聖女の出汁は何の味? 2
ベッドの上でマドレーヌを三つ食べて、わたしはのそのそと動き出す。
まだお腹はすいているけれど、マドレーヌを食べたことで飢餓状態からは脱した。
ベッドから降りて、水差しの水をコップに注いでくぴっと飲むと、天蓋からぶら下がっているレースのカーテンの外に出る。
暖炉に火が入っていたので、わたしが寝ている間にメイドか誰かが火をつけてくれたのだろう。
パチパチと爆ぜる炎に温められた部屋の中はぽかぽかと温かい。
改めて、いいところに拾ってもらえたなあと思う。
神殿の中は常に寒かった。特に冬は凍えるような冷たさだ。
神殿にも暖炉はあったが、それは人が大勢集まるところ――例えばダイニングとか、礼拝堂とか、あとは神父さんたちの仕事部屋とかにしかなかった。
なので、冬は聖女仲間とダイニングに集まって、そこで過ごすことが多かったが、さすがに寝るときはダイニングで寝るわけにもいかず、厚着してベッドの中で震えながら眠りについていた。
それが、ここではそうではない。
寝る直前まで暖炉で温められていた部屋はぽかぽかと暖かく、お布団もふかふかの羽毛布団なので、夜中になっても寒くない。
そして朝はこうして起きる前に暖炉に火を入れてくれるので、震えながら着替えをすることもない。
……ああ、幸せ。ずっとここにいられたらいいのに。
リヒャルト様はわたしの扱いに悩んでいるようだった。
客人であるわたしを永遠に置いておくことはできないが、かといって、わたしがあまりに常識知らずで燃費が悪すぎるために外に放り出すこともできない。
最初はわたしを誰かに娶せようと考えていたようだが、すぐさま非常識なわたしでは貴族の奥様は務まらないと考えたらしい。けれども平民に嫁がせるには、よほどのお金持ちでない限り、わたしの食費問題があって無理だという。わたしだって、ひもじい思いはしたくない。
……ご迷惑をおかけして本当にすみません!
だから、しばらくはリヒャルト様が面倒を見てくれることになった。
拾ってしまったのだから面倒を見るのは当たり前だというリヒャルト様は、大変義理堅い性格をしていらっしゃる。
ちなみに「しょーかん」というところで働くのはなしだそうだ。
もう二度とその言葉を口にしてはいけないと、リヒャルト様がちょっと怖い顔で言ったので、きっとあまりよろしくない言葉なのだと思う。最初はリヒャルト様が言ったのに、変なの。
「スカーレット様、起きていらっしゃったのですね」
クローゼットを開けて、ずらっと並ぶドレスの中から、今日はどれを着ようかしらと悩んでいると、ベティーナさんがやって来た。
「おはようございます、ベティーナさん」
「おはようございます。いつも申しますが、もう少し寝ていてもいいのですよ?」
神殿暮らしだったわたしは早起きが身についている。加えて、お腹が極限まですくと目が覚めるため、ベティーナさんがわたしの支度を手伝いに来るより先に目を覚ましていることが多い。
「お腹がすいたので……」
答えると、ベティーナさんが苦笑した。
「どうすればその燃費の悪さが改善するのでしょうか。いえ、たくさん食べることが悪いと言っているわけではないのですが、ゆっくりお休みになれないのは問題かと。せめて空腹で目を覚ますことがない程度には改善できればいいですね」
「どうやったら改善するのか、わからないです」
「そうですね……。わたくしにも名案は浮かびませんので、おいおい旦那様にご相談してみましょう。何か名案を思い付いてくださるかもしれません」
リヒャルト様は公爵様で王弟でもあるので、いろんなところにツテがあるらしい。
そのツテを使えば、もしかしたら改善策が見つかるかもしれないとベティーナさんは言う。
ベティーナさんはわたしの隣にやって来て、クローゼットの中から暖かそうなレモン色のドレスを出した。
「今日はこちらになさいませんか? 今日は特別冷えるので、こちらであれば首元も詰まっていますし、暖かいと思います」
ドレス選びに苦戦していたわたしは二つ返事で了承した。
おしゃれよりも食い気のわたしにはドレス選びは荷が重い。
ちなみに、クローゼットに入っているドレスはすべてコルセットを必要としないものだ。ご飯をたくさん食べるとぽっこりお腹になるわたしは、コルセットが身につけられない。身につけたらご飯が食べられなくなるからだ。
優しいリヒャルト様とベティーナさんはそれを考慮して、すべてお腹を締め付けないタイプのドレスを買ってくれた。
ドレスに着替えて支度をすませると、ベティーナさんとともにダイニングへ向かう。
ダイニングにはすでにリヒャルト様がいらっしゃって、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。新聞を読んだりお仕事をするときだけ眼鏡をかけるリヒャルト様が、銀縁の眼鏡を置いて顔を上げる。
……ちょっと難しい顔をなさっていたけど、何かあったのかしら?
