検証とデート 6

 聖女の力は大変貴重で、国を挙げて守るべきものだ。

 アルムガルド国の――いや、少なくともこの大陸の貴族であるならば、幼少期からそう教え込まれる。


 年々聖女の数が減り続け、神殿が聖女の確保と保護に動き出して五十年。

 聖女と貴族……いや、聖女と国民の距離は、離れたように思う。


 聖女は守られる存在で、その力は稀有なもの。

 無暗に、聖女にその力を使わせてはならない。

 聖女の癒しの力は、聖女に負担がかからないように神殿が管理する。


 ゆえに、貴族であろうとも、聖女に命令しその力を使わせてはならない。

 結婚し神殿から離れた聖女であっても、例えば誰かに無理に力を使わされようとすれば、神殿に逃げ込めば助けてもらえる。

 貴族の中に聖女が現れれば、高確率で高位貴族との縁談がまとまった。

 そうして保護され続けた聖女たちは、そうされることが当然だと理解しているから、癒しの力の安売りをしない。


(その、はずなんだがな)


 店で温かい紅茶を二つ買ってベンチに戻ろうとしたリヒャルトは、鳩の側にしゃがみこんでいるスカーレットを見て動きを止めた。

 何をしているのだろうかと目を凝らすと、どうやら鳩は翼を怪我しているようだ。羽が白いからこそ、赤い血の跡がくっきりと浮かび上がって見える。


 だが、鳩が怪我をしていたからなんだというのだろうか。

 怪訝に思ってみていると、スカーレットが慎重に怪我をした鳩に手のひらを向けるのが見えた。

 まさかと思ってそのまま見守っていると、スカーレットが癒しの力を使うのがわかった。


 聖女が癒しの力を使うとき、ほんのりだがその手のひらが光って見える。

 目を凝らさないと見えない程度だが、リヒャルトの目には、暖かい金色の光に包まれたスカーレットの手の平が見えた。


 時間にしてわずかなものだっただろう。

 鳩が翼に違和感を覚えたのか、しきりにくちばしで確認しているのが見える。急に痛みが引いて驚いたのか、それとも、翼が温かくなって驚いたかのどちらかだろうか。


 聖女に癒してもらうと、その部分がほんのりと温かくなるのだと友人が言っていた。

 リヒャルトは生まれてこの方、大きな怪我も病気もしなかったので、聖女に力を使ってもらったことがないのでわからないが、ふわりと包み込まれるような温かさはとても気持ちのいいものだと友人から聞いた。


(癒しの力を、鳩に使ったのか……)


 その事実が信じられず、リヒャルトはしばしば茫然としてしまった。


 聖女は癒しの力を安売りしない。

 人であっても平民は相手にされないのに、スカーレットはそれを鳩の怪我を癒すことに使ったのだ。

 目の前で見た光景がなかなか理解できない。

 鳩を癒したスカーレットは満足そうな顔をしていた。

 それは、心の底から彼女があの鳩を助けたいと思っていたからこそできる表情だろう。

 いや、そもそも、助けたくないのであれば癒しの力を使うはずがない。


 聖女は、無償奉仕。

 けれども厳密にいえば、その力は無償の力とは程遠い。

 貴族が、聖女に優先的に力を使ってもらうため、どれほどの金貨を積むか、リヒャルトは知っている。

 聖女の確保に動き出してからというもの、年々神殿の力が大きくなっていることも、理解していた。


 けれども、貴族も王族も、それを黙って見ているしかない。

 聖女の力がどれほど稀有なものか、理解しているからこそ何も言えないのだ。


(それなのに、それを鳩に使うのか……)


 これは、注意した方がいいのだろうか。

 それともスカーレットの好きにさせておいた方がいいのか。

 リヒャルトにはそれすら判断がつかない。

 けれど、鳩の怪我を癒して笑うスカーレットが、ただただ美しいと思った。


 聖女の力とは、何者かに管理されるものではなく、本来はこうして、聖女の心のままに行使されるべきものなのではないのか。

 それが貴族でも平民でも、人でも動物でも関係ない。

 聖女が癒したいと思った対象に、その力を使うべきではないのか。

 スカーレットを見ていると、そんな気持ちにさせられる。


 やり切った顔のスカーレットは、ベンチに戻ろうとしたのだろう。

 くるりと踵を返して、そしてくわっと目を見開いた。


「あー‼ わたしのサンドイッチ‼」


 スカーレットの悲壮感漂う絶叫に、リヒャルトはハッと我に返った。

 先ほどまでの聖母もかくやと言わんばかりの美しい笑顔はどこへやら、涙目でかっくりとうなだれるスカーレットは、どこにでもいる女の子にしか見えない。


 スカーレットの目の前で、鳩に啄まれて無残なことになっていたサンドイッチを猫が咥えて走り去った。

 スカーレットがさらにしょぼーんとした顔になってベンチに座りなおすのを見た瞬間、リヒャルトは我慢できずに噴き出した。

 スカーレットがハッと顔を上げて、金色の瞳を丸くする。


「本当に君は見ていて飽きないな。ほら、サンドイッチは後二つ残っているから、機嫌を直しなさい」


 そう言って紅茶と新しいサンドイッチを差し出すと、彼女はぱあっと花が咲いたように笑った。

 スカーレットがサンドイッチを食べはじめると、一度逃げた鳩たちがまた近寄って来る。

 スカーレットはサンドイッチのパンをちぎってパンくずにすると、ぱらぱらと地面に撒いて、鳩が啄むのを見つめていた。

 その中には、スカーレットが傷を癒した鳩もいる。


 柔らかく目を細めて微笑むスカーレットの横顔が、ひどく眩しくて、リヒャルトは自分でも無意識のうちに、彼女をじっと見つめていた。




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