第11話 観覧

「なんで私がこんなところに……」

「まあ、そう言わずにさ」

 

 レムがぼやくのにも構わず、一番に前列の良い席を取ろうとコンサートホールの通路をずんずんと進んでゆくルミネ。

 その後を不承不承ながらもついてゆくレム。


 あの嵐の夜から二週間ほど経っていた。

 苛烈な嵐と停電が嘘だったかのように病院の設備は復旧し、レムはまた刺激のない病棟での日常に戻っていた。


 それでもレムは、ルミネの言っていた「奪われないもの」のことをずっと考えていた。

 

 そんな折、ルミネから提案があった。

 いつかのように、何の前触れもなくレムの病室にやってきては月に一度の慰問の公演を観に行こうと言い出したのだ。

 

 普段なら唐突な提案に驚きながらも了承するところだったが、今回は訳が違った。

 ルミネが差し出してきた告知のリーフレットには、今回の公演がパルスオペラ歌手によるものだと記載されていたからだ。


 レムの脳内に思わしくない記憶が蘇る。

 元々ルミネもこの病院で慰問のコンサートを行う予定だった。その予定はレムが入院することになり露と消えた。


 入院前は研究のためにライバルの公演を観に行くこともあった。

 だが、今はそんな事情もあって他人の公演をフラットな気持ちで鑑賞できる気はしなかった。


 それでもこうして気が進まないながらもルミネについていっているのは、このまま病室でいつものような日々を過ごしても何の気付きもあろうはずがないとわかっていたからだ。

 例えいい気分ではないとしても、今のレムには何らかの刺激が欲しかった。


 結局、レムは最前列の少し奥にルミネと並んで陣取ることになった。

 席取りの心配は不要だったようで、病院と併設されたにしては大きなコンサートホールは、席の取り合いになるほどの客は入りようがなかった。

 

 そろそろ公演が始まるという段になると、隣のルミネがどことなく、そわそわしているのがわかった。

 慰問でパルスオペラの公演が行われるのは極めて稀なことのようで、期待と緊張の入り混じった顔をしていた。


 ホール全体の照明が絞られる。

 ライトが一斉に中央へ向けられると、一人ステージに立つ演者が照らし出されて演目が始まる。


 ライト、パーティクル、音響、その他諸々のあらゆる制御を魔法によって一人で行うパルスオペラの王道、独唱スタイル。

 ひたすら緻密なマルチタスクを求められ続ける過酷な立場を自ら引き受けた者がそこには立っていた。


(彼女は、何を思ってここに立っているのだろう)


 レムは煌びやかな衣装を纏って歌い出す、目の前の演者のことを思う。


 リーフレットに書いてあった演者名は、サラ・マクミラン。

 レムの知らない演者だった。


 名が知れていないということは業界の第一線を走る演者ではないだろう。

 だがレムは病に伏せてはじめて、その道を往く者の気持ちを想像するようになっていた。

 

 サラは戦争に巻き込まれ、離れ離れになった親友を想う少女の心情を歌に乗せて表現する。

 雨を模した光が滴のように次々とステージを行き来し、涙に濡れる情緒を表す。

 よくあるオーソドックスなパルスオペラだ。


 レムの目には、サラの技量は二流半に映った。

 だがそれだけでは説明しきれない「何か」がそこにはあるような気がした。


 最初は観るのも気が進まなかったはずのレムは、気付けばルミネと一緒に食い入るように演目を見つめていた。

 

 *


 気付けばあっという間に全ての演目が終わっていた。

 ステージへ集中していたライトは消え、薄くなっていたホール全体の照明も戻っている。


 演目が終わり、ステージ外に捌けていた演者が挨拶のためにステージ上へ戻ってくる。

 サラが終演直後の興奮と熱気を漂わせたまま、司会が振ってくる話題や質問に答えているのを、レムはじっと見つめていた。


「今回、サラさんはどのように考えて今回の曲目を選んだのでしょうか?」

「正直、もっと明るい方向性で行ったほうがいいかとは思ったんです。はじめてパルスオペラに触れる方もいらっしゃるでしょうし……。でもやっぱり最後には一番力を出し切れる曲目で行こうかなと」

「やはり、思い入れがあるんでしょうか?」

「そうですね……私、スクールで一番仲の良かった子が海外に引っ越していったことがあったんです。もちろん引っ越しと戦争じゃ比べられないですけど、この曲目の主人公の子が親友に会いたいっていう切実さはすごく共感できる気がして……この子の心情を自分の力で表現してみたいなっていつも思うんです」


 レムはサラと司会のやりとりを聞きながら、サラの視点が自分には全くないものと気付いていた。

 何が好きだとか、何を表現したい、なんてことは考えたことがない。


 ただ、技量を高めて自分を世界に認めさせることしか考えていなかった。パルスオペラはその手段や道具でしかないのかもしれない。

 両肩にのしかかってくる自分の傲慢さを、レムは逃げずに受け止めなければならなかった。


 コンサートホールを出ていつものようにエントランスホール脇の談話スペースでルミネと歓談している間も、レムはそのことについて考えていた。


 外来の受付時間も終わり、ほとんど誰もいなくなった談話スペース。

 窓から夕焼けの光が差し込むなか、レムとルミネはテーブルを挟んで向かい合って今見てきたものについて話し合う。


「うーん、なんかうまく言えないけどすごかった! 光とか、雨にも草木にも見えて……あれって本当に一人でやってるの?」

「やってるよ。そういうものだからね」


 ルミネは、レムの内心を知ってか知らずか今見た公演の感想をあれこれと語っていた。

 公演の間もずっと、ルミネは子どものように目を輝かせていた。


「私、感動しちゃったな」

 

