1. 暮れ方の遠乗り

「若―っ!!」


城内に響き渡る声が呼んでいる人物は他でもない、自分のことだ。

兄たちが居ないこの場において、「若」と称されるのは自分だけ。

その証拠に、徐々に近づいてくる叫び声が「若」から自分の名前である「朱虎アケトラ様」に変わっている。

その事に苦笑していると、愛馬が諌めるように鼻を鳴らした。


「若、良いのですか?今日は一段と東雲シノノメの機嫌が悪いようですが」


明らかに怒気を含んだ東雲の声に、馬の準備をしてくれていた厩係が困ったように口を開いた。

確かに、このまま東雲の制止を振り切って馬に跨った日には、暫しの自由と引き換えに長い説教が待っていることは明らかだろう。

付き人でありながら東雲は、幼い頃から兄弟のように育ってきたせいか、主である自分に対する物言いが少しばかりハッキリし過ぎているきらいがある。

まぁ、そんなハッキリした忠告、警告の数々を聞きながら、自由気ままに暮らしている自分にもかなり非はあるのだろうが。

そう考えながらも、いつもの様に東雲の呼び止める声を綺麗に無視して馬に跨れば、厩係が呆れたように苦笑する。


「若、東雲のこともそうですが、牙黄丸ガオウマル殿を困らせるのも大概にいたしませんと、お二人から揃ってお叱りを受けるのも近いのではありませんか?」

「そうかも知れない。だけど悪いな、俺は城の中でじっとしているよりも、外で走り回っているほうが性に合っている。それに今日はこの時間だ、すぐに帰ってくるさ」


言いながら見上げた空は燃えるように赤い。

真紅に空を染めた太陽は、直に漆黒の闇に沈むだろう。

日が沈めば、この国は眠りにつく。

太陽と共に生きることを選んだ日からずっと、この国の住民はそうしてきた。

夜に生きる、敵国の住民たちと相反するように。


「若、くれぐれも国境にはお近づきになりませんように。近頃、東軍が不穏な動きをしているようですので」

「東軍が?」

「はい、白虎王の容体が芳しくない旨、どうやら東軍に悟られているようです」

「そうか、父上のことが・・・」

「奴ら「異能者」は、我らと完全に袂を分かつ異形の集団。白虎王不在を好機として、いつ攻めて来るやも知れません。皆、気が張っております。もし若の御身に何かございましたら、戦は避けられないでしょう」

「わかった、わかった、国境には絶対に近づかない。いつも以上に、しっかり気を付けるよ。だから、そんな怖い顔するな。怖い顔は東雲だけで十分だ」


言いながら振り返れば、そこには赤茶色の髪を振り乱し、金色の瞳を釣り上げた東雲が鬼の形相でこちらに走り寄ってくる姿が目に入った。

西軍でも俊敏性においては随一と言われるだけのことはある、その姿はまるで軽やかな猫のようだ。

城壁を登って上を走ってきたせいか、想定よりもかなりの距離を詰められている。


「そろそろ行かないと、追いつかれるな。時間稼ぎを頼むと、東雲に伝えておいてくれ」

「承知いたしました。お気を付けて、いってらっしゃいませ」


そう言って頭を下げる厩係に見送られるようにして馬の腹を蹴ると、ほぼ同時に城門に辿り着いた東雲が小柄で可愛らしい容姿には似合わぬ剣幕で怒号を飛ばした。


「若!最近は日が落ちるのが早いんです!一刻も早く戻ってきてください!若!!」


全身の毛を逆立て、今にも転変して追いかけてこようとする東雲に片手を上げて応えると、更に張り上げたが背後から追ってくる。


「「暗黒の森」にだけは、決して近付かないでください!わかりましたね!!」

「わかった、すぐ戻る」

「絶対ですよ!!日が落ちたら迎えに行きますからね!!覚悟してください!!」


振り返ることなく適当に返した言葉に、被せるように叫ばれた言葉。


「はは、あいつには昔から苦労をかけるな」


とても主人に向けた言葉とは思えない、荒々しいものに思わず笑いが零れる。


「しかし「暗黒の森」か・・・」


前方、遙か遠くに見えるのは鬱蒼と茂った大森林。

暁の人間は決して近づかない、常に夜の気配を纏った国境に跨る森。


「少し、様子を見てみるか」


徐々に藍色を含み始めた空を見上げながら、速度を上げるために再び馬の腹を蹴った。

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