように異世界かもしれない」


 周囲を見回した。

 「異世界……」


 「もしもの話だよ」


 「ここでの危険は死に直結しかねない。あるがままの現実を受け止めてきちんと考えるべきだよ。心の準備ってやつね」と、道子は綾香に目をやった。「とくに綾香はね」


 「そうだね……」と、返事したけれど、こんなことが起きるとは、簡単には受け入れられない。


 純希がスマートフォンの画面を見つめた。

 「突然、電波とかあったりしないよな。ここがミクロネシアならそれなら、すぐにでも助けが呼べるのに」


 類も電波がないと理解しながらも、つい電波アイコンを見てしまう。そして、圏外の電波アイコンから日付に視線を移した。

 

  <8月1日 火曜日 6:40>


 刻々と時間は過ぎていく。空が明るくなり始めている。すぐに太陽が昇る時間帯になる。


 (これじゃあ、きのうと同じだ。炎天下を歩く破目になる。それに鉄屑同然の役立たずのスマホもきのうと同じ。けっきょくは全部、きのうと同じ……)


 類は、スマートフォンの画面に表示されている日付に違和感を覚えた。

 「あれ?」

 (何か……おかしい……)


 純希は類に顔を向けた。

 「どうかしたのか?」


 日付を見つめる類は、はっとした。

 (そうか、日付がきのうと同じなんだ!)


 旅客機に搭乗した日付は、八月一日、火曜日。そして現在、スマートフォンの画面に表示されている日付も、八月一日、火曜日だ。だが、本来ならきょうの日付は、八月二日、水曜日だ。


 (なぜ?)


 故障が原因で日付変更されないとすれば、時間も止まったままのはずだ。または、どこに触れても操作不能か、電源が切れたときと同じ状態になるだろう。


 しかし、類たちが手にしているスマートフォンは、電波さえあれば使用可能な状態であり、故障しているとは考え難い。


 同じ夢を見たことも……何もかもが現実離れしている。


 この流れで考えると、日付変更されない日付が、なんらかの重要な鍵を握るのではないだろうか?


 明彦のように真剣に考えるべきなのかもしれない。ここが現実なのか異世界なのか、現時点では判断しかねる。だけれど……。


 いまの自分はこの状況が怖いから、現実から目を背けたいだけ。


 恐怖心に負けては駄目だ―――と、考えを改め直した瞬間、不安に駆られた。


 「みんな、スマホの画面を見ろ!」一同を急かす。「早く!」


 純希は鼻で笑う。

 「電波でもあったのか? 期待させるなよな」


 「ちがう、そんなじゃない! 日付がきのうのままなんだよ!」


 スマートフォンの画面に視線を下ろした。類が言うように日付がきのうのまま。

 「そんな馬鹿な……」


 ざわめく一同は、一斉にスマートフォンの画面に視線を集中させた。スマートフォンを所持していない道子たちも、男子が手にしているスマートフォンの画面を見て慄然とした。


 「本当だ……」翔太のスマートフォンを覗いた道子は目を見開いた。「日付がきのうと同じ……」


 「どうなってるんだ……」明彦はスマートフォンの画面を凝視する。「日付変更がされないなんてありえないだろ?」


 類はスマートフォンを一同に向けて強調する。

 「でも故障はしてない」


 「時間はふつうに表示されているのに、どうして日付だけがきのうと同じなんだよ?」純希が明彦に顔を向けて訊く。「なんでも博士、俺にわかるように教えてくれよ」


 そんなことを訊かれてもわかるはずない。説明のしようがないのに、何も言えない。

 「なんでも博士って呼び方やめてよ。俺だってこの状況に頭が大混乱だ。考えを言ったところで、すべて憶測にすぎない」


 「だとしても俺の頭で考えるよりよっぽどマシだ」


 首を横に振った。

 「買いかぶり過ぎだよ」


 「現段階でどう考えているか、みんなも明彦の考えが知りたいはずだ」


 現段階で、と言われても……明彦は戸惑った。自分の考えが正しいのかなんてわからない。そこにはなんの根拠もない。日常生活において自分を必要としてくれるのは嬉しいが、いまは少し重く感じる。


 「いますぐ答えを出すのは難しいよ。さっきも言ったように、俺たちは奇妙な世界に巻き込まれたとしか言いようがないんだから……」


 曖昧な返事をした明彦は、考えを巡らせた。


 全員が同じ夢を見る。不自然なまでに硬質な植物。どのように考えてもふつうの状況ではない。


 きのうと同じ日付―――これにいったいどんな意味が隠されているのだろうか?


