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「大丈夫だよ。」
美玲はすっかり黙り込んだ俺にそう笑いかけると、握り締めていた俺の手を逆に上から包み込んだ。
「そんな顔しないで。貧血じゃ死なないから。」
「そっか…。」
死なない…。それもそうか…。俺はやっと少し落ち着いた。いつから調子悪かったんだろう。昨日無理させすぎたか…? そんな心の内は美玲にはお見通しである。
「私低血圧もあるから寝起きちょっと弱いの。あとは生理前だからかなぁ…。でも女の子なんて大半が貧血なんだから。心配しすぎ。」
「……。」
こんな時にも俺は情けない。仕事だけじゃない、プライベートでも美玲は『ほんのちょっと』大人だった。
「でもちょっと、仕事は遅れて行きます。」
美玲は苦笑してコロンとソファに横になった。
「あ! 仕事…!」
美玲に促されて、慌てて準備をしてからソファに戻ると美玲は目を閉じていた。ブランケットをかけてその頬に触れると目が薄っすら開く。
「俺そろそろ出るけど、何かあったら連絡して。」
「うん…。」
「鍵、テーブルの上に置いといたから。」
「うん。」
「無理して仕事来なくて大丈夫だから。」
「ふふ、うん。」
「それと、」
「健くん。」
可笑しそうに笑って美玲が俺の頬を撫でた。だって、どうしたって心配なんだ。ただの貧血だなんて言われても、あんな風に崩れ落ちた姿を見て動揺しないわけがない。
「…いってきます。」
「うん。」
満足そうに笑って美玲はまた目を閉じた。そんな美玲の頭を撫で、後ろ髪を引かれながら家を出た。
*
美玲が出社したのは始業2時間後だった。
「すみません、遅くなりました。」
「大丈夫!? 無理しないでね。」
「ありがとうございます。」
課長にそう挨拶を済ませた美玲はパソコンを立ち上げながら俺にも挨拶をした。
「黒田さん、遅くなってすみません。」
「こっちは大丈夫。体調は?」
「大丈夫です。」
そう言う美玲は朝より幾分かマシに見えるが、女性には化粧という武器があるから騙されてはいけない。そう分かっていてもカケラも見抜けないあたり、女の化粧とは怖いものである。こうなっては美玲の言葉を信じるしかない。
「今日は絶対定時。」
「はい。」
「キツくなったらすぐ言って。」
「ありがとうございます。」
そう笑ってすぐに仕事に取り掛かり始めた。その後もお節介にも美玲が立ち上がる度にソワソワしてしまった。そんな姿を昼休みに海野に笑われた。
「お前分かりやすすぎ。」
昼食を買いに出たコンビニで、周りに知り合いがいないのをいいことに海野が吹き出した。
「うるせ。朝からぶっ倒れてんの見たらビビるだろ…。」
「ありゃ、そんなキツかったのか。貧血か?」
「って本人は言ってたけど…。」
どうせあれから何も食ってないはずだと『鉄分』と表記された飲み物とゼリー飲料を手に取るとそれをまたニヤニヤしながら見られる。
「甲斐甲斐しいねぇ。」
「相手が他の人でも心配するっつーの…。」
「でも確かに、ぶっ倒れてんの見たらビビるわな。玉寄さん華奢だしなぁ。」
本当にもう少し太った方が良いんじゃないかと思う。そんなことを本人に言ったら大切な好感度が下がりそうでとても言えないが、全体的に細すぎる。……胸だけはあるのが釈然としない。
「色白美人で病弱とか…、絶対少年漫画のヒロインだな…。」
そんなことをうっとりと独りごちる海野を見て少し引いた。オフィスに寄ると美玲はデスクに突っ伏していた。起こすのは忍びないが、腹に入れさせないと。
「玉寄さん。」
肩を叩いて傍らにしゃがみ込んだ。顔を上げた美玲はやはり血の気がない。
「黒田さん…。」
「これ。」
先程買ってきた物を美玲に押し付ける。美玲は首を傾げながら受け取って、そして吹き出した。『鉄分』の文字に気付いたのだろう。
「ありがとうございます。」
「いいえ。いつものお礼。」
「ありがたくいただきます。」
そう笑った美玲は家にいる時のような優しい笑顔で、俺はそれだけで心を鷲掴みにされてしまう。
「俺はこれあげる。」
俺の後ろからひょっこり顔を出した海野はいつの間にか買っていたらしいグミを美玲の手に乗せた。
「海野さん…。」
「おやつに食べて。」
「ありがとうございます。」
「本当はレバー食わせたいんだけど。」
「グミで大丈夫です、ありがとうございます。」
可笑しそうに笑う美玲を見て、既婚者は上手いなぁなんて思う。逆か、そういうことが分かっているから既婚者なのか。前を歩く海野の背中が大きく見えた瞬間だった。
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