できない約束

棚霧書生

できない約束

 呼び止めてきた男が誰だったか、記憶の底をあさる。数秒の時間を費やしても一向に思い出せない。

 “異形たちの宴”と銘打たれたこのパーティ会場に来ているのだから、相手の種族はとりあえず人ならざる者ではあるだろう。だが、こちらも長いこと悪魔をやっている身なので異形の知り合いには心当たりが多すぎる。

「あー、えーっと……」

 俺は愛想笑いを浮かべながら首を傾げた。大抵はこれで相手が空気を読んで自分から名乗ってくれる。

「覚えていないのですか?」

「うーん、ここまで出かかっているのだけどね……」

 俺は喉の辺りを指差しながら内心イライラしていた。もちろん顔にはそんなこと少しも出さないのだけれど。

 目の前に仁王立ちになっている彼はかなり目立つ容姿をしていた。全長およそ二メートルの大柄な体はよく鍛えられているのが服の上からでもわかる屈強さであった。加えて、彼の顔を人間的な感性によって描写するのであれば、神が丹精こめて造形したとしか思えない、とびきりの美形だった。この美しさおそらく神を祝福を受けた、天使かそれに近い者なのだろうと当たりをつけられたはいいが、やはり記憶のどこにも彼の姿は見つけられない。

 本当に俺は彼と会ったことがあるのだろうか、誰かと間違われているだけな気がする。ヘラヘラと笑みを浮かべる無意味な時間を終わらせるためにも、彼には早いところ彼自身の名を口にしてほしかった。まあ、顔を見てもなに一つ引っかかるものがないのだから名前を聞いたところで彼のことが判然とする確率は著しく低いのだけれど。

「覚えていないなら、いいです……」

「は? えっ、ちょっとお兄さん……!」

 突然、話しかけてきた男はこれまた突然去ってしまう。引き止める言葉が喉元まで上がってきていたが、結局俺は口を閉ざした。俺は彼を知らないし、彼も俺への興味は失せたようなのだから、わざわざ正体を追及する必要はない。

「これはこれはお久しぶりですね、アデルク」

 今度は打って変わって馴染みのある声が耳に届く。

「ああ、君か、キャンシー。最近は店に顔を出せてなくてすまないね」

「いえいえ、そんな。また、お時間のあるときに寄って頂ければ十分ですよ」

 ふふ、と色気のある笑い方をした彼は俺の行きつけのバー、ルルイエの店主だった。彼の店に出入りする客は俺と似たような悪魔ばかりだからか親しみやすく、足が遠のいていた期間もあるがざっと計算してもかれこれ五百年ほどは通っている。もしかしたら、彼なら先ほどの男についてなにかわかるかもしれない。

「なあ、キャンシー、ちょっと知恵を貸してくれないか。あそこに背の高い美形がいるだろう? どうも俺の知り合いらしいんだが、とんと思い出せなくてね」

「ああ、あの方は……」

 キャンシーが思い出すように目を細める。そして、また妖しく微笑んで俺をからかう調子で言葉を続けた。

「貴方が何度もうちの店に連れてきた方ではないですか。忘れてしまわれたのですか? 薄情者ですねぇ……」

「ええ!? 俺がキャンシーのとこに一緒に酒を飲みに行ったのか、あいつと?」

「貴方が彼を伴って最後に来店されたのは、まだほんの二十年ほど前のことですよ」

「いやいや十分、昔じゃないか……。頼むよキャンシー、……ヒントだけでもくれないか? 今度、店に行ったらボトルを開けるからさ」

 いたずら心のあるキャンシーが答えを直接教えてくれるとは思えなかったが、せめて記憶の取っ掛かりになる情報だけでもほしかった。

 キャンシーは長テーブルにたくさん並べられたビュッフェ料理の中から、フライドチキンやローストチキンなど鳥を調理したものを皿に取り分けると俺に渡してきた。そして、俺の耳元に頬を寄せ、裏切りの象徴……とだけ囁くと自分の仕事は終わったとばかりにどこかに行ってしまう。

「…………コウモリのことか?」

 キャンシーからもらったフライドチキンにかぶりつきながら、思考を巡らせていく。鳥の身を飲み込んだその瞬間、昔飼っていたある使い魔についての記憶を思い出す。


 三百年ほど前に灰の中からそれは生まれた。黒い体毛に黒い羽。コウモリにそっくりの姿をしているそいつは片手で覆えるほど小さな体を一生懸命に動かし、俺の存在を認めるとキーッと鳴く。

