第4話 妥協と約束

 意外かもしれないけど、メイド喫茶でメイドさんと話せる時間は実はあんまりない。確実に話ができるのは、入店して注文を済ませるまでと、会計をするとき、帰るときくらい。それ以外で話ができないわけじゃないけど、お客さんが多い土日は顔見知りでもない限りほとんど放置される。


 特に目当てのメイドがいる場合、待っていても話ができるタイミングなんてのはゼロに等しい。確実に話をしたいならアミューズメントを注文するのが一番だ。記念撮影をすれば、撮るときと受け取るときに話せる。さらにゲームも真面目にやるんじゃなければそこでも話せる時間になる。ただ、そうだとしても確実に目当てのメイドと触れ合える時間は長くても10分。土日の忙しいときに至ってはチェキを撮るときと渡してくれるとき、それからメイドとゲームをするときの5分そこそこくらいしかない。運が良ければ今日みたいに入店から注文を入れるまでの間の通称「お出迎え」と店を出るときの「お出かけ」でも話ができるけど、人気であればあるほどこういう機会は減ってくる。


 じゃあ、それ以外の時間はどうやって過ごすかと言うと、スマホをいじってたり、ゲーム機を持ってきてゲームをしたり、読書したり。要はそれまでの時間は完全に待ち時間になるため、ヒマつぶしをしてるのだ。たまにヒマそうなメイドが覗き込んできて話しかけてくるけど、付きっきりで話せるってのは人が少ない平日でもそうそうない。


 新人のころは結構話せてたアスナも気づいたら人気者になっていて、話す時間はだいぶ減った。幸い、趣味が読書だったからヒマつぶしの道具はいくらでもあるけど、ほかの人はそうでもないようで、仲良くなったら離れられる、みたいなのを繰り返してるらしい。今日は今のところそんなに忙しそうでもないけど、それでもアスナには記念撮影とゲームの注文が入ってるようで、ふとした拍子に探してみるとあっちに行ったり、こっちに行ったりを繰り返してる。


「ね、お昼どうする?」


 記念撮影を撮り終えて戻ってきた彼女に足を突っつかれて僕は向かい側に目を戻す。


「昼?」

「お昼。腹へった」

「もう?早くない?」


 時計を見るとまだ12時。外には数人しか見えないからこのままならもう2周は回せそうだ。というか、いつもなら回してる。


「あ~どうしよ。まかない食べちゃおうかなぁ。今日なんだっけ?」


 まかないはカードのランクがミスリル以上の人だけが食べられるメニューで、その名の通りメイドさんたちが食べてるまかない。実際には少し違うらしいけど、アスナやスズ曰く、ほとんど変わらないんだとか。


「いいんじゃない?ファミレスにしてテキトーなの食べれば。ちなみにサラダうどんみたい」

「そう言ってステーキとか頼むんでしょ」


 わかってんだぞ、と言わんばかりに睨んできた。


 よくわかってらっしゃる。その通り。逆でも同じようにやるんだからお互い様ってなモンである。


「サラダうどんか。微妙だな。デザート、って気分でもないしなぁ。どうしよ」


 そんなこと言われても僕には知ったこっちゃない。別に空腹でもなんでもない僕はこのまま氷なしのオレンジジュースでもう1周する。


 読んでいた本に目を戻すと、不満そうな声が聞こえた。


「ふーん。そうですか。空腹のわたしをほったらかしてそのままループっすか。ふーん」


 こんな風に言ってくるのは彼女にしては珍しい。もしかしたらホントに空腹なのかもしれない。


 そういえば、いつもだったら喫茶店でなにか食べてた痕跡があったのに、今日はなにもなかったな。ここで昼にしてどこかで軽く食べたほうがいいか?


 って思ったけど、僕は頭を振ってその考えを吹き飛ばした。


 コイツに同情するのは厳禁。そもそも二日酔いするほど飲む方が間違ってるし、それで朝何も食べれませんでした、なんてのは自業自得すぎる。


 だいたい、あと1周か2周すれば昼になるんだ。それまで耐えるなんてこの人は何度もやってるはずである。


 僕がそう返すと彼女がさらに返してきた。

 

「やってるけど、それとこれとは話が別。次の写真撮影でお腹が鳴ったらどうしてくれんの?」


 と、彼女が凄んできたけど、それこそ今さら何を言ってるんだ?


「そのくらい経験済みでしょ。なに今さら可愛い子ぶってんの?」

「ぶってないんだけど!?見て!かわいいでしょ!?」


 見た目は、ね。中身がまるで伴ってないんだよなあ。


 これで中身が酒クズじゃなかったらメイド狂いでも許されるんだろうけど、世の中ってのは甘くないね。


「スズなら笑うか、気にしないから大丈夫大丈夫」

「どこが?聞かれる側になってみなよ。爆笑だよ?爆笑。恥ずかしい」

「聞かれたところで別に気にしないし」

「チッ」


 舌打ちしやがった。


「生理現象でしょ。どうにもなんないんだから食っても鳴るときは鳴るよ?」

「うっさいな。そういうことじゃないっての」


 じゃあ、どういうこと?なんて聞いたら「女心ってのはね――」とか言い出して確実にめんどくさくなるので、僕は読書を再開した。


「あ~お腹減った……」


 いい感じで読み進めていると、いよいよ向かいの席がやかましくなってきた。


「ほかの人と行くって選択肢は?」

「ない。知ってる人もこの辺はいないし、いたとしても会いたくない」


 なんだそれ。めんどくさいな。


「言っとくけど、常連の誰かって選択肢もないから」

「それは知ってる」


 僕だってあの面子だったら1人を選ぶ。そのくらいここの常連客は男女問わず見た目も行動も悪い意味で子どもっぽい。それと比べるならまだマシな方だけど、それにしたって相手はメイド狂いで二日酔いの限界女子。どっこいどっこいだな、と思うのは僕だけだろうか。