 ひたすら公演の内容を褒めるルミネ。

 普段病院の外にも出られない立場ゆえに、その目に映るもの全てが新鮮だったに違いない。


 レムは無垢なルミネの感動を微笑ましくも思う一方で、その姿を見ているうちに自分でも言語化できない感情が湧き上がってくるのを感じた。

 その感情が何を意味するのか突き止められないのが、なんとなくもどかしい。


「レムも、あんな感じにできるの?」

「できる。もちろんできる」


 ルミネの問いに間髪入れず断言してみせるレム。

 自分の中で言葉を吟味する前に、ほぼ反射的に答えていた。


「ほんと? あの人、けっこうすごかったけど」

「それはルミネがあれしか観たことないから言えるんだ。私ならもっとやれる。今こんなじゃなかったら、ルミネにやって見せてあげたいぐらいだよ」


 そんな自分にレムは気付いていなかった。

 先ほどまでサラにあって自分にないもののことを考えていたことなど忘れて、一流のパルスオペラ歌手としてのプライドが顔を覗かせる。


「えー、本当に?」

「本当だよ! 例えばさ……」


 懐疑的なルミネに対して、先の公演の内容を引き合いに出して自分ならこうする、自分だったらこんな発想もある、といったようなことを滔々と語るレム。

 躍起になって自分の腹案を三分の一ほども語ったところで、ルミネの口元が笑みを浮かべていることに気付く。


「へぇ、レムってこんなにおしゃべりだったんだ」


 身体を震わせ、笑いを堪えるルミネを見て、レムははじめて自分がからかわれていたのだと理解した。

 脇目も振らず早口で自分の考えを捲し立てていたのだと気付き、レムはみるみるうちに赤くなる。


「ひどい」

「ごめんごめん、軽い気持ちで聞いたら珍しくムキになるんだもん」

「やめてよ、もう……。今の忘れて!」

「えー、もう遅いよ。赤くなってるレムもかわいかったし」

「もう、バカ。知らない」


 レムは普段見せない態度を取ってしまった恥ずかしさのあまり、手で顔を覆って談話スペースのソファの上で小さくなる。

 珍しくやり返した方のルミネはその姿を見て、にこにこ笑っている。


 いつもどこか物憂げで冷めたような雰囲気を作って大人の世界を生きてきたレムも、いつしかルミネの前でだけは年頃の少女らしい仕草を見せるようになっていた。


 レム自身も知らなかった、あるいは忘れていた自分の本当の姿を、ルミネが鏡となって映し出している。

 その体験はレムも自覚しない間に、新鮮で、得難いものになっていた。


「でも、そうやって真剣になれるものがあるっていいことだよ」


 ひとしきりレムをからかって満足したらしいルミネは、パルスオペラに話を戻していた。

 嵐は過ぎ去ったことを認識したレムも、ソファの上で姿勢を改める。


「真剣、か」


 パルスオペラへの熱や意欲は失われたはずだった。

 所詮は世界に認められるための手段や道具――そう思っていた。


 そして、躍起になって世界に自分の価値を証明することが儚く脆いのだとしたら、パルスオペラに向き合う意味はないのかもしれないと思い始めていた。

 だが現実は自分でも歯止めが効かないほどに、ルミネに対して自分の思うパルスオペラの理想を語ってしまった。


「私、自分で思ってるよりパルスオペラのこと、好きだったのかもな」


 レムはぽつり、と呟く。

 それから窓の外をぼうっと見つめた。


 嵐のあと、ルミネと立った丘。

 その更に向こうに見える太陽から暖かな光が差し込んでいる。


 ――『私ならもっとやれる。今こんなじゃなかったら、ルミネにやって見せてあげたいぐらいだよ』


 ムキになってルミネに対して投げ放った言葉が、今はレムの脳内で木霊している。

 咄嗟になって言ったことだが、その言葉に嘘偽りはないように思えた。


 大切な人に、自分の歌を聞いてもらいたい。


 久しく忘れていた感覚。

 だが、レムはこの感覚を確かに味わったことがあった。


 カーディガンのポケットに手を突っ込む。

 銀細工のネックレスに触れ、原初の記憶を探る。


 レムがまだ幼かった頃、そして母が生きていた頃の記憶。

 がらがらの劇場で見た母の公演に、無邪気にも感動したあの日――そして、見よう見まねで母のパルスオペラを再現して褒められたあの日の記憶が返ってくる。


 母が世間に認められていたから母の公演に感動したのでも、これなら名声を得られるという打算があってパルスオペラを始めたのでもなかった。


 忘れかけていた誰のものでもない、レム自身の物語。

 自分には欠けていると思っていたはずのものが、そこにはあった。

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