第9話 違和感

 今日のシノは完璧だった。


「こんな素敵な方なら、娘をお任せできますわ。もったいないくらいです」


 上品に母が笑う。


「そんな、こちらこそ。素敵なお嬢さんが見つかってよかったです。ね、隆司郎」

「そうですね」


 シノが自身の母に答えながら、作り物のような笑みを浮かべている。隆司郎、と呼ばれたその名前が妙に浮いている。

 シノの両親は普通の人達だった。当たり前のようにシノを息子として扱っていた。シノは必死でそれに答えているように見えた。


「結婚式はしないことになってしまって、紗奈子さんの方はそれでいいの? 女性にはそういうのって憧れじゃない?」

「いえ、二人で話し合って決めたので後悔は無いです。私も子どもの頃から、そんなに憧れだったわけではないので」

「私はした方がいいって言ったんですけどね。この子ったらこんなこと言って」

「でも、最近は結婚式をしない夫婦も多いですからね。写真くらいは撮るの?」

「そういうのも考えてはいないんですが」


 結婚式のことは言われると思っていたので、特になんとも思わない。結婚式はいらないカップルが増えているという最近の風潮に感謝する。

 が、


「この子の兄の時はちゃんと式も豪華にやったんですけどね」


 シノの母がそんなことを言った辺りから流れが変わり始めた。


「ああ、うちも弟の時はやったんですよ」

「まあ、そうなんですか。大丈夫? お金が無いんだったら少しは出しましょうか?」

「いや、いいですって。結婚式とか本当にいらないから」


 シノが首を横に振る。


「そう? 残念だわ」


 シノの母は残念そうだが結婚式の話はなんとかなったようで安心する。紗奈子は自分のことなのに口を挟む隙すらなかった。


「でも、本当にお相手が見つかってよかったと思っているんですよ。この子ったら、子どもの頃からいつもお兄ちゃんの影に隠れていましてね。ああ、お兄ちゃんの方は地元の銀行に勤めていましてね。昔からしっかりしているんですよ。この子は何をやらせてもいつもあまり上手くいかなくて。仕事も美容師なんて、女性がやるような軽い職業に就いていますでしょう? このままでは、結婚相手も見付けられないんじゃないかと心配しておりまして」

「それはうちもですよ。弟の方が先に結婚してしまいまして、焦っていましたので、今回のお話は本当にありがたいんです」


 母はにこにこと返しているが、紗奈子は心の底でモヤッとせずにはいられなかった。シノの母が美容師のことを軽い職業などと言ったせいだ。それに、それ以外もシノのことをけなしているような言い方に聞こえる。この違和感はなんだろう。

 そんな言い方、無いんじゃないですか。

 思わず言ってしまいそうになった。だが、今そんなことを言って波風を立てるべきでは無いと理解はしている。せっかく和やかにことが運んでいるのに、こんなところでぶち壊す訳にはいかない。


「うちはお兄ちゃんが近くに住んでくれているので、この子は帰ってこなくても安心なんですけどね。あとは結婚して、しっかりしてくれればいいんですが」


 ころころとシノの母が笑う。

 しっかりとはどういうことだろう。紗奈子から見て、シノはしっかりと自立した大人だ。

 紗奈子はシノの方の顔を盗み見る。シノは何事も無いとでも言わんばかりに、張り付かせた笑顔を浮かべていた。


「それにしても、ここの料理は美味しいね。紗奈子さんがこのお店を選んでくれたのかい?」


 黙々と料理を口にしていたシノの父が口を開く。


「いえ。最終的には二人で決めたのですが、どちらかと言えば隆司郎さんの方が詳しくて、探して頂いたんです」


 言ってしまってから、自分で選んだのだと言えばよかったのかと思う。こういう時は、そうした方がよかっただろうか。

 案の定、


「うちの娘がこんな気が利いた店を知っている訳が無いですよ。元々女の癖に気が利かない性格でしてね」


 父が横やりを入れてきた。今までシノの父と同じく静かにしていたので、今日は何事も無いと思っていたが油断した。謙遜したつもりなのか、面白いことでも言ったつもりなのか、何故か笑っている。


「いつも、実家に帰ってきてもごろごろしっぱなしで本当に困ったものです。女らしさが無いというか」


 それを父に言われたくは無い。大体、父が家で家事なんかやっているところを見たことがない。むしろ、実家に帰ったときに何もやっていない訳ではないのだが、それが見えるところにすらいないのだ。見てもいないくせによく言う。


「隆司郎君もこんな娘で苦労させてしまうと思うがすまないね」


 カチンとなりつつも、こんな席で何か言い返す気も起きなくて気持ちを持て余す。というより、こんな席で無くてももう随分前、子どもの頃にはすでに父に何か言い返す気なんて起きなくなってしまっているのだが。


「あ、グラスが空いていますね」


 もやもやしている紗奈子の思考を割って入るように、明るいシノの声がした。


「どうぞ」


 綺麗な手つきで父のグラスにビールを注ぐ。紗奈子は父のグラスが空いていることにも気付かなかった。確かに気が利かないというのは本当かもしれない。


「ああ、ありがとう」

「いえいえ」


 シノはにっこり笑う。それから言った。


「確かにこの店は僕が選びましたが、予約をしてくれたのは紗奈子さんです。紗奈子さん、すぐにそういうことをテキパキやってくれるのですごく助かります。今日の料理だって、それぞれの苦手な物や好きな物を僕の両親の分まで聞いてくれて、お店にもあれこれ相談して頼んでくれたんですよ。僕にはすごくいい気配りに思えましたが? それに、紗奈子さんが苦手なことがあれば僕が埋めていけばいいだけだと思いますので、ご心配なく。それが結婚なのではないかと、僕は思っています」


 シノに終始笑顔で言われて、父は黙ってしまった。

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