第5話 映画と暗闇

 昼食の時間が終わり、レムはベッドの上で上体を起こしながら今までを思い起こしていた。

 

 入院してから数日経ち、レムは入院生活というものに少しずつ慣れ始めていた。

 望むか望まないかに関わらず、実際に生活が始まってしまえば心と身体は環境に適応し、馴染んでゆく。

 

 それはレムにとっては恐ろしいことでもあった。

 つい、このまま入院生活に慣れ切って、抜け出せなくなることを想像してしまう。

 せめてもの抵抗として、レムは極力ベッドから出て院内を散歩するようにしていた。

 

 近頃は積もるほどの勢いで雪が降り始めており、入院着の上からカーディガンを着ても院内の廊下は肌寒い。

 それでもベッドの中で動く気力を失って、下水に溜まったヘドロのようになるより何倍もましだと思って我慢した。


 しかし、いくら大きな病院と言っても、散歩コースに適した場所が無尽蔵にあるわけではない。

 雪が降っているので庭にも出ることができない。


 当然、レムが徘徊できる場所は限られ、自然と毎日ルミネと顔を合わせるようになっていた。

 どうやらルミネも徘徊癖があるようだった。


 レムは時に言葉を交わし、時に遠巻きに見つめることで、ルミネを観察していた。

 特に注意深く観察してやろうと思ったわけではない。

 しかし、気付けば目で追っていた。ルミネは入院患者の中では、明らかに異質だった。

 

 年齢はレムと同い年の17歳だと分かった。

 だがレムの目には17歳より少しだけ幼く見えていた。入院生活が長く、外の世界や人間社会を知らない為だろう。


 ルミネの話を聞くと、幼いころから10年以上入院生活を送っているらしいことがわかった。

 その間、ずっと魔法を使うことも受け付けることもなく、病院という箱庭の中で孤独な生活を送ってきたに違いない。


 そして、そんなにも長い間入院しているということは、ルミネの抱える病が快癒する見込みはおそらく限りなく薄いということを意味する。


 それでも、顔を合わせればいつもルミネの方から挨拶してくれる。

 いつものように笑顔で、手を振って。

 

 レムにはそれがわからなかった。


 魔法を中心としたこの社会の価値観に照らし合わせて言えば、魔法を使えない、受け付けないルミネは、はっきり言って最も価値のない人間だ。

 絶望して生きる気力を失ったり、卑屈になってもおかしくない境遇と言ってよい。


 それなのに、ルミネはレムに笑顔を振りまいて無邪気に話しかけてくる。

 今の入院生活でさえも不安を感じながら過ごしているレムは、自分だったら耐えられない、そんなことはできないと思った。

 レムは、ルミネには超然とした精神の強さがあるように思えてならなかった。


 不意にコンコン、とノックの音。


「失礼します」


 今日の担当の若い看護師がレムの病室に入ってきた。食器を片付けに来たのだ。

 レムは一旦思索を中断する。


 看護師は食事の記録をメモすると、食器を片付けて去っていく。


「お昼寝されるなら、お部屋の電気消しましょうか?」

「あー、えっと……点けっぱなしでお願いします」


 ベッドに背を預けて目を瞑っているレムを見て、看護師が去り際に電気を消そうか提案してきた。

 点けたままにしておくようお願いすると「わかりました、点けときますね」と言って退室していった。


 レムは床頭台の上に置いておいた銀細工のネックレスを指に絡めて、カーディガンのポケットにしまい込む。

 電気を消さない理由まで聞かれなかったのは幸いだった。

 

 レムはしばらく何も考えず、じっとして休んでいようと思った。今日は一段と肌寒い。

 だが数分もすると、また誰かが病室の戸をノックしている。


 看護師が何か忘れ物でもしたのだろうと思い、レムは反応せず入ってくるままにさせようとした。

 

 だが、ノックの主が入室してくる気配はない。

 反応がないと見るや、もう一度コンコンと戸を控えめに叩いている。


 医師や看護師ではないな、とレムは直感する。

 まだ医師が回診してくる時間ではないし、看護師たちはいつもノックだけして自分から入ってくるからだ。


「どうぞ」


 だとすると、レムを訪ねてわざわざやってくるようなやつは一人しかいない。

 