「お腹減った」


 テーブルに突っ伏して彼女が言った。

 

「あと2周するんだから次で頼めば?」

「気分じゃないんだよなぁ」


 クッソめんどくさい。これだから酔っ払いは困る。


「ねえ。次でお昼にしよ」

「3周目は?」

「ムリ。ちゃんと食べたい」


 ホントに空腹っぽいな。


「はあ。じゃあ、次のターンで耐えられなかったら3周目はナシってことで」


 しぶしぶ妥協案を出すと彼女は顔を上げた。


「いいの?」

「別に腹の音くらいどうでもいいけど、うるさいのはどうにもならないからね」

「うるさいって……まあ、いいけどさ」


 僕の案に彼女も妥協したらしい。「持つべきは友だな~」なんてテキトー極まりないこと言ってテーブルに突っ伏したまま満足そうに笑みを浮かべてる。


「友って、そんな関係じゃないでしょ」

「……違うの?」


 かわいく小首をかしげるな。騙されないぞ。


「ここまで付き合ってれば少なくとも友達くらいにはなってると思ってたけど」

「二日酔いの限界女子なんてバットステータスが付いてるのに?頭が高くない?逆だったら友達うんぬんの前に初見の時点で回れ右するでしょ」

「そうしなかったわたしってすごくない?黒い服しか着てないモサモサの見た目から明らかにオタクなド陰キャなんて女子側から見たら誰も近づかない不良債権の筆頭だよ?それに比べたらわたしの方がまだかわいいモンでしょ」


 二日酔いを隠してまでメイド喫茶に来て推しに抱きついて色々摂取してる方がどうかと思うんだけどなあ。


「でも僕じゃなくてもよかったんじゃないの?あの辺とかさ」

「あの辺?ああ、あれ?いやあ、ないよ。ない。頭とアレが直結してるじゃん。性欲モンスターは除外要件の筆頭でしょ。お互いに食い合って満足できるのは大学生まで。社会人になったらもうダメ。んなこと言ってらんないから。あーゆーのとかマジでムリ」

「ふうん」


 だってよ。


 と、僕は彼女が指した常連のたまり場と化してる席に目を向けた。


 言われてみれば僕だって溜まり場にいる常連はもちろん、ほかの常連とだって連絡先を取り合おうなんて気はさらさらない。それは単純にここの連中と絡んだら最後、どこまででも付き合わされるのが分かってるから。メイドにも悪い意味で目を付けられるからいいことなんて何もない。


 じゃあ、この関係はなんなんだ?って聞かれたら困るんだけど。


「ほい。おまた~!ゲームしよ!ゲーム!」


 誰かが僕の背もたれを掴んで揺らしてきた。


「ちょっ!落ちる!落ちるって!」

「落ちない落ちない!平気平気!」


 こんなことするのは1人しかいない。ペタンでお子ちゃまなあのメイドだけ。


「はいはい。向こうでやる?」


 スマホを持って彼女が立ち上がった。向こう、とはテーブル席でゲームができる場所が確保できないときに使う小さいスタンディングの丸テーブルのこと。窓際でほかの席からも遠いあの場所はメイドと2人きりになれるいい場所だ。


「向こう?いいよ!行こ行こ!」

「んじゃ、行ってくる」

「はいはい」


 そういえば、まだアスナからチェキ受け取ってないな。ゲームもしてないし。


 と思ったらアスナがこっちにやってきた。


「ごめん。おまたせ」


 僕の真横に来たアスナはそのまましゃがんでしまった。


「おつかれ?」

「ってほどでもないけどね。ちょっとこのままで」

「はいはい」

「っと、チェキね。ほい」


 と、テーブルの上に置いたチェキに僕は思わず反応してしまった。


「浮気じゃないんだけど」


 デカデカと書かれた「浮気禁止」の文字に、言われたまま取ったポーズを取ってる僕の横でふくれっ面のアスナが僕を指して、悪いことをした子供が怒られてるみたいになってる。小さく「アサカはわたしのでしょ!」とまで書いてきてるのが独占欲丸出しでいい味を出してる。


「わたしにはそう見えるって話よ」


 なんで自慢げに言えるのかサッパリわからない。とはいえ、目当てのメイドにここまで言われるのもそうはないので、ちょっと嬉しい。


「ここに来てるのはアスナが目的だけどね」


 そう返すと、アスナは口をもにょもにょさせた。


「それ、アレにも言ってるでしょ」

「言う価値がないんだよなあ」


 何が悲しくて限界女子にそんなセリフ吐かなきゃいけないんだ。罰ゲームでも言うわけないだろ。


「ふうん。ならいいけど」


 アスナはそう言うと、立ち上がった。


「ほら。たまにお嬢様を推しにする人とかいるじゃん。ほかの人ならまあ、ってなるけど、アサカにされたら確実に凹む」

「こんだけ顔合わせといて?」

「こんだけ顔合わせてるから、でしょ。なんか不満とