[エピソード・トノカ]

第1話 有佐途乃香という人間

 ――新学期が始まってしまった。


 別に学校が嫌というわけじゃないのだけれど、勉強のことを考えなくちゃいけないのは少し気分が乗らないんだよなぁ。

 私の通っている高校はやけに文武両道を全面的に掲げてそれを実行するように課題がたくさん出るのだから。

 まぁでも、ここを卒業していった人の話が載っている冊子を読むと、ここでついた根性は一生ものだから学校生活を頑張っていこう!と書かれていたから、少しはこの大変さも将来のために重要なんだろう。私はまったく将来のことなんて考えてないけど。


「......」


 初週の授業が終わって、明日は大好きな休日。何をしようか計画を練るのが私の大好きな時間。

 でも、これから少しの間はもっと面白そうなことが私を待っていた。

 あの古谷が、私を取材したいと言ってきてくれた。なんでも所属している漫画研究部でこのハイハイを舞台とした作品を作る計画が立てられているらしい。そしてその登場人物として、実際にいた人を取材して得たものからキャラクターを作るとのこと。


「ふんふふんふふーん」


 ということで、明日から私と古谷は疑似デート。

 別に前からしていなかったわけではないし、改まってすることでもない。

 取材だって今更何をするんだろう。

 でも暇が大嫌いな私にとって興が満たせるのならなんだっていいや。

 自転車に鍵を差し込んで、足を勢いよく回してクロスバイクに乗り込んだ。

 周りからはもっと淑やかにすればいいのにと言われるが、外見は選べないんだ。

 私の内面と外見があまりにもかけ離れていることは私が一番実感している。どうしてこんなお姫様みたいな見た目なんだろう。もっとこう、女戦士みたいなたくましい見た目になってもいいはずなのに。


「あっ、おーい!」


 自転車をこいでいると正門近くの駐輪場に古谷がいた。相変わらず、私が乗ったら倒れちゃいそうなほどサドルの位置が高いなぁ。

 何度か段差に乗り上げた時にサドルがすっこ抜けたのを見たことがあるのだけれど。


「ん?あぁ、有佐か」


 古谷はどこかすました顔で私を見ていた。

 明日から私を取材してくれるというのに、どこか素っ気ないなぁ。


「メッセージ見たよ。明日カラオケだよね?」


「あぁ、そうだよ。ま、今度こそ点数勝負は俺が勝つかな」


「ふふん、私に勝てずにポテトを奢る古谷の泣き顔が目に浮かぶ......」


 古谷とはとある事情があって何度かカラオケに行ったことがあった。

 意外にも、古谷はロックを歌うのが好きなのだ。私の予想だと、もっとこうしんみりとした曲が好きそうだと思っていたのだけれど。


「それじゃあまた明日な」


「うんっ。寝坊して遅れないでよー!」


 私の帰る方向と逆方向に自転車を漕いでいった古谷は振り向きもせず手を振って行ってしまった。

 古谷はなんだかんだ寝坊をしたことが一度もなかったけど、私の中では未だに約束を寝坊ですっぽかしそうな人ランキングで上位に位置付けられていた。

 そんなこんなで私は自宅へと向かっていった。最近は本当に日が伸びて、気温も汗ばむほど高くなっていた。帝国領の夏本番はこれよりも全然蒸し暑いのに。

 夏という概念は好きだけれど、さすがにあそこまで暑すぎると嫌になってくる。私が本当に小さいころは30℃を超えると大騒ぎしていたような気がしたのに。


 ――さて、早く行かないと。黒影ちゃんが待っているかもしれない。


 その思いのまま、私はひたすらに足を動かしていった。




――――――




「――ただいまー」


「おかえりー」


 自室に辿り着く瞬間に小声でそう言うと気の抜けた声が返ってきた。

 黒影ちゃんは私のベッドに仰向けになりながらカバーが取り付けられた小説らしきものを読んでいた。地味につらい姿勢なのに、影には疲れとかそういったことがないのかな?

 そう思って机の上を見てみると、いつの間にかエナドリの空き缶が増えていた。部屋中はそれらしき匂いが充満していた。


「もー、飲んだら換気してって言ったよね」


「ごめんごめーん。次からそうするー」


 この言葉を何度聞いたんだろう。別に嫌いな匂いじゃないけど、どこか私も飲みたくなっちゃうから換気はしてほしいものだ。

 まったく。影だから食事をする必要がないはずなのに、どうして黒影ちゃんは好んでエナドリを飲んでるんだろう。


「何読んでるのー?」


「ん?あぁ、とある人が書いた誰も知らない世界の話だよ。クク、とのっちも読んでみる?」


 私は首を横に振った。

 小説はあまり好んで読まない。登場人物の思考や性格のような何かを自分に無理やりインプットするような感覚になるから苦手だった。

 それは私が昔から他者の感情に寄り添うことが苦手だったせいでもあると思う。


 ――いいよねー、途乃香ちゃんは○○で。自分が少し特別で、少しずれていることに気づいたのはそう遅くはなかった。今も昔も、変わらずこのような言葉をよくかけられる。その言葉がいい方に受け取れないことはよくわかっていた。


 そういえば、古谷が前にこんなことを言っていた。精神は肉体という器をもって初めて他者から知覚されるが、その器は精神の表れを映し出す鏡でもあると同時に精神とは無関係に造形を成している。

 古谷は意地悪だから、時々私に難しい言葉でメッセージを送ってくる。

 それにしても、なんでこんなに回りくどい言い方をするんだろう?――その人のことは表情や仕草や話すことによってどんな状態であるかわかるけど、その役割を果たす肉体はその人がどんな人であるかに関わらず存在している。深いようで、そうでもないような言葉。

 まぁ、古谷は中二病だから仕方ないか。そう言う私も時々古谷が送ってくる小難しい言葉の意味を考えるのが好きだし。


「あ、ねぇねぇ黒影ちゃん」


「んー?どうしたの」


 黒い影はそう言ってごろりと回転してうつ伏せになった。


「明日古谷とカラオケに行くことになったんだー」


「おー。もしかして、また古谷君に疑似彼氏になってもらうの?」


「いいや、違うよ。古谷は私を取材したいんだって」


 すると黒影ちゃんは読んでいた本をぱたりと閉じてベッドの上で起き上がった。


「取材?」


「そう。何でも古谷が所属している漫研で作る作品のためらしいんだよね。でも、今更私の取材って何をするんだろうね?」


「確かに。まぁ、古谷君にとってとのっちは馴染みがあるかもしれないけど、他の部員にとってはそうじゃないんじゃない?」


「そっかー」


 言われてみれば確かにそうだ。新入部員がいたら私のことを知らなくて当然。そのこともあっての取材なんだろうな。


「はぁ、明日どの服で行こうかな?」


 とは言ったものの、私の持ってる服は極めてシンプルなものばかりだった。スキニーパンツと動物をモチーフにしたフード付きのパーカー。

 私のお気に入りはサメのパーカー、何故ならサメの歯を表現するようにチャックがたくさん付いててかっこかわいいから。他には恐竜やウサギといった感じでいろんな種類があったけど、明日は気合を入れてサメで行こうっと。


「とのっち、本当にこのブランドのパーカー好きだよね」


「うん。だって、古谷が私に選んでくれたんだもの」


 ――私は周りからチョロそうって思われているらしくって、そのせいあってかいろんな男子が私に下心全開で近寄ってくることがあった。

 以前しつこく告白をしてくる情熱的すぎる変な男子に絡まれた時に、古谷を疑似彼氏として駅前のショッピングモールに召喚した時があった。

 古谷は厄介ごとに巻き込まれて嫌な顔をするかと思っていたら、意外にも「すげぇ面白そう。いいよ、やってあげる」とあっさり承諾してくれた。

 さすがの男子も古谷が登場するとそれ以降はしつこく付きまとってくることはなくなった。古谷が見事に私の彼氏役として完璧に立ち回ってくれたからだ。

 意外にも古谷は背が高い。一方でその男子の背は普通くらいだった。ずっと見下すように男子に圧力をかけている古谷の姿を思い出すと今でも笑いが吹き出そうになっちゃう。だって普段と全然違かったから。


「私、今まで自分に似合った服ばかりを選んで着ていたけれど、古谷はいい意味でそんな私を否定してくれたんだ」


「そ-なんだ」


 このサメのパーカーは疑似デートをしているときに古谷が私に似合うと言ってくれたものだった。

 古谷にしては珍しく試着してみてと頼み込んできたので仕方なく着てみると、意外にも私もその不思議なデザインが気に入ってしまった。

 なんだかこっちの方が私らしい、今ではそう思うようになってきた。


「クク、本当に古谷君と付き合っちゃえば?」


「――それは駄目だよ」


 思わず、少しばかり言葉を強く言ってしまった。


「......あぁ、いや。何でもない」


「ふーん、何か思うところがあるの?」


「それは......。古谷は、私なんかにそういった気持ちはないと思う」


 そう思う根拠はあった。何故なら私は異性に関して絶対に自分のことを好きにならないという人しか仲良くなれないからだ。仲良くなれないというか、相手から押し付けられる有佐途乃香という理想の女性像に応えないといけないって気持ちになってしまうのが嫌なんだ。

 本当に、古谷は不思議な人だった。いつも優しいのに、どこか手を伸ばしても届かないような距離感を保っている気がする。


「まぁ、異性間で友情が成り立っているってことはそうなのかもね」


「うーん」


 私には親友と呼べる同性の存在はあまりいない。何故なら私がいるだけで男子からの注目は私に集まってきてしまうからだ。主人より従者が目立っちゃうのはよくないんだろう。

 だから私が仲良くできるのは男子に興味がなさそうなサバサバとした人ばっかり。今年からクラスが一緒になった浪川とか。


「ねぇ黒影ちゃん。私って本当はどうしたいんだろうね」


「んー?それはワタシにはわからないよ。――でも、今のとのっちだったら思い通りだと思うけど」


「思い通り?」


 黒い影が言っていることの意味がよくわからない。でも汲み取るところがあるとしたら、私の一存で古谷と私の関係はどうにでもできる、そんな感じだろうか。


「とにかく、ワタシは応援しているってこと」


「それって私が古谷と付き合いたいみたいな言い方じゃん。それがわからないままだって言うのに―」


 そう言って私はベッドの上の黒影ちゃんの隣にごろんと横になった。


「じゃあワタシに任せてみる?」


 すると黒い影は私にまたがるように見下ろしてそう言ってきた。

 ぎょろりと渦巻いた奇妙な瞳が完全に私の視線を捉えていた。


「ううん。それだと後悔しそうだから大丈夫」


 私が首を振ると、黒影ちゃんは何も言うことがなく私の隣にごろんと横になった。


「まぁ、ワタシとしても誰かを乗っ取るような真似はしたくないからね。ククク、じゃないと怒られちゃう」


 まるで独り言を呟くように黒影ちゃんは再び本を開いて読み始めた。


「はぁ。明日のことは明日考えるのでもいっか」



 ――特にすることもなく今日という日はあっという間に過ぎ去っていった。

 少し眠りにつけなかったのは、一体何が原因なのか。わからないまま天井を仰ぎ見ていた。

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