「うーん、使えるかな、これ……」

 俺は魔法陣の横に置いていたコーヒーマグを手にし中身をグッと飲みほす。

 使い魔にするための悪魔を召喚したのは気まぐれだった。ちょうど一体、子飼いにしていた悪魔が死んだので補充の意味合いもあったが、戦争も起こっていない時期だったこともあり、すぐに実戦へ投入できる使い魔の確保を急いでいるわけではなかった。魔力の強さもわからないうえに、育成に手間のかかる誕生まもない悪魔を喚びだしたのは言うなれば暇つぶしでしかなかった。

「よしよし、今日からお前は俺の使い魔だ。名前は……灰の中から生まれたしフェニックスでいいか」

 主従の契約を結ぶため、指先をちょっと切ってフェニックスに俺の血を与えてやる。自我もはっきりしないうちに勝手に契約を結ばされるなんて運のないやつだなと他人事に思いながら、生まれたばかりの悪魔フェニックスを俺に縛った。

 俺が適当に育てた割にフェニックスは忠義心の高い気の利くいい子に成長した。しかも、そこらの悪魔よりもずっと魔力が強く、たくさん俺の役に立ってくれた。

「褒めてください、アデルク様」

 敵対していた吸血鬼の首をとってきたフェニックスは一番に俺からの労いをほしがった。俺によく懐いていて、とても可愛らしい。

「いい子だな、フェニ。なにか欲しいものはある?」

 フェニックスは大きなコウモリの姿からどんどん体を小さくしていって、猫くらいのサイズになると俺の膝のうえに乗ってきた。黒くてまん丸の目玉が俺を見上げる。

「俺以外の使い魔との主従契約を破棄してほしいです」

「また、それか……」

 俺はため息をつく。フェニックスはとても優秀な使い魔だが、褒美として要求するものが他と変わっていた。とにかく俺の周りにいる者たちを排除したがるのだ。生まれながらにして独占欲が強いのかもしれない。

「前にも言ったけれど、他の使い魔との関係はお前が口出しすることじゃないし、俺の使い魔が減ったらそれだけ俺の戦力が減るんだ。おいそれとは契約破棄なんてできないよ」

「使い魔だろうが悪魔はすぐに裏切りをします。アデルク様を本当に思っているのは俺だけです。他の使い魔などいなくても俺が貴方をお守りします。だから……」

「ああ、もうっ、その頼みは飲めないんだってば! 主人の言うことは素直に聞きなさいフェニックス」

「…………わかりました」

 全然納得をしていない顔でそう言ったフェニックスに根負けし、俺は一体だけならという条件で別の使い魔との契約を解消した。


 そこからは、なし崩しだったと記憶している。俺はシャンパングラスの中で生まれては消える気泡たちにかつて従えていた使い魔たちを重ねた。

 あの後、フェニックスの要求はエスカレートしていった。彼は手柄をあげるたびに自分以外の使い魔との関係を断ち切ることを俺に強請った。なにも褒美をやらないのも決まりが悪かったので俺は渋りつつもフェニックスの願い通り一体だけ、もう一体だけと思いながら使い魔たちとの主従契約をちまちま解消していた。それが、いつからだっただろうか、俺の使い魔が下位の者から順に消され始めたのは。

 最初は敵対勢力に狩られてしまったのだろうと軽く考えていた。しかし、徐々にそれは違うのだと気がついた。

「フェニックス、今やめるなら、ちょっと魔が差したんだろうってことでお仕置きだけで許してあげるから正直に話しなさい。同士討ちをしてるね?」

 ある日、フェニックスにカマをかけた。ほぼ俺の中では確定事項だったけれど、弁明があるのなら聞いてやるつもりだった。

「……アデルク様がお仕置きしたいなら、してください。でも、俺はやめませんよ。貴方の唯一になるまで」

 フェニックスはとても使える手駒だったけれど、そのセリフでもう一緒にいることは無理だとわかって俺はそこで終わりにすることにした。フェニックスを灰に還してやろう、口にしたのは炎の呪文。俺はフェニックスを、殺した。

 それなのに……。

「不死鳥のごとく復活したっていうのか?」

 酔いを覚ますために洗面所で顔を洗い、鏡の前でひとりごちる。

 さっきあったあれは確実に悪魔ではなかった。フェニックスが天使になってよみがえったなんてことがありえるのだろうか。もしかして、キャンシーに一杯食わされたか。

 しかし、あの男がフェニックスだと言われてみればそういう気もする。俺を意味ありげに見つめるあの目はあいつにそっくりではなかったか。

 ああ、もしもフェニックスが生き還ったのなら俺にどんな感情を抱いているのだろう。恨まれでもしていたら相当面倒くさそうだ。

「力……、強そうだったな……」

 相対したときの印象だと正面からやりあって勝てるかは微妙だ。想像したら気分が悪くなってきた。めまいもする。……なんだ、この急に酔いが回りだしたときのような酩酊感は?

