第2話 星空が見える橋

「……あれっ?」


 着地をした黒猫は、その指に固くざらついたものが触れた気がして疑問に思いました。


 木の表面ほどヒビや重なり合いがあるわけでもなく、雨が降った後の土ほど弾力があるわけでもない、これは一体何なのでしょう。


 黒猫は顔を近づけて、それが白っぽいレンガであることを確かめました。


 それによく見てみれば、右にも左にもそれからずうっと遠くにも、同じような白の道がどこまでも広がっています。

 どうやら自分はレンガ造りの橋の上にいるらしい、と黒猫は推し量りました。


 けれども、森の中にいたはずなのになぜこんなところに来てしまったのかという理由までは分かりません。あの光の正体についても、自分がこの場所にいることと関係があるのかも、何もかもが分からずじまいです。


 途方に暮れた黒猫は空を見上げて──。


「……わぁっ……!」


 彼はそれまでの思考を忘れ、その光景に魅入ってしまいました。

 そこに広がっていたのは、緑を混ぜた濃い青の空と、それを照らす幾千もの星々でした。


 青白い流れ星が素早く通り過ぎて消えてしまった、と思うとまた新しい流れ星がまったく別の場所から生まれ、地平線へと駆けてゆきます。これはただの流れ星ではありません。無数の星が雨のように降り注ぐ、流星群なのです。


 そしてこれは、天の川でしょうか。空の低いところにある星は桜色をしていますが、そこから高所にかけて青味が深くなっており、この超常的なグラデーションを織りなしています。


 星は黒猫の爪よりも小さく見えるのに、一つ一つが目に刺さるような光を放っていました。


 しかし、黒猫はまぶたを閉じることができませんでした。まばたきをしてコンマ一秒でもその景色から離れるなんて、とてつもなく惜しいように思われたからです。


 黒猫は前足をすべて折り畳んで地面に座り、宇宙空間の神秘を眺め続けました。


「立派な光景だとは思いませんか、サー」


 不意に、温もりのある声が右斜め後ろから聞こえてきました。

 黒猫は反射的にその方向を振り返りましたが、そこには誰もいません。ただ白いレンガの道と、その上に等間隔で並べられた街灯が何本かあるだけです。


 空耳だったのかな、それにしては結構はっきり聞こえたけど──。


 そう思って、黒猫が視線を上空に戻そうとしたときでした。


 黒猫の一番近くで立っていた紺の街灯が、小さくジャンプをしたのです。

 それは細い体でうさぎのように跳ねながら、黒猫に寄ってきました。


 街灯のてっぺんには透明なガラスのボディをしたランプが一つ付いており、さらに柱を中心として左右に伸びる曲線アームの上にも、それぞれ同じようなランプが飾られています。

 彼は左のアームを柱の前に、右のアームを後方に回してお辞儀をしました。


「ようこそ、夜の世界へ。わたくしはこの世界の管理員の、ライトでございます。以後お見知りおきを」


 彼のてっぺんのランプが二、三回、点滅を繰り返しました。


「はじめまして、ライトさん。ぼくは……えっと……あれ? ……ぼくの、名前は……」


 元気に挨拶を返そうとした黒猫は、そこで詰まってしまいました。

 考えてみれば、自分に関する記憶がまったくないのです。


 どこで生まれ、どこで育ち、どうやって生活しているのか? そういったことが頭の中からごっそりと、大掃除でもされたように無くなっていました。

 首をひねる黒猫に対してライトは、「少し歩きませんか。ご案内いたしますよ」と優しく語りかけ、彼の右隣に立ちました。


 そうして二人は橋の奥に向かって、進み始めました。

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