第9話 嵐のあと

 ぱちぱちと電燈が明滅したかと思うと、病室はにわかに輝きを取り戻す。

 結局、病棟全体に明かりが戻ったのは明け方近くになってからのことだった。


「ねぇ見て、レム」


 ルミネが自分の肩に体重を預け、うとうとするレムを揺する。

 レムは一瞬びくっと身体を震わせたあと、次第に意識が現実へと引き戻されてゆく。


「う……ん……」


 ぼんやりとした意識のまま、閉じていた目を開ける。


 レムは光の戻った病室を見て、心の底から安堵した。

 なんでもない、無機質にさえ思えていた蛍光灯の白い光にも確かな温かみを感じた。


「あっ」


 そして、自分の両手が膝の上でそれ以上の温もりに包まれていることに気付く。

 レムの手はルミネの手を強く握りしめていた。


 レムは途端に気恥ずかしくなって少しだけ頬を赤らめる。

 とても恥ずかしいけれど、だからと言って振りほどくのもルミネを邪険に扱う気がするので、それもできない。


「……ありがとね」


 レムは迷惑をかけたことを謝るか、お礼を言うかで少しだけ迷って、後者を選択した。

 根拠はなくとも、温もりを受け取った手がそうすべきだと告げていた。

 ルミネは小さく頷いて、レムの小さな手を少しだけ強く握って応える。


「私のお母さんね、病気で死んじゃったんだ。今日みたいな夜、真っ暗闇の部屋で」


 暗所恐怖症の理由。

 レムは何かに突き動かされるように話し出す。


「私はずっと起きていたのに何もできなかった。気付くことさえできなかった。それ以来、なんでか暗いところが駄目になっちゃった」


 誰にも話したことはない。だが、暗闇の世界の中でずっと自分に寄り添ってくれたルミネになら話してよいと思えた。

 あるいは聞いてほしかったのかもしれない。受け止めてくれる人の前で胸の裡を明かすことで、楽になりたいと。

 レムにとっては浅ましいことにも思えたが、ルミネはじっと肩を寄せて聞いていてくれた。


「ねえ」

「? なに?」

「聞いてほしいことがあるんだ」

 

 レムは決心する。

 自分を受け入れてくれるルミネを見て、レムは今悩んでいること、不安に思っていることも話してしまおうと思った。


 このまま煮え切らず、悩みを抱え続けてもどうにもならない。

 今しかない、と思った。

 この悩みは、ルミネの存在に触れて出たものだ。だからこそレムは、ルミネの目は自分をどう見るのか知る必要があった。


「私、音楽を続けていく自信なくなっちゃったんだ」


 レムは語った。ルミネへ向けて。

 

 自分と母の存在価値を世界へ証明するために、全てをパルスオペラに賭けてきたこと。

 病気になって、価値を証明するどころか何もできない存在になり下がり、自信がなくなってしまったこと。


 そして、この世界の基準に照らし合わせれば何の存在価値もないはずのルミネが、レムの目には生き生きと輝いて見えること。

 ゆえに、今まで正しいと信じて疑わなかった、世界に向けて存在価値を証明するようなやり方が本当に正しいのか、わからなくなってしまったこと。


 レムに言葉を選ぶ余裕はなかった。

 時折言葉を詰まらせながらも、ただ感情の溢れ出るままに任せる。


 ルミネは否定することも、遮ることもせず、小さく頷きながらレムの言葉を受け止めていた。

 そしてついに、レムはルミネに一番の疑問をぶつける。


「ねえ、教えて、ルミネ」


 手を握り合ったまま、レムはルミネに向き直る。


「あなたは、どうしていつも笑って生きていられるの。どうして、希望を持っていられるの」


 ルビーのように燃える赤色の目、その中に灯った生命の火を見据える。

 その火が煌々と燃え続ける意味を、問うた。


「あなたには一体、何が見えているの」


 レムは全てを早口で言い切った。

 捲し立てるように。あるいは縋りつくように。


 わずかな沈黙。

 肩を寄せ合って僅か数十センチの距離、ふたりの視線が交差する。


 燃える赤色の瞳へ吸い込まれそうな気持ちになる。

 だがレムは視線を逸らすまいとこらえた。

 視線を外せば何もかもご破算になるような気さえした。


「そうね」


 ルミネが十数秒にも渡る沈黙を破る。

 その後もわずかな沈黙。慎重に言葉を探しているようだった。

 レムはルミネの手を握りながら次の言葉をただ、じっと待った。


 やがてルミネは、いつもの屈託のない笑顔とは違う小さな微笑みをレムに向けて言う。

 その言葉は肯定でも否定でも、ましてや拒否でさえもなかった。


「えっとね、ついてきてほしいところがあるの」

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