第10話 私はやだよ

 ――近い。


 鼻先が触れ合いそうなくらい近くに、かがみの顔がある。


 横にはサラサラした長い髪が垂れていて、私はまるで繭にでも包まれているみたいだった。


 そして……



 モミモミ……モミモミ……


 ぁ、あ、あ、あぅ…………



「うぁあああああああああああああああああああっ!」


 ガタッとイスを蹴って、私はその場に立ち上がる。


「ど、どうしたの綾崎さん……?」


 その私を驚いた顔で見つめる現国の先生。


 おなじように、驚いた顔で私を見つめるクラスメイトの顔、顔、顔……



「え、えと、その……ちょっと思い出したことがあって……」


「もう、授業中は静かにしてね」


「はい、すみません」


 クラスメイトたちに見つめられたまま、私は腰を下ろした。



 ビックリした。いや、ビックリしたのはみんなのほうだろうけども。


 てか授業中になんて夢見てんだ私。そもそも授業中に寝るな私。



 昨日の夜、私はほとんど眠ることができなかった。


 ずっと頭に浮かんでいたのは、かがみのこと。もっと正確に言えば、かがみにされたこと。


 自分の胸に触れる。


 ……やっぱり、自分で触るのとは全然違う。あの感覚は忘れられそうにない。でも……



 いま私を悩ませているのは、しかしそれだけじゃなかった。




「かがみー、いっしょにお昼食べない?」


「ごめんなさい、用事があるから……」


 ろくに目すら合わせずに、かがみはそそくさと教室を出て行ってしまう。



 これが、私を悩ませているもう一つのことだ。


 今朝から、かがみの様子がちょっとおかしい。


 話しかけても他人行儀だし、ラインを送っても返事こないし。


 なんで!? 私、怒らせるようなことしたっけ……



「あー、綾崎フラれちゃったね」


「委員長、なんだか怒ってなかった~?」


 私の肩に手を置き、訳知り顔でうなづく石田。能天気な坂井。我が友人たちがやってきた。



「綾崎、今度はなにしたん?」


「今度はってなに。私かがみを怒らせたことなんてないし」


 ない、よね。うん、ない。記憶を探ってみるけど、やっぱり心当たりはない。ていうか……



 なんでかがみの機嫌悪いの!?



 私なにもしてないし! てかされた側だし! それなのにかがみが怒るってなんか違くないっ!?


 考えれば考えるほど納得がいかない! だって私悪くないし!



「かがみーーーーっ!」


 二人に一言断って教室を飛び出した私は、かがみのあとをダッシュで追う。


「え、えぇっ!? な、なに!?」


 逃げるかがみ。


「な、なんで逃げるの!?」


「だって七海ちゃんが追いかけてくるから!」


「ちょっと待って! 話したいことがあるんだから!」


「じゃあ止まってくれる!? なんだか怖いわ!」


「かがみが止まったら止まる!」


「それを聞いたら余計に止まりにくいわ!」



 なんて言い合いながら、廊下を走り回る私たちは、


「こらっ! なに二人して廊下を走っているの!」


 二人して先生に叱られてしまったのだった――




「……で、どうして私のこと避けてるの?」


 近くの空き教室まで移動してきた私たち。ずっと気になっている疑問をぶつけてみた。


「べつに避けてた訳じゃ……」


「いや、避けてたじゃん。ラインも返してくれないし」


「ごめんなさい」



 かがみはシュンとしてうつむいてしまった。


 ヤバ。言い方ちょっときつかったかな。そんなつもりなかったんだけど……私もちょっとイライラしてたみたい。



「ごめん。責めてるわけじゃないの。なにかしちゃったなら謝りたくて」


「そんな! 七海ちゃんはなにもしてないわ。ただ、その……」


 それからかがみは、またうつむいて何事か考えているみたいだった。やがて顔を上げると、


「じつはね、学校をさぼって遊びに行ったこと、お母さんにバレちゃったの」



 滅多に学校を休まないかがみが休んだので、先生がお見舞いの電話をかけたらしい。


 それで風邪をひいたのでないことがバレて、学校をさぼったことがお母さんにバレてしまったんだとか。


 罰として、また勉強に集中できるように、家出はスマホを没収されているみたい。それだけじゃなくて……



「だれに誘われたのって訊かれたから、答えちゃったの、七海ちゃんのこと。私がサボるなんて思えないから、だれかに誘われたと思ったみたい」


 うんうん、それで悪い友達とは付き合うなと言われたと…………



 私のせいじゃんっ!



 天井を仰ぎ、思わず叫びそうになった。


 なんにもしてないとか言ったけどバリバリしてたごめんなさいっ!



 でも……よかった。かがみに嫌われたんじゃなくて。


「七海ちゃん、どうかしたの?」


 思わずふぅとため息をついた私に、かがみは不思議そうに訊いてくる。


「うぅん、なんでもない」


 正直に言うわけにもいかず適当に誤魔化す。かがみはとくに追及してこなかったのでまたため息が出た。


 安心した……けど、ちょっと待って。ん? となる。



 それって、お母さんに言われたから、私を避けてたってこと?


 なんか納得がいかない! いやいや、悪いのは私なんだけれども!



「かがみはさ、このままでいいの?」


「え?」


 意味が分からなかったのか、かがみはキョトンとした顔で私を見てきた。


 ……いや、違う。そうじゃなくて……



「私はやだよ。もっとかがみといろいろなことしたいし、たくさん遊びにも行きたい! このままなんてやだ!」


「で、でも……うち躾にはかなり厳しくて」


「じゃあ、お母さんを説得すればいいんだね!」


 気づいたときにはそう言っていた。あれ? なに言ってるんだ私。



「私、かがみのお母さんに謝るよ、学校サボらせちゃったこと! あと、これからのことも話してみる!」


「え、えぇっ!?」


 動揺して、珍しく声を上げたかがみ。でも……



 私自身も、驚いて、動揺しているのだった。

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