五条くんはLv.1の恋をする

向葵@あおい

第1話

 ある週末のこと。 

 俺は日課のウォーキングをしていた。

 寒く厳しい冬を乗り越えた草木が、あちこちで芽吹いていて目に優しい。


 桜の花も咲き始め、海に面した公園では『桜まつり』が開催されている。

 子どもの頃から毎年行っていたが、今年は友人たちと予定が合わないため、行くのは諦めようと思っていた。


(みんな家族や恋人と来てるもんな……)


 そう、読書に料理、映画鑑賞とインドア趣味ばかりな俺だが、祭りなどでの“ぼっち”はどうにも嫌なのだ。

 ちなみにウォーキングは趣味ではなく、健康面を考慮してやっているが意外と楽しかったりする。


(彼女ができればいいけど、今の生活じゃ出会いもないし……)


 おまけに在宅ワークなので、ここ数年は彼女がいない。

 というか、高校二年生の時に一週間だけ異性と付き合ったことしかない俺は恋愛Lvレベル.1が関の山だろう。


「……はぁ、綺麗で可愛い彼女がほしいなぁ」


 心の声を吐き出しながら、立ち止まって空を見上げる。

 霞がかっているがいい天気だ。


「ふふ、よしよし」

「にゃあ」


 不意に声がして、後ろを振り返る。

 そこには一人の若い女性と三毛猫の姿があった。


 女性は目を細めながら、柔らかそうな手で三毛猫の頭を撫でている。

 三毛猫の耳が片方だけV字型にカットされているのは、さくら猫の証だろう。


(な、なんて綺麗な人なんだ……ん?)


 思わず見惚れていると、女性が文庫本を一冊持っているのに気づく。

 本のタイトルは『朧月おぼろづきかんの殺人 下』。


(おおっ! 綾波あやなみ雪人ゆきと先生の本を読んでいるのか!?)


 綾波雪人先生は大胆な叙述トリックを得意としながら、繊細で緻密な心理描写で右に出る者がいない、日本を代表するミステリ小説作家。

 大学一年生の時にハマり、社会人になった今でも新刊が出ると必ず購入している。


(でも紙の本では読んでいなかったな)


 最近はもっぱら電子書籍派な俺だが、紙の本ならではの感触が妙に懐かしくなった。

 女性は立ち上がると、三毛猫に手を振りながら去って行く。


(よし、久しぶりに借りてみるか)


 俺はそのまま図書館に向かい、『朧月館の殺人 上』の文庫本を一冊、借りたのだった。



 ♢♢♢



 帰宅するとコーヒーを淹れ、ソファに腰掛ける。

 誰にも邪魔されないこの時間がたまらなく好きだった。


 コーヒーを飲みながら借りてきた本を開く。


(うん、やっぱり紙の本はいいな……ん?)


 パラパラとページをめくっていると、本の真ん中あたりに何かが挟まっていた。


(貸出票か……いや、違う……えっ!?)


 メモ用紙に『たすけて』と走り書きがしてあり、俺は驚く。

 借りた本に貸出票が挟まっているのは、割とよくある。

 見知らぬ人がどんな本を借りたのか一目で分かるが、名前までは記載されていない。


 昔は本ごとに貸出カードというものがあって、本を借りる人は名前を記入していたと某アニメ映画で知った時は、そこから新たな出会いがあったりして面白いな、と感じたものだ。


 俺はマグカップをテーブルに置くとメモ用紙を手に取り、まじまじと見た。


(もしかしてあの女性が……?)


 今日、三毛猫を撫でていた若い女性。

 手にしていた『朧月館の殺人 下』は、背表紙にラベルが貼ってあったから図書館で借りた本に違いない。

 だとすると、この本はあの女性が返却した本であると考えていいだろう。


(まさか助けを求めてメッセージを……? いやいや、推理小説じゃあるまいし落ち着くんだ、俺)


 コーヒーをぐいっと飲み、天井を仰ぐ。

 ゴミ箱にメモ用紙を捨てようとしたが、何となくテーブルの引き出しにしまっておいた。


(……ふぅ)


 俺は気持ちを切り替え、『朧月館の殺人 上』の世界に没頭したのだった。



 ♢♢♢



 次の週末。

 本を返却するため、歩いて図書館へと向かっていた。


 すっかり桜の花も満開だ。

 公園で開催されている『桜まつり』も今日が最終日。

 きっとたくさんの人で賑わっていることだろう。


(たこ焼き食べたかったなぁ……あっ!)


