第11話 それいけ! 恋する乙女

「いやぁ、桂木さん。ロイヤルホテルホテルさんの件、なんとかまとまりましたよ」


「本当ですか!?」


 窓から日の差し込む勤め先の休憩室で、穂乃香はスマートフォンを手に大げさに嬉しそうな表情を浮かべ声を張り上げた。


「ええ。今月末で今の整備会社との契約が切れるそうで、そこから先はうちと契約ってことになりました。違約金は発生するみたいですけれど、それでも構わないってことになって」


「それは何よりですね」


「本当に! それもこれも、桂木さんが常川部長に話をつけてくれたからですよ。ありがとうございます」


「いやいやいや、私なんてそんな。すべて、綿貫常務の人徳と情熱のおかげですよ」


「またまた、そんなこと言って。じゃあ、紹介手数料の件もありますし、近いうちにうちに来てくださいよ。打ち合わせが終わったら、なにかご馳走しますから」


「それは、ありがとうございます。では、来週の金曜日あたり、ご都合はいかがですか?」


「多分、空いてるはずですよ。じゃあ時間の調整しときます」


「お忙しい中お手数おかけしてしまい、恐縮です」


「いえいえ、恩人の桂木さんのためならなんのそのですよ! では、スケジュールの確認しときますんで、これで失礼します」


「はい、失礼いたします」


 綿貫からの通話を愛想笑いを浮かべながら切ると、画面には常川からのメールが通知されていた。タップして映し出された文面には、うやうやしい礼と、契約を切られた牧村からの電話がうるさくてかなわないという愚痴が連なっている。返信をする口元が、愛想とは別の笑みでつり上がる。

 二人を紹介してから一週間、思ったよりも早く望んだ結果が訪れた。


「よ、桂木」


 メールを返信し終わると同時に、肩を軽く叩かれた。振り帰った先には、サイケデリックな模様のワンピースを着た笠原がコーヒーを手に笑顔で立っている。


「お疲れさまです」


「うん、お疲れ。なんだか、機嫌良さそうだね。ひょっとして、彼女の件?」


「はい。おかげさまで、色々と上手くいきそうです」


「あはは、私はそんなに何もしてないでしょ」


「いえ、そんなことないですよ。『すぐに動けるように準備と覚悟をしておけ』って言ってもらったおかげで、ここまで行動できたんですから」


「そうかもしれないけど、契約を乗っ取らせるなんてねぇ……。話を聞いたときも驚いたけど、まさか本当にやり遂げるとは……、営業力が凄まじいにもほどがあるわよ」


 ベージュ系の口紅にに彩られた唇がコーヒーを飲みつつ感慨深げに言葉をこぼす。


「ははは、今回はあの野郎の取引先がロイヤルホテルさんだったていう、幸運があったからですよ」


「幸運がなくても、綿貫ちゃんからあの辺の自動車整備界隈について情報を聞き出して、えげつないことをしてたんでしょうに」


「えげつないだなんて、酷いなぁ。まあ、今回の件が上手くいかなかった場合の代替案も、もちろん考えてましたけどね」


 穂乃香はテーブルに置いたコーヒーを手に取りながら軽く首を傾げた。


「こらこら、笑顔から殺気が隠せてないわよ。まったく、桂木だけは敵に回したくないわね。面白そうだから私も官報でそいつのところの決算書調べてみたけど……、あれロイヤルホテルさんがいなくなったら、資金繰り回らないでしょ? ああ、可哀想、可哀想」


「ははは、本当に可哀想だと思ってるなら、面白そうだからなんて理由で、決算書を調べたりしないでしょ」


「あはは、それもそうだわね」


 二人はひとしきり笑いあうとコーヒーを一口飲み、どちらともなく深く息を吐いた。


「それで、ここから先はどうするつもり?」


「下準備もできたので、次は告訴状ですね。一応、来月頭をめどに提出しようと思ってます」


「でも、告訴状って被害届より面倒だよ? 弁護士のあてとかはある?」


「はい、学生の頃からつるんでるヤツに弁護士になったのがいて、そいつに色々と口利きをしてもらってるんで」


「そっか。なら、私がDV鬼嫁と離婚したときにお世話になったところを紹介しなくても、大丈夫そうね」


「そうですね、今のところは大丈夫そうです。お気づかいありがとうございます」


「いえいえ。可愛い後輩の恋路は、全力で応援してあげないとだからね」


「……は?」


 悪戯な笑みを前に、コーヒーカップを口に運ぶ手が止まった。


「あら、なにキョトンとしてるのよ?」


「恋路、というのは一体?」


「え、だって、その子のこと好きだから、ここまで全力になってるんでしょ?」


「べ、べ、別に、そういうわけでは!」


「じゃあ、どういうわけなのよ?」


「それは……」


 失禁を見られたことに対する、口止めです。などと答えては、ここまでの尽力がすべて無駄になってしまう。それに、そんなこともすでにただの建前になっている。


「あらあら黙り込んじゃって。かーわーいーいー」


「だから、そういうのでは、ないですから」


「でも、なんとかしてやりたいって思うほど、桂木にとって魅力的だったんでしょ? その子」


 青空の下で見た屈託のない笑顔を浮かべる美優の姿が、頭をよぎった。


「ふっふっふ。乙女よ、それがいわゆる恋と言うものなのだよ」


「誰が乙女ですか!」


 不敵な笑みを浮かべる笠原を一喝し、コーヒーを一気に飲みほす。まだ少し熱さは残っていたが、火傷をするほどではない。


「……では、これから打ち合わせがあるんで、私はこれで」


「はいはーい。じゃあ、仕事も頑張りなさい、恋する乙女」


「黙っててください!」


 カップをゴミ箱に投げ捨て、穂乃香は肩を怒らせながら休憩室を後にした。


 その後、大きなトラブルもなく仕事を終え、定時で帰宅することができた。


「お帰りなさい」


 居間の扉を開けると、美優がテーブルにサラダを並べている。


「ただいま。ごめんね、家事全般任せちゃって」


「気にしないでください。色々落ち着くまで置いてもらうんですから、このくらいはしますよ」


「そう言ってもらえると助かるよ。ちなみに、牧村の件は順調に進んでるから」


「本当ですか?」


「うん。だから週末はこの間の弁護士事務所に行くけど、予定は大丈夫?」


「大丈夫ですよ。元々ここ数年、あの人からの呼び出しとか仕事のシフト変更がなければ、週末に予定が入ることもありませんでしたし」


 湿布はとれたが薄く痣の残る顔に、苦笑いが浮かんだ。


 なんとかしてやりたいって思うほど、桂木にとって魅力的だったんでしょ?

 乙女よ、それがいわゆる恋と言うものなのだよ。


 不意に、頭の中に笠原の言葉が蘇る。


「……」


「桂木さん? どうしました?」


「いや、なんでもないよ」


「でも、ちょっと顔が赤いですよ?」


「ああ、多分電車が混んでて、ちょっと暑かったからだと思う。冷房が効きすぎるのもどうかと思うけど、ラッシュ時なんだからもう少し考えて欲しいよね。とりあえず、シャワー浴びて落ち着いてくるから」


 穂乃香はそう捲し立てると、美優を居間に残して足早に浴室へと向かった。

 ぬるめのシャワーを浴びながら、「この関係はだだの口止め。それ以上のことはお互いに望んでいないはず」と繰り返し呟く。それでも、身体の火照りは中々収まらなかった。

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