「こ、こんにちはー」


 やはり、ルミネだった。

 そろりと小さく引き戸の扉を開け、上体だけ出してレムの様子を伺っていた。


「えっと……何かあったの?」


 普段のルミネからすると、やけにぎこちなく、遠慮がちな態度。

 レムは小さく手招きしてルミネを部屋の中に入れてやる。


 レムのベッド前までやってきたルミネの両手が何かを握りしめているのに気が付く。

 投影機と平たい何かのケースのようだった。

 

「これなんだけどね、その、一緒に観てくれないかなと思って……」


 ルミネは子どもが親にものを買ってもらう時のようなたどたどしさで、手にしていたケースをレムに差し出す。


 ケースの正体は映画のディスクが入ったパッケージだった。

 裏面を見るとバーコードラベルが貼ってある。院内図書館から借りてきたものらしい。


「いつもは看護師さんに起動してもらうんだけど、今日の担当の人、話しかけにくいタイプの人で……」

 

 映画を収めた魔光学式ディスクと投影機を見比べて、レムはようやく合点がいった。


「ふぅん。なるほどね」


 ルミネは魔法を使えない、受け付けない病を持つ。

 当然、動作に少しでも魔力が関わる機器は動かすことができない。誰かの助けがないと映画ひとつ観られないと言うわけだ。


 そしてこの世界は魔法に関われない人間にとっては、不親切に溢れている。

 レムは、その一端をルミネほどでもないにしろ味わっていた。


「うーん。まぁ、いいよ。どうせヒマだし」

「やった! ありがとう!」


 別に映画なんてどうでも良かった。

 だがルミネが自分以上の不便を抱えていると思うと、なんとなく彼女の頼みを無下にはできない気がした。


 レムはベッドから出て、壁の差込口に投影機のプラグを繋げて魔力を供給した。

 レムも魔法を使えない身ではあるが、自分の魔力ではなく院内に通る魔力を使ってちょっとした道具や機器を扱う程度なら、どうということはない。


 魔力を得てレンズから壁へ光を投射する投影機。

 それを見て表情を輝かせるルミネ。

 笑顔のまま面会者用の椅子を引っ張り出して座っていた。


 普通であれば、なんでもないことだ。

 だが、ルミネにとっては些細なことも一大事なのだとレムは改めて実感した。


「あ、そうだ」


 ルミネは急に何かを思い出したかのように立ち上がった。

 投影機からの映像を見やすくするには暗闇が必要だと気付いたのだ。


「電気も消さないと」


 ルミネは壁にある電燈のスイッチに手を伸ばす。

 

「やめて」

 

 声を出して制止するレム。

 ほぼ反射的だった。


 レムは声を出してからはっと息を飲む。

 

 焦ったような、あるいは縋るような、切迫した声を出してしまった。

 レムにはそんなつもりはなかった。


 ぴたっ、と動きを止めたルミネとレムの視線が合う。


 レムは暗闇が嫌いだった。今までの人生で一番嫌で辛かったことを思い出すからだ。

 でも、だからといって語気を強めた言葉を、何も知らないルミネに向けていいはずはなかった。


「ごめん。……その、暗いの好きじゃなくて」

 

 レムは目を伏せる。

 続く弁明や説明の句を探す。うまく出てこない。

 口から吐息だけが漏れる。


「いいのよ」

 

 だが、ルミネはいつもの穏やかな笑顔をレムに返していた。


「考えてみれば、真っ暗じゃないと観られないってわけじゃないし」


 そう言うと、ルミネは何事もなかったかのように自分で引っ張り出してきた椅子に座る。

 レムは、内心ほっとした。

 そしてルミネに、感謝した。


 抱えている深刻さを低く見積もらずに受け入れてくれたことがありがたかった。

 やはりルミネは、純粋で無邪気な眼の奥で何かを見ている。

 レムはそう思わずにはいられなかった。


 結局、レムもルミネと一緒になって、壁に投影されたちょっと観づらいB級スリラーを観た。


 映画はつまらなかった。

 見終わると、ルミネは「ありがとう、また明日ね」といって自分の部屋へと戻っていった。


 

 

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