 この状況から考えると最悪の場合、永遠に八月一日の繰り返し。


 ここでは日の出と日没を繰り返しても、あしたがやって来ない?

 

 まさか……恐怖のタイムループ……。


 だとしたら……俺たちは何度もあの墜落した機体の中に戻ることになる。


 いや……そんな馬鹿な話あるはずがない。だって今はジャングルにいるわけだし……


 もしそんなことが現実に起きれば、ここがミクロネシアかもしれない、俺たちのわずかな希望すら断たれてしまうことになる。


 ああ、駄目だ……。


 いまの俺の思考回路は、フリーズを起こしたパソコンみたいなものだ。カオスの坩堝に混乱した役に立たない脳みそだ。


 どうなってるんだよ、くそ―――


 こんな安易な考えを口にしたら、みんなが余計に混乱する。黙っていたほうが無難だろう。


 スマートフォンの画面の日付を凝視する類は、いつになく深刻な表情を浮かべていた。そして、いましがた明彦が考えていた “最悪の場合” と同じことを想像していた。明彦は口にしないつもりだったが、なんでもすぐに口に出す性格。


 「マジでここが異世界とか言わないよな……まさか八月一日のタイムループ……ここにいるかぎり俺たちは歳をとらないのか?」


 否定する純希は、明彦の考えと同じことを言う。

 「それはないだろう、タイムループならまた墜落した機内に戻ることになる。それこそ話がぶっ飛びすぎだ」


 「ただ……どうなんだろうって考えたんだ」


 道子は怯えていた。最悪のことばかり考えてしまう。

 「墜落の時間になったらあの機体に戻されるってことはないよね? もしかしたら一生この島かもしれない……」


 全員が混乱している。明彦は落ち着かせようとした。

 「数日で助けが来るかもしれないじゃん。スマホの日付が変らないだけで大袈裟だよ」


 道子はもともとポジティブなほうではない。大袈裟と言われても、最悪の事態ばかり考えてしまう。

 「マジで永遠の十七歳になるなら、リアル版『ピーターパン』になっちゃうね、あたしたち。ネバーランドは妖精が棲んでいる異世界。そこにいるかぎり歳をとらない。でも人間界に戻った瞬間、歳をとる。もしもここに百年いたと仮定して、ある日突然、人間界に戻れたとする。『ピーターパン』みたいに止まった年齢から歳を重ねるわけじゃなくて、十七歳から一瞬で百十七歳になって即死したらって考えるとゾッとするよね」


 明彦は顔を強張らせた。

 「それ、ゾッとするどころじゃないよ」


 「だってこの島は、妖精が棲んでるっていうよりも、死神が棲んでるってかんじだもん」

 

 純希は本音を呟く。

 「マジで帰りたいよ……」


 世知辛い世の中―――加藤家は代々続く家業だった。しかし、中学校二年生の冬に会社が倒産した。社長だった父親も、いまでは他社に勤める安月給の平社員。


 家業を継ぐはずだった純希にとって、それは幼いころから当たり前の未来であり夢だった。将来が絶たれた当初は、父親とともに途方に暮れていた。


 倒産から年月が経過したいま、家族にも笑顔が戻り、以前のように毎日が楽しく感じられるようになった。両親もどちらかといえばポジティブ思考。そんな両親の遺伝子をしっかりと受け継いでいる純希も、別の方面で将来の目標をつくり、前向きに人生を歩んでいこうと決めたのだ。


 とはいえ、思い描いていた未来ではない。


 友達は進学コース。自分もそうなるはずだったが、再来年の春には社会人になる。スクールバッグを持ちながら脳天気に楽しく歩けるのはいまのうちだけ。


 だからこそ、このツアーが最高の思い出になると信じていた。最悪の展開になってしまったが、必ず生還して絶対に新学期を迎えたい。そして卒業まで笑って過ごしたい。


 いま自分が置かれている状況は、会社が倒産したあのころよりも窮地。道子の『ピーターパン』のたとえも、 “ここに百年いたと仮定して” 。いますぐ帰りたいのに勘弁してほしい。


