第8話 これから……

 美咲さんの僕に対する罵詈雑言……もといありがたいお説教が終わり、漸く山本と落ち着いて話が出来る様になった。

 話題は僕の今後についてである。


「それで優大先輩、これ聞いていいのか分かりませんが会社辞めちゃって本当に大丈夫なんですか?」

「ああ……大きな金額ではないが、僕独りなら食うに困らないぐらいの収入源はあるからな」

「例のアパートですか?あれ利回りってどれぐらいなんです?」

「言ってなかったか?間取りは1LDK、全部で8戸。築年数も10年も経ってない。一応満室だと10%は超えるかな」

「へー、悪くないっすね。って、渋い顔してどうしたんですか!?」

「…………」

「もしかして、空き部屋が多い?」


 山本の言うように、利回りは決して悪くは無い。そして現在部屋は全て埋まっている。

 では何故僕は渋い顔をしているのか?


「部屋はお陰様で全部埋まってるよ。問題は……1つだけだが滞納している部屋がある事だな」

「なるほど。前オーナーさんは、それが嫌で売却したのですか?事務所で一度お見かけしましたが、追い出しとか出来そうにない方という印象でしたが……」

「よく見てるな。僕のマンションが欲しかったのが1番の理由ではあるけど、それもあるな。前のオーナーはすごく優しい方でさ。『出ていけ』とは言えなかったらしい。その件に関しては僕が解決する条件で少し安くしてもらったんだ」


 前のオーナーが会社に来たのは契約時の一度だけだった。常日頃から観察眼を養えという僕の教えが、彼にしっかりと根付いているのが分かり嬉しくなる。


「なるほど。ちなみに滞納しているのは、どんな人なんですか?」

「母子家庭と聞いている。少し良心が痛むが、早々に出て行ってもらおうと思ってるよ」

「その住人、幾つぐらいの方なんでしょうね?やむを得ない事情で生活が困窮している美人親子とかだったらどうします?親子で1LDKに住むって事は生活に困ってるのは一目瞭然ですもんね。優大先輩に出来るのかな……確か追い出し得意じゃなかったですよね?」


 流石に通用しないか……と苦笑が漏れる。

 カッコつけたくて早々に追い出すと豪語したが、山本の言う通り……内心では自分が冷徹になれるか些か不安ではある。


「それでお約束の、家賃の代わりに身体・・で払いますとかいう流れになったり…って、美咲さん!?冗談だからそんなに睨むのはやめてもらえません!?」

「何を馬鹿なことを言ってるのよ。どんな理由があるにせよ、家賃払わない方が悪いわ。申し訳ないとか思わずさっさと追い出したらいいのよ」


 くだらない冗談が理由で2人に言い争って欲しくなくて、急いで仲裁に入る。


「まぁまぁ、矢野さんの言う通りちゃんとするから任せてくれ」


 納得いってなさそうな表情かおの矢野さんではあったが、僕の言葉に頷いてくれた。

 それを確認した山本が、次に話題にしたのは僕の今後の仕事についてだった。


「それで仕事はどうするんですか?不動産業は続けるんですよね?」

「まずは法人設立からだな。本当は1ヶ月前に事務所を借りて在職中に手続きする予定だったんだが、まぁ色々あってお恥ずかしながら何も進んでなくてな……」

「優大先輩は今まで仕事を頑張って来たんです。大人の夏休みって事で、少しぐらい休んでも問題ないですよ!!」


 この1ヶ月の自分自身を不甲斐なく思っていた為、後輩の気遣いに心が救われた。


「山本、気遣ってくれてありがとな」

「本気でそう思ってるんです。だからお礼なんて言われる事じゃないですよ」


 そう言って山本は屈託なく笑った。


「そうなると宅建業の免許申請にも時間かかりますよね。本格的に動くのは早くて3ヶ月後ぐらいですか?それだけあればしっかり準備する余裕もありますね!!」

「そうだな。その間に事務所の内装とかもやろうと思ってる」

「事務所も早めに見つかるといいですね」

「事務所問題はもう解決してるよ。ほら、戸建も一緒に買っただろ?本当はそこを凪沙がエステの仕事ができる自宅兼店舗みたいにして、僕は他を借りるつもりだった。その必要が無くなったから、会社の事務所にするつもりだ」


 そっか……もう必要ないんだよな……。


「ちょっ、失恋を思い出してどんよりしないで下さいって!!俺達の前であれだけカッコよかった先輩は何処に行ったんですか!?」

「湊、前から聞かされていた話は嘘じゃないのよね?私の目の前にいる高槻さんからは全く想像できないのだけど……」

「美咲さん、嘘じゃないって。多少脚色している部分もあるけど、優大先輩はマジで凄い人なんだ!!」

「そう見えないのよね……だってこの人かなりポンコツでしょ」

「こと恋愛に関しては俺も否定しない。でもさ、優大先輩が仕事が出来るのは本当。何より面倒見が良い……というか良過ぎるんだよ。本人は同じチームの俺と菜月しか世話してないと思ってるけど、社内で先輩に助けられた人は大勢いる。今日の送別会にしてもチームだけでやる話をした瞬間の皆の顔……菜月の為に押し通した俺の身にもなってくれよ!!」


 近くに居るはずなのに、まるで遠くから聞こえてくるかの様なやり取り。

 凪沙の事を思い出して気落ちした僕の耳には2人の会話は届いてこなかった。


 どれだけ時間が経ったのだろうか?気づけば2人は穏やかに会話していた。

 考え事をしている僕をそっとしてくれていたのだろう。


 あまり遅くなっては迷惑がかかるが、もう少しだけ甘えさせてもらおう。

 自然と意識を戻した僕は、明日からのことを考える。


 僕の事を心配してくれている人達に、これ以上の心配はかけさせたくない。

 まずは追い出しを成功させる事からだ。そう自分に言い聞かせる。


 僕の長い長い1日はこうして幕を閉じていった……。

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