リヒャルト様の対面がわたしの定位置だ。
リヒャルト様が新聞をたたんで脇に置くと、すぐさま朝食を乗せたワゴンを押して使用人たちが入って来る。
「よく寝られたか?」
大きなダイニングテーブルの上に、大量のご飯が並べられていく。
そのほとんどがわたし用だ。
「はい! よく眠れました!」
「そうか。寒かったら言ってくれ。布団を新調するなり、温石をベッドに入れるなり方法を考える」
「寒くないですよ。とってもぽかぽかです」
「それならいい」
ふっと、リヒャルト様が柔らかい笑みを口元に乗せる。
……神様の微笑み! 神々しい‼
食事が運ばれてきたところで、リヒャルト様が食事前のお祈りをされる。
神殿でいつもしていたことなので、お祈りはわたしにもわかるため、指を組んで一緒にお祈りした。
食事は逃げないからゆっくり食べていいと言われているので、わたしはもう口いっぱいにご飯を詰め込むようなことはしない。
リヒャルト様も、わたしの食事に合わせてゆっくりと食べてくれる。
「いやあ、スカーレット様は本当にいい食べっぷりだ。作り甲斐があるってものです」
食事が足りているかどうか様子を見に来た料理長のフリッツさんが、顎を撫でながら笑う。
「もぐもぐもぐ、フリッツさん、今日もとってもおいしいです! いつもありがとうございます!」
口にものを入れてしゃべってはいけないと教えられたので、わたしは口の中のものを飲み込んでからフリッツさんにお礼を言う。
美味しいご飯はフリッツさんという素晴らしい料理人がいるからこそである。感謝しなくては。
「いやあ、スカーレット様は可愛いなあ。ねえ、旦那様」
「いくら可愛くてもお前はもう四十二だ。年を考えろ」
「そういう意味で言ってるんじゃないですよ。それに俺は妻子持ちです」
「そう言えばそうだったな」
「……忘れていたんですか」
がっくり、とフリッツさんがうなだれる。
フリッツさんには美人な奥さんと可愛い娘さんがいるらしい。だが、その可愛い娘さんは、七歳の時に水疱瘡にかかったそうで、その時の痕が体に残ってしまったそうだ。現在十五歳のお年頃である娘さんはその痕をとっても憂いているという。
ふむふむとフリッツさんとリヒャルト様が聞いていたわたしは、口の中の食べ物をごっくんしてから口を開く。
「水疱瘡にかかった時に、聖女に治療してもらわなかったんですか?」
すると、フリッツさんとリヒャルト様の二人が二人とも驚いたような顔をした。
「スカーレット様、聖女様は平民の治療をされることはほとんどありませんよ」
「え?」
「聖女の数が減っているせいもあり、聖女の力は貴族優先で使われている。……正直思うところもあるが、神殿が貴族優先で対応しているんだ。寄付の問題もあるのだろう。だから、よほどの金を積まない限り平民は相手にされない」
「そうなんですか⁉」
「むしろ聖女だったお前が何故知らない」
「えっと……」
わたしは神殿での生活を思い出した。
聖女であるわたしたちは、神殿からほとんど出ない。
聖女に癒してもらうことを希望する患者は、ベッドに寝た切りだとか、神殿まで足を運ぶ元気がないとか、特別な理由がない限り患者の方から神殿に来る。
神殿に来られない患者の治療にあたる際は聖女がその家に向かうこともあったが、燃費の悪いわたしにその役が回ってきたことはない。場所によっては往復に何日もかかるため、わたしが外食すると高くつくからだ。
わたしたち聖女は、神官に呼ばれて患者の治療にあたるが、思い出してみる限り、わたしが担当した患者は皆、身なりいい人たちばかりだった。
……なるほど。
深く考えていなかったが、治療希望者の選り分けが神殿で行われていたのだろう。貴族か、そうでなければお金持ちが優先されていたのだ。
「考えたことなかったですが、思い出してみるとそうかもしれません」
「まあ、聖女が患者を選ぶわけではないからな。ただ、普通は気が付くと思うが。スカーレットは食事以外のことには本当に興味がないな」
「俺もダメもとで神殿にお願いしたんですよ。でも断られました。せめて薬だけでもと、何とか金をかき集めて聖女様が作った薬を買いましたがね。水疱瘡が悪化するのは防げましたが、痕までは……」
当時、フリッツさんは王都で菓子職人をしていて、リヒャルト様の専属料理人ではなかった。リヒャルト様のところで働いていたら口利きしてもらえたらしいが、ただの菓子職人にはツテがなくどうすることもできなかったという。
「命にかかわる問題ではないにはないんですが、女の子なんで、可哀想なことをしたなって思いますよ」
わたしはちょっと考える。
傷や病気を治すことはできるが、聖女の力でずいぶん前についた傷跡を消すことはできるのだろうか。試したことがないからわからない。
わたしが考え込んでいると、フリッツさんが慌てたように首を横に振った。
「スカーレット様が思い悩むことではありませんよ! 平民にはそれが普通なんです! どうぞお気になさらず」
「患者の襟わけは神殿が行っていることでスカーレットは関係ない。気に病むな」
リヒャルト様にも言われて、わたしはとりあえずこくんと頷いた。神様の言うことは絶対。……でも、気にするなと言われてもこれは難しいかもしれない。
……でも、娘さんをわたしが診たところで、古い傷跡を治せるかどうかはわからないし。
期待させて治せなかったら、娘さんは傷つくかもしれない。
どうするのが正解だろうか。
神殿では神官たちに言われるままに力を使っていたため、わたしは考えることが苦手だ。
考えても、正解がわからない。
「スカーレット、手が止まっているぞ」
「あ、はい!」
手が止まっていたようで、指摘されたわたしは食事を再開した。
わたしの食事が終わらなければ、リヒャルト様はいつまでも席を立てない。義理堅い彼は、いつもわたしがご飯を食べ終わるのを待ってくれるのだ。
もぐもぐもぐもぐ……、わたしはどうしたらいい?
ご飯を食べながらずっと考えてみたけれど、やっぱり、正解はわからなかった。
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