第5話 型

 翌朝、日が昇ると同時に一葉は目が覚めた。

 こちらの世界に来てから、今のところはずっと夜を過ごすのは野宿だった。

 一葉は檻の中で、マーヤは御者台の上で無造作に寝転がり、厚手の布一枚に包まって寝るという環境だった。


 どうしても目が覚めちゃうな……


 一葉は毎朝、夜明けと同時に目を覚ましていた。

 それはこの環境のせいで目が覚めてしまうというわけではなく、彼女のもともとの習慣によるものだった。

 軽い筋トレと素振りや形の練習をするのが、彼女の毎朝の習慣なのだ。


 手は使えないけど、筋トレと足技はできる……


 こちらの世界に来てからも、マーヤが目が覚めるより前に、檻の中でできる限りのトレーニングを毎朝行っていた。


 まずは腹筋、背筋、スクワット。

 手枷の手と手の間の鎖は、腕立て伏せをなんとかできるくらい長さだったので、腕立て伏せも行う。

 筋トレが終わったあと、足技中心の素振りと形の練習をする。


 こんなことやって何になるんだろう……


 この世界に空手競技はない。

 マーヤは帝国最強トーナメントとやらに一葉を出場させるつもりだが、他流試合などしたことがないので、一葉の空手がどの程度通用するのか全くの未知数だった。


「ふわ~っ、トレーニングッスか?」


 檻の中で動き回っていたので、振動で目が覚めたのか、マーヤが目をこすりながら話かけてきた。


「別になんでもいいでしょ」


 一葉は無愛想にそう返して、黙々と蹴り技の素振りを続けた。


「言ってくれれば、檻から出して、鎖外したのに……」


「え……そうなの……」


 全く予想外のことをマーヤがポツリとつぶやき、一葉は目を丸くして驚いた。


「キミには拳奴になってもらうんスから、トレーニングはしっかりやってもらわないと」


 マーヤが檻の鍵を開け、一葉は半信半疑ながら恐る恐る外に出た。


「あ、分かってるとは思うッスけど、逃げようなんて思わないで下さいねー」


 チクリと釘を刺した上で、マーヤは本当に言葉通り首輪と手枷の間の鎖を外した。

 手が自由に動くようになり、一葉は思い切り中段突きの素振りをした。

 一葉の突きは砲弾のように早く、周囲の空気が割れそうな程の圧があった。

 両手首に嵌められたままの金属の手枷は重いが、一葉にとっては丁度いいリストウェイト代わりだった。


 気分がのってきた一葉は次に型の稽古に移った。


 内受け、後屈立ち

 逆突き、後屈立ち

 水流の構え、閉足立ち

 内受け、後屈立ち

 逆突き、後屈立ち

 水流の構え、閉足立ち

 諸手受け、後屈立ち

 交叉受け、前屈立ち

 手刀上段交叉受け、前屈立ち

 十字中段押さえ受け、前屈立ち

 中段突き、前屈立ち

 中段突き、前屈立ち

 下段払い、騎馬立ち

 中段掛け受け、騎馬立ち

 三日月蹴り、前猿臂、騎馬立ち

 緒手受け、交叉立ち

 右方突き上げ、レの字立ち

 飛び込み交叉受け、交叉立ち

 緒手受け、前屈立ち

 手刀下段打ち込み上段内受け下段受け、前屈立ち

 閉足立ち

 手刀下段打ち込み上段内受け下段受け、前屈立ち


 これらの一つ一つの動きが、時に素早く、時に緩やかに、時に重く、時に軽やかに繋がっていき、一連の型が一つのメロディーを形作っているかのようだった。


「ほー、見事なもんスねー……ボクは格闘技は素人ッスけど、素人目にもなんとも言えない迫力があるというか……動きに無駄がないというか……」


 一葉の型に集中して見入っていたマーヤがため息をついて感心した。


「数百年もの歴史をかけて洗練されてきた型だからね。これがこの世界でどのくらい役に立つかはわからないけど……」


 一葉は心細そうな面持ちで握りこんだ拳をじっと見つめた。


「やる気になってくれたんスか?」


「どうせ無理にでも闘技場に立たせるんでしょ。だったら……」


 一葉そこで言葉を止め、右足を強く踏み込み、今日一番力のこもった中段突きを放った。


「全力で挑む」


 私は強くなんかない……

 でも、強くなるために前に進み続けるんだ……


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