「……アデルク様、大丈夫ですか。体調がお悪いようなら俺がお助けします」

「フェニ……!?」

 後ろから突然聞こえてきた声に驚き、振り返る。そこにはパーティ会場で話しかけてきた男が……フェニックスが立っていた。

「やっぱり、俺のことわかってて無視したんですね。知らないふりをするなんて貴方は意地悪な人だ」

 もうあの頃のコウモリの姿ではないのに、フェニックスの雰囲気のせいか彼は暗い黒をまとっているように見える。

「さっきは、本当に気づかなかったんだよ……。キャンシーにヒントをもらったから……」

「キャンシー……? ああ、あの胡散臭いバーテンダーですか……」

 フェニックスが形のいい眉を苦々しげに歪める。

「アデルク様はあいつに聞くまで俺のことがわからなかったのですか?」

「…………いや、その」

 わかっていたともわかっていなかったとも答えられなかった。どちらにしてもフェニックスにとって俺は冷たい男だったという事実は今更変えられない。

「本当に悪魔という生き物は自分勝手ですね。特にアデルク様は」

「これが俺の性分だって理解してくれない?」

 開き直って彼を鼻で笑う。さっきから頭の中がぐぅわんぐぅわんと揺れるようで、すこぶる気持ちが悪い。これがただの悪酔いではないと俺はわかっていた。

「俺に復讐しにきたの、フェニ?」

 随分と長く生きてきたけれど、まさか自分がこんな終わり方をするなんて考えもしなかった。だけど、因果応報、身から出た錆とも言うし、一度殺した相手に今度は俺が殺される番なのだ。

「復讐? 俺がアデルク様にそんなことするなんてありえません」

「……よく言うよ」

 フェニックスから強大な退魔の力を感じる。このまま俺のことを祓うつもりなのだろう。大人しく殺される気もないので逃げたいところだが、生憎とフェニックスはそんな隙を少しも見せてはくれない。

「貴方を迎えにきました、アデルク様」

「はは……、天使がブラックジョークとか言うんだ」

 膝から力が抜けて、俺はその場にへたり込んだ。限界が近づいてきていた。俺は意識を保っているのがやっとで、隣に屈んで俺の顔を不躾に覗き込んでくるフェニックスを押し退けることもできない。

「なにか勘違いをしているようですが、俺が貴方を害することはありません。ただ、昔のような契約をしてもらいにきました」

「また、俺の使い魔になりたいの? そんなに強くなっちゃったお前を俺が縛るのはもう無理だよ」

「ええ、だから、今度は俺がアデルク様を縛ります」

「は……? そんなの……」

 死んだほうがマシじゃないか。この歳になって天使の子飼いにされるなんて屈辱でしかない。動かない体を無理矢理に動かして、逃げを打とうする。だが、へろへろの俺がもちろん逃げ切れるわけもなく、すぐにフェニックスの腕に捕まる。

「フェニックスッ……、お前が望むなら俺が今契約している使い魔は全員切る! お前だけだと約束しよう! だから、俺をお前の使い魔にするのは……」

「黙ってください」

 口をフェニックスの大きな掌で塞がれてしまう。フェニックスに密着され、彼の天使特有の聖なる力が悪魔の俺には痛くて痛くて、意識がますます遠くなっていく。

「貴方からの約束はしていただかなくて結構です」

 正気を完全に失くす直前に俺は俺にとって最悪の言葉を聞く。

「俺が貴方に約束します……アデルク様に惜しみない無償の愛を与えると。わかってもらえるまで……、わかってもらえなくても、ずっと愛を与え続けると神のもとに誓います……」

 混じりっけない純真な思いは神が最も好みそうなものだった。フェニックスが天使に生まれ変わった理由をそのとき思い知らされた気がした。


終わり

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