3

その日の帰り、ついに美玲がブチ切れた。文字通りブチ切れである。俺が会議室であんなことを言ったせいだろうか。

定時過ぎに退勤しようと席を立つと、ほんの少し前に席を立った美玲がお局に捕まっていた。またどうでもいいイチャモンをつけられているようだ。オフィスの端とはいえ、お局の声量的にオフィス中に声は轟いているはずだ。上の人間もお局には口出ししにくいらしく、遠巻きに様子を見ている。さて、どうしたもんか。

口を挟もうとした瞬間、一瞬だが美玲がすごく性格の悪そうな顔をして笑った。うわ、性格悪そう。素直にそう思ってしまった。その顔は俺初めて見たよ。美玲はすぐにいつもの綺麗な笑顔を浮かべた。



「灰田さんってご結婚されてるんですね。お見合いじゃなくて恋愛結婚ですか? 意外です。」



なんて吐く。こちらも負けず劣らずの声量だった。恐らくこちらもオフィス中に聞こえたんじゃないだろうか。今すごく遠回しに貰い手がいて良かったね、私なら選ばないわって言っただろ。どこかから吹き出す声が聞こえてきて、俺はつい無になる。気持ちは分かるが耐えろ、誰か。

美玲は固まったお局に「お疲れ様です」と笑顔のまま言って颯爽と歩き去ろうとする。慌ててその背中を追いかけて一緒にエレベーターに乗った。すでに通常運転に戻った美玲は俺に「お腹空きましたね」なんて言う。



「気にならないって言ってたくせに。」



電車に乗り込んでからそう言えば、美玲は困ったように笑った。



「ちょっとだけ、自分のこと大事にしてあげたくなったの。」

「そっか。賛成。」

「ふふ、うん。」



車内が混んでいるのをいいことに美玲の腰に腕を回して抱き寄せる。ほんの短い期間だったというのに、美玲に触れられていなかった分美玲に触れていたくてたまらない。まぁ、普段からこんな調子だが。美玲の方も満更でもないようでしっかりくっついてくるのが常だ。たまにそのまま寝始めるのだけは支え切れるか不安になるが…。



「そういえば何言われたの。」

「ん? もう30なんて嫁の貰い手見つからなくなるわよ! って。さすがに余計なお世話。」



そう不貞腐れる美玲は結婚願望がないと言っていたが、やはり多少年齢は気になるのだろう。



「可愛いこと気にするね。」

「30っていう数字は変えようがないので…。」



確かにそれは変えられない。特に女性は結婚市場では重要になってきてしまうんだろう。とはいえ良い意味で美玲は年相応にはとても見えない。せいぜい25くらいじゃないだろうか。



「まぁ私まだまだ若いもんね。」

「うん。」



若いし、別に若くなくたって俺にとっては堪らなく可愛いよ。年齢が気になるなら今すぐ結婚したっていい。なんてそんな激重感情はとてもじゃないが口にできない。

そのうち美玲にまた彼氏ができたりするんだろうか。いい感じの人ができて、進展があって、恋人になって。もしそれが俺じゃなかったら、俺はどうなるんだろうか。美玲のことだ、関係の継続はないだろう。アッサリと捨てられてしまう自分を想像してまた凹みそうになる。いつからこんなにネガティブになってしまったんだ。



「健くん…? 大丈夫…?」



頬に手を添えてそう問う美玲に「大丈夫」と笑ってみせる。本当に美玲はそういった変化に敏感だ。俺の気持ちなんてとっくにバレているのかもしれない。だとしたらこうして俺の腕の中にいる美玲の考えが分からない。今に始まったことではないのに、考えても分からない疑問が胸の中で膨れ上がってそのまま不安に変身してしまうのだから、厄介極まりない。


適当に夕食を済ませて交代でシャワーを浴びた後、のんびりテレビを見ていた。途中ウトウトし始めた美玲に気が付いて声をかける。



「寝るか。」

「んーん。」

「寝ない?」



確かにまだ寝るには早いが、ここで寝るならベッドで寝た方が良いに決まってる。そう思って促すも、美玲は逆にくっついてくる。最終的になぜかソファに座る俺の上に跨る形でくっつくとそのままもたれかかって眠ってしまった。コアラか。謎のツッコミを入れながらその体を抱き締めて、のんびりそのままテレビを見ることにした。どちらにせよ動けない。

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