第6話:彼女は唄う。

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その翌日、美玲は少し調子が悪そうながらもいつも通りに目を覚ました。何もなかったように薬を鞄に仕舞い、いつも通り支度をした。いつも通り適当に食事を摂り、いつも通り出勤した。美玲は迷惑をかけたと謝りはしたが、事情を話そうとはしなかった。俺も訊かなかった。

そして季節はすっかり冬になり街はクリスマスに向けて煌びやかさを増していた。けれど俺たちは……いつも通りだ。



「黒田さん、これチェックお願いします。」

「ん。」



隣の席のパソコンモニターを覗き込むと自然と美玲との距離が縮まる。不意に香る匂いが自分と同じで、そんなことにもドキドキしたっけなんて半年前のことを思い出す。



「うん、大丈夫。」

「ありがとうございます。次、これ終わったら声かけますね。」

「お願いします。」



顔を上げた美玲と目が合う。いちいちドキドキしていた自分が少し懐かしいと思う程、今はこの距離で目が合っても問題ない。慣れだろうか。自分の席に戻ってキーボードを叩きながらここ最近の自分の変化に少し戸惑う。

あの日以降も美玲の方は至って普通だ。変わったのは俺の方だった。あれ以来一緒に過ごす時間が格段に減った。もちろんこちらからも声をかけるし、美玲から声をかけてくることもある。何があったわけではない。むしろのだ。

恐らく心のどこかで俺は勝手に美玲の秘密に触れてしまったことを後悔して申し訳なく思っている。けれど何も言ってこない美玲にそれを言うのは野暮というものだ。そして美玲の幸せのためなら自分が側にいられなくてもいい。そう思ってしまったことも大きいように思う。美玲にとってどうあることが幸せなのか。それを考え始めた結果、身を引くことも視野に入るようになったのだ。



「お前今日定時で仕事終わるか?」



海野に声をかけられて首を傾げた。進捗状況を確認して問題ないと答えると、海野は笑った。



「華金だからな! 飲み行くぞ!」

「あぁ…。」

「玉寄さんも来るって! お前も来い!」

「…それなら…。」



行かない選択肢はない。そうして夜は飲みになったわけだが、こちらの飲みもこの半年ですっかり様子が変わった。灰田が加わるようになったことで平均年齢がグッと上がり、他の社員たちも手を引かれて参加するようになった。最近では大所帯化することも珍しくなく、それに伴ってかフロア全体が仲良くなったような気がする。

…そこまではいいが、どうしてこうなった。最近の酒の席は俺の思うようにいかないことが多すぎるように思う。



「その後の進捗はどうですか、黒田さん!」



桃原にそう問われて顔を顰める。



「どうもこうもないけど…。っつーか何この状況…。」

「お2人の成就を応援し隊です!」



元気にそう言う桃原に頭を抱えた。見回せば灰田や他の新入社員たちも混ざっている。まったく人の恋を何だと思っているんだ。海野を探せば、海野は足止め役なのか美玲の隣を陣取っていた。下手な奴より既婚者という肩書をもつ海野は安心ではある。



「なんで桃原と灰田さん以外もいんの…。」

「自分たちも応援し隊なので! 基本見てるだけですけど!」



そう近くにいた男性社員が言う。とことん余計なお世話である。というかそんなに応援される程俺は見ていて分かりやすかったんだろうか…。



「でも最近何かあんたたちおかしくない?」

「そうですよね〜、なんか遠いっていうか…。」

「……。」



よく見てるな。いや、見られているのか? おもしろくはないが気にかけてもらうこと自体はありがたいような気もする。



「何かあった?」



灰田の視線に押されて俺は目を伏せた。美玲の病気のことはここで口にするわけにはいかない。もしかしたら灰田なら知っているかもしれないが、それは信頼関係があってのことだ。



「…何もないっす。」



そう、むしろ…何もないのだ。桃原と灰田は目を見合わせて首を傾げた。

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