3

「体調管理もできないの!?」



休憩終わりにトイレに行こうとして、また遭遇してしまった。お局だ。



「まったくなってないわね!」



どの口が偉そうに。体調もだがあなたの場合は酒量の管理をちゃんとしろ。そんなことを思いながら通り過ぎようとして、聞こえてきた声に思わず立ち止まった。



「すみません、ご迷惑をおかけして。」



美玲の声だ。そちらに足を向けようとしてすぐに止めた。ここで俺が出て行っても何も事態は好転しないことが分かっていたからだ。だからといって放っておくか? それとも誰かに告げ口をするか?

…そもそも俺は、これが美玲じゃなくても手を差し伸べたか? 答えは否だ。先日スルーしたばかりだ。相手が美玲だと分かった瞬間これだ。自分の下心と情けなさが嫌になる。どうすることもできず、俺はその場を後にした。



定時ジャストで仕事を切り上げてエレベーターホールで美玲を捕まえた。



「今日帰したくない。」



2人きりのエレベーターでそんなことを言えば、美玲は綺麗に笑った。



「今日は帰ります。」



拒絶の笑顔だ。けれどこちらも引き下がれない。



「また倒れたらどうするの。」

「黒田さんにいただいた鉄分で十分回復したので大丈夫です。」

「…美玲。」



そう呼んだ瞬間エレベーターが一階に着いた。2人きりの空間が終わる。美玲は迷いなくエレベーターを降りた。



「じゃあ、改札まで送ってください。」



俺と美玲とでは使う路線の改札が違う。遠回しだけど、明確な拒絶だった。今朝の甘えてきた美玲はどこへやら、これが恋人とセフレの線引きなのだろうか。こういうとき恋人だったら、拒絶されなかったんだろうか…。



「ありがとうございます。お疲れ様でした。」



改札脇で振り返った美玲にそう言われた。



「やっぱり家まで…」

「黒田さん。」



言葉を遮った美玲はやっぱり微笑んでいて、けれどその表情は血色のなさも相まってとても冷たかった。



「お昼にいただいた物、いくらでした?」



そう言って鞄の中に手を入れようとするので、思わずその手を掴んだ。さすがにそれはキツい。



「ごめん。…でも、家に着いたら連絡して欲しい。」

「……うん。」



美玲は一瞬俺の手を握ると、そのまま手を離して「お疲れ様です」と言って改札を通って雑踏の中に消えて行った。



美玲と初めて身体を繋げたのは歓迎会の翌週だった。華金だし飲みに行こうと誰かが言い出し、若いのが集まったフランクな仲間内の飲みといった雰囲気だった。

海野はこういう飲みが好きでよく参加していたが、俺は気が向けばといったところだった。その日は美玲も参加するというので、少しでもお近づきになれればと下心満載で参加した。…のだが、ある意味俺の出鼻を挫いたのは美玲本人だった。



「ここ、いいですか?」

「え、どうぞ。」



まさか向こうからやって来るとは思いもよらず、俺は慌てて少し席を詰めた。そんな俺に笑いながら隣に腰を下ろすと「何飲んでるんですか?」なんて当たり障りのない話を始める。

それまで俺のサポートとはいえ仕事以上の会話を碌にしたことはなく、なんなら美玲が派遣されてきたのは5月頭だったので、知り合ってから然程時間も経っていなかった。



「黒田さん本当若いのにしっかりしてますよね。」

「この間も言いましたけど、いうて2つですよ。変わんないっすよ。というか玉寄さんもめっちゃ仕事できるじゃないですか。」

「本当ですか? やった。」



なんて笑う美玲は可愛くて、そこだけ切り取ればとても年上の女性には見えなかった。おまけに酒を飲んで顔を赤くしていて、それが余計に幼く見せたのかもしれない。



「ってかあっちに混ざらなくていいんですか?」



俺が指差す先には海野を中心に新入社員を巻き込んでわいわい盛り上がる輪ができていた。今は何やらゲームをやっているらしい。



「あぁ…。ああいうのは大学生の頃存分にやったので、もういいかなぁって。」

「ちゃんと大学生やったんですね。」

「かなりちゃんとやりましたね。サークルも入ってたし。」

「へぇ…。」



意外だ。毎日一限もちゃんと行って、大学生特有の頭の悪そうな飲み会なんて出たことありませんって顔してるのに。



「それに、今日の私の目的は黒田さんと仲良くなることですから。今日参加されないならまた後日って思ってました。」

「俺?」

「円滑な業務にコミュニケーションは必須だと思ってるので。」



あぁ…そういうことか。大変期待したわ。くそ…この期待はどう消化すりゃいいんだ。「ちょっとお手洗い行ってきます」と美玲が席を立った間に、自分のジョッキに残っていたものを一気に飲み干した。

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