「ふふ、よしよし」

「にゃあ」


 先週見かけたあの若い女性が、三毛猫の頭を撫でていた。 

 手には綾波雪人先生のホラー&ミステリが見事に融合した囁きシリーズの一作目、『糸車いとぐるまの囁き』の文庫本があった。

 どうやら『朧月館の殺人 下』は読み終えたらしい。


 俺は電柱の後ろにサッと隠れ、女性の様子を窺う。


「……家に帰りたくないわ」

「にゃあ?」

「帰ったらきっと私……ううん、なんでもないの」

「にゃう?」

「ふふ、心配してくれてありがとう」

「にゃあ!」


 女性は目元を拭う仕草をした。


(なっ、泣いているのか……!?)


 可憐な女性が泣く姿はなんて美しいのだろうと、またしても見惚れてしまう。

 どぎまぎしている間に女性は三毛猫に別れを告げ、艶やかな黒髪を揺らしながら去って行く。


 俺は慌てて図書館に向かい、『朧月館の殺人 下』を借りた。

 ページをめくると前回と同じようにメモ用紙が挟んであり、『こわい』と走り書きされていて顔が青ざめる。


 やはり女性は、何らかの事件に巻き込まれている可能性があるのではないか。

 このまま放っておいたら大変なことになりかねない。

 俺は急いで走り出し、女性の後を追う。


(はぁっ! はぁっ! ……いた!)


 角を曲がろうとする女性を必死で呼び止める。


「あのっ!」

「?」

「これ、あなたが書いたんですよね?」

「えっ? どうしてそれを……?」

「もう大丈夫です! 一緒に警察へ行きましょう!」

「警察……? ええっと……?」


 キョトンとする女性。

 俺は女性の態度を訝しむ。


「脅されて口止めされているんでしょう?」

「……?」

「さぁっ! 早く!」

「それ、私が書いたんじゃありません」


 ええっ!?

 じゃ、じゃあ他の誰かが助けを求めているってことか!?

 図書館の司書さんに事情を説明して、借りた人の安否を確かめなければ――


「分かりました! 念の為あなたはここに居てくだ――」

「あの、そのメッセージ、私の姪が書いたものなんです」

「めい! めい! め……え? 姪って、あの姪っ子の?」

「はい、姉の一人娘でたまに預かっているんです」

「でもさっき『帰りたくない』って」

「あれは……」


 恥ずかしそうに俯く女性。

 詳しい話を聞くと女性は絶賛ダイエット中なのだが、お菓子作りが得意な姉が姪の面倒を見てくれたお礼に、クッキーやマフィンなどの焼菓子をくれるそうだ。


 つまり家に帰ると、甘くて美味しいお菓子の誘惑があるから三毛猫に『帰りたくない』と言っていたようで。

 おそらく続きのセリフは『帰ったらきっと私、お菓子を食べてしまうから』だろう。


「先ほど泣いていたのは……?」

「花粉症で目が痒くて、つい擦っちゃうんです――失礼します」


 女性はショルダーバッグから目薬を取り出すと、手際良く点眼した。


「ですがなぜ、こんなメッセージを……?」

「姪は絵本やテレビで見聞きした言葉を紙に書いて隠す癖がありまして」

「はぁ……」

「ご迷惑をおかけしてしまい、本当にすみません」


 ぺこりと頭を下げる女性。

 所作まで美しく、俺はあたふたしてしまう。


「い、いえっ! あなたに何もなくてよかったです!」

中野なかの咲子さきこです」

「あ……えっと、俺は五条ごじょうあきらです」

「ふふ、心配してくださってありがとうございます、五条さん」


 口元に手を添え、春の木漏れ日のように微笑む中野さん。

 ドキリと心臓が大きく跳ねる。


(かっ、可愛い……!)


「そっ、その……いいですよね! 綾波雪人先生の本」

「はい、面白くてすぐに読んでしまいました」

「今度『Motherマザー』がアニメ化するんですよ!」

「あら、そうなんですか。楽しみですね」


 俺と中野さんは夢中で綾波雪人先生について語り合った。

 しかし道端では通行人の邪魔になってしまう。

 ひと通り話し終えたところで、俺は勇気を振り絞ってある提案をした。


「あの……良かったら一緒に『桜まつり』へ行きませんか?」

「そう言えば今日まででしたね。はい、私でよければ」

「あっ、ありがとうございます!」

「でも食べ過ぎないようにしなきゃ」


 並んで歩きながら中野さんの方をチラ見する。

 出るところはしっかり出ているが、決して太っているわけではなさそうだ。


「……中野さんは全然、大丈夫だと思いますよ」

「まぁ。それじゃ久しぶりにたこ焼き、買おうかしら」

「イカ焼きと唐揚げとフライドポテトと綿菓子も買いましょう!」

「そんなに食べられないから半分こ、しましょうか?」

「は、はいっ! じゃあ、りんご飴とヨーヨー釣りも追加で!」

「ふふ、ヨーヨーはおもちゃですよ、五条さん」


 互いに笑い合うと、あたたかな風が頬をそっと撫でる。

 桜の花びらが舞う午後、ひだまりで三毛猫が気持ちよさそうに伸びをしていた。



(了)


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