 この島に永遠にいるなんて絶対に嫌だ。だがいまは永遠の十七歳の話よりも、今夜の夢が怖い。デスゲーム系の夢なんて見たくない。


 「救助隊が来るにせよ来ないにせよ、途中で何が起きるかわからない。考えたくもないけど、この島が異世界なら、俺たちは出口を探さないといけないんだ。今夜だってどんな夢を見るかわからない。だからと言って、ビビってばかりじゃいられない」


 「異世界はまだ受け入れられない。けど、この島に滞在することになるなら、スマートフォンに表示されてる日付に頼れないから、自分たちで日付を覚えておかないとね」と言った綾香は、スマートフォンをポケットに収める。


 「ここにいる日数を忘れちゃうほど長居したくない」


 早く理沙に会いたい類は、空を見上げた。頭上では、高木の梢が重なり合っているので、それらが雲の切れ間から顔を出し始めた太陽を覆い隠している。


 淡い光が射し込む大地。


 どれだけ早く目覚めても、ここからでは曙光も見えやしない。吉日はまだ遠いようだ。


 だけど、どうにかなる、なんとかなる―――


 心の中で口癖を繰り返し、スマートフォンの待ち受け画面を見た。笑顔が可愛い理沙が映っている。


 理沙が恋しい―――


 不謹慎な考えかもしれないが、この旅行に誘わなくてよかった。


 画面に映る理沙をいつまでも眺めていたいところだが、ジーンズのポケットにスマートフォンを収めた。


 この状況をなんとかしたい道子はツアー会社を疑う。

 「類が登録したモニターツアーが関係しているような気がしてたまらないの。馬鹿げていること言ってるかもしれない。でもあたしたちの置かれている状況は普通じゃない」類に訊く。「本当に人間が運営してる会社だったの?」


 類は答える。

 「当たり前じゃん。尖がり耳の魑魅魍魎(ゴブリン)が運営してる会社じゃなくて、人間が運営しているふつうのツアー会社だよ」


 「マジで死神運営だったりして……だっていっぱい死んだもん」


 この状況は思っているほど単純じゃない。それに嫌な予感がする。とてつもなく嫌な予感が……だけれど死神が関係してるとは思っていない。

 「大勢の人が死んだけど、それはないだろ……」

 

 「死神の話は別として……」明彦も死神が関係しているとは思っていない。が、すべてを疑ったほうがよさそうなので、類に尋ねた。「俺からもお前に訊きたい。登録したツアー会社のホームページに怪しい点はなかったか? よく考えてくれ」


 「怪しかったら登録なんかしないよ。俺が疑ったのは、おんぼろホテルだったら嫌だなってことくらいだ」


 真剣な表情でもう一度訊く。

 「モニター登録した日をちゃんと思い出せ」


 「思い出せって言われても……」


 「大事なことなんだ」


 「わかってるよ、俺だってそのくらい」


 類は半年前まで記憶を遡った―――


 インターネットの広告で見かけた三泊二日のサイパンツアー。それも、今回に限り、無料でサイパンに行けるモニターツアーの参加者を募集していた。しかも最大七名様まで。


 なんとも太っ腹な企画に “おお! すげえじゃん” とテンションが上がり、その広告をクリックしてホームページを見てみた。『ネバーランド 海外』は創業したばかりの小さなツアー会社で、ほかのツアー会社のホームページと似たり寄ったりの内容だった。


 印象は、ふつう。


 掲載されている画像も、現地のビュースポットや、先端を切り取った椰子の実に二本のストローを挿して美味しそうにココナツジュースを飲むカップルなど、はっきり言ってありきたり。とくに怪しいと思う点は見当たらなかった。


