ご飯の神様は公爵様でした 2
(妙なものを拾ってしまったな)
リヒャルトは、馬車の対面座席に座っているスカーレットを見て苦笑した。
目が覚めるほどの真っ赤な髪に金色の瞳の、十六歳の愛らしい少女だ。
その肢体はびっくりするほどほっそりしていて、行き倒れていたのを見つけたときは満足に食べていないのだろうと思った。
あまりに憐れだったのと、このまま見捨てていくとずっと胸の中に引っかりそうだったので助けて食事を与えたところ――唖然を通り越して茫然とするほど、まあよく食べる女の子だった。
ドンドンドン! と見る見るうちに空になった大皿が積みあがっていく様は、ある意味圧巻だった。大男でもこんなに食べないだろう。あの細い体のどこに入るのだろうかと、リヒャルトは心の底から不思議に思った。食事風景を見て手品を見ている気分になったのは生まれてはじめてだ。
スカーレットは、聖女が仕事のときに着る白いローブ姿だったので、恐らく聖女だろうとは思っていたが、何故聖女が行き倒れていたのだろう。
そう思って訊ねたら、食事の量があまりにも多くて捨てられたというではないか。
ああ、なるほど。
驚くと同時に、リヒャルトはつい納得してしまう。
確かにこの調子で神殿の食糧庫を空にされてはたまらないだろう。
だからと言って、彼女を捨てる決断をした神殿長には、同情はできないのだが。
聖女は無償奉仕が基本だ。
ゆえに神殿にも国にも、彼女たちが不自由のない暮らしを提供する義務がある。
それを怠った神殿長は、近いうちに何らかの処罰をする必要がありそうだが、今は移動中であるので、その手続きも領地に戻ってからになるだろう。
(よく食べるな……)
昼に立ち寄ったレストランでも、スカーレットはリヒャルトの五倍は食べていた。
レストランにいた他の客や店員があんぐりと口開けてスカーレットに見入るくらい、彼女の食欲は桁が違った。
これだけ食べても、間食を与えなければ夕食のときにはお腹を空かせて動けなくなるくらいなのだから、スカーレットの燃費の悪さは異次元である。
昨日、間食のことを失念していてスカーレットをぐったりさせてしまったリヒャルトは、侍女のベティーナに命じて大量の菓子を買いこませた。
成り行きとはいえ人を拾ってしまったのだ。面倒を見る義務がリヒャルトにはあるのである。
(あれだけずっと口を動かしていて、よく顎が疲れないものだ)
ひっきりなしに口に食べ物を入れて、夢中で食べているスカーレットに、リヒャルトは妙な感心の仕方をした。
動物には餌を与えると情が湧くというが、相手が人間でもその法則は適用されるのだろうか。
目の前のスカーレットが、妙に愛らしく思えてくる。
(ちゃんと面倒を見てやらないとな)
聖女のほとんどは神殿で暮らす。
例外は聖女が貴族だった場合と、誰かに嫁いだ場合のみだ。
ゆえに神殿から出たスカーレットが、周囲から奇異な目で見られないためには、誰かと縁づかせる必要があった。
「君がこれからどうやって生活するかについては、私の領地についてから改めて考えよう。聖女が神殿の外に出る場合の多くは結婚だが……、君は結婚したいか? 何なら誰かを紹介してやってもいいが……」
なので、スカーレットに結婚の意思があるかどうかを訊ねてみる。
スカーレット本人が望んでいないのなら、無理やり誰かと結婚させるのは可哀そうな気がしたのだ。
するとスカーレットは、リヒャルトが想像していたものの斜め上の答えをくれた。
「どっちでもいいです」
「……そうか」
「はい。ご飯がたくさん食べられればわたしは満足ですので!」
「君の、その判断基準は何とかならないのか?」
あきれたように返してしまったリヒャルトは悪くないと思う。
男女も貴賤も関係なく、結婚とはその人にとって人生における重要事項だ。何故なら結婚相手でその後の未来が決まると言っても過言でないからである。
それなのに「どっちでもいい」。
もっと言えば、ご飯がたくさん食べられれば満足と来た。
(何故、結婚の判断基準が食事なんだ……)
もっと他にあるだろう。
例えばリヒャルトは結婚には乗り気ではない。女性があまり得意ではないからだ。嫌いとまでは言わないが、香水のにおいをプンプンさせてすり寄って来る貴族女性とはできる限り距離を取りたい。
さらには、王弟という身分が、リヒャルトに結婚を躊躇わせていた。
現在この国アルムガルドでは、国王である兄の第一子イザークが王太子を名乗っている。
イザークは十七歳の、よく言えば素直で優しい、悪く言えば優柔不断な甥だった。
それゆえ、一部の貴族がイザークの優柔不断な性格を指摘し、王に向いていないと主張している。
兄にはほかに娘はいるが息子はおらず、そのせいで、一部の一派がイザークの代わりにリヒャルトを担ぎ上げようとしているのだ。
兄とも甥とも争いたくないリヒャルトは、結婚して後ろ盾を得るのをよしとしなかった。
少なくとも伯爵家以上の令嬢と結婚すると厄介だ。
かといって王弟で公爵という身分が邪魔をして、子爵家以下の令嬢を妻に迎えるのは難しい。周囲から猛反発があるのは目に見えているからである。
そういう理由で、リヒャルトは結婚に乗り気ではない。
リヒャルトにとって結婚は、それだけ重い決断なのだ。
(それなのに、満足に食事が与えられればそれでいいときたか……)
ペットではないのだ。その判断基準はどうかと思う。
リヒャルトがどうしたものかと頭痛を覚えていると、スカーレットはさらに信じられないことを言った。
「空腹であえぐのは嫌なのでご飯優先です。なんなら……ええっと、しょーかん? というとこでもいいです。ご飯がもらえるなら」
この瞬間、リヒャルトは理解した。
スカーレットに必要なものは結婚ではない。一般常識である、と。
「君の結婚問題については今は考えずに置こう。君はいろいろ問題だ。まずは常識を身につけなくては、貴族に縁づかせようと思っても無理だろう」
リヒャルトの言葉に、スカーレットはよくわからないと言うように首をひねった。
(なんて厄介なものを拾ってしまったのだろうか、私は……)
これは相当骨が折れそうである。
しかし一度拾ったものを捨てるようなことは、リヒャルトは絶対にしたくない。それではスカーレットを捨てたという神殿長と同じだ。
リヒャルトが困っているのがわかったのだろう。
スカーレットはしょんぼりとうつむいた。
何故か彼女が悲しそうな顔をしていると胸が痛んで、リヒャルトは隣に置いてある箱の中から木の実のタルトを取り出す。
「ほら、そろそろクッキーもなくなるだろう? こっちに木の実のタルトがある」
途端、スカーレットは機嫌を直した。
ぱあっと花が咲くように笑って、夢中になってタルトを食べはじめる。
「本当に君はよく食べるな」
……なんだろう。スカーレットが食事をしている様子は、妙に癖になる。
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