 「ごくふつうのツアー会社のホームページだった。だから登録してみたんだ」


 「本当にふつうだったのか?」


 「うん。あのときはふつうだと思ったんだ……」


 道子が言った。

 「一見、ふつうと見せかけて、ふつうじゃなかった。死神と関わる怖いツアー会社に手を出しちゃったのかもよ」


 「死神……もうそれにこだわるなよ」深刻な表情を浮かべた類は、明彦に訊いてみた。「とりあえず……ネバーランド海外がごくふつうのツアー会社だったとして、そしてこの島が異世界なら、墜落の衝撃が原因でワープしたことになるよな?」


 「ツアー会社の運営者がふつうの人間で、なおかつこの状況が偶発的ならね」


 「同じような衝撃を肉体に与えれば現実世界に帰れるって展開、アリなのかな?」


 突飛な質問に驚く。

 「ずいぶんとぶっ飛んだ考え方だな」


 純希が墜落時と同じ衝撃を肉体に与える方法を口にする。

 「墜落と同じような衝撃って、断崖絶壁から飛び降りないかぎり無理じゃねえの?」


 翔太は反対。

 「危険すぎるよ。それにここがミクロネシアかもしれないっていう希望も捨てちゃうわけ?」


 本気で断崖絶壁から飛び降りる気はない。

 「いや、だからたとえばの話だよ。体に衝撃を与えたらどうにかなるのかなって……」


 明彦は類に言った。

 「生体がなんらかの力に守られているなら何をしても助かる、それも単なる仮説だ。なんの保証もない。たとえ話にしても危険すぎると思うけど。それこそ死神が迎えに来るかもな」


 類はただ訊いてみただけだ。

 「危ないことをする気はないよ」

 

 明彦は頭の休息が必要だと感じた。

 「いったん話を切り上げよう。このままだと埒が明かない。話をまとめようとしても、この島自体謎だから、俺たちが置かれている状況もはっきりとわかっていない」


 類も明彦の意見にうなずく。

 「それもそうだな。あしたまで話し合っても答えは出ないだろうし、混乱した頭を一度すっきりさせたほうがいいよな」


 「脳みそを休ませないとね」


 純希は呟くように言った。

 「謎の共通点とかあればなぁ……」


 類は純希に顔を向ける。

 「夢、硬質な植物、生き残った俺たちと死んだ乗客の違い。それの共通点? そんなものないんじゃないの?」


 明彦は自分の考えを言った。

 「それこそなぞなぞみたいに、もしかしたら共通点が存在するかも。どっちにしろ、俺たちの常識では考えられないヤバい状況に置かれているのは間違いない。だからこそ、すべてにおいて慎重に考える必要がある」


 「俺たちの思い込みとか、早とちりで、ここは現実世界だった。で、ぶっ倒れる前に救助隊が来てくれる、それが最高のシナリオなんだけどね」


 「たしかにそれが一番だ」


 綾香が疑問を口にした。それはこの先の不安。もしも救助隊が来なかったら……

 「昨日みたいに椰子の実が落ちていればいいけど、食料や飲み物はどうしたらいい?」


 明彦は唇を結んだ。浜辺に辿り着いたら海藻や魚介で飢えを凌ごうと考えていた。それなのに……腐った魚を見つけたところで食えないのだ。

 

 もうこれ以上考えられないので、類は頭を休めたい。

 「それはそのときに考えようぜ」


 「だけど、ある意味、一番大事なことだよ。戦法の兵糧攻めで敵から勝利を勝ち取れる。あたしたち生体が奇妙な力に守られている保証はない。ふつうの肉体なら食が尽きた時点で終わり。餓死する」


 「怖いこと言うなよ」


 明彦は言う。

 「綾香の意見はそのとおりだ。考えることがいっぱいありすぎて眩暈がしそうだな。山積みになった問題集よりもマジで厄介だ」


 みんながため息をついた直後、青天の空が鈍色に染まり、雨が降ってきた。まるで水を張ったバケツをひっくり返したかのような土砂降りに驚く。


 一斉に頭上を見上げた一同は、樹木の葉の合間から覗く光景に息を呑んだ。大地を照らす太陽の代わりに稲光が空を制して駆けゆく有様は、あたかもドラゴンのような迫力だ。その直後、大地が揺れるようなすさまじい轟音が響いた。ようやくだ、と待ち望んでいた雨に笑みを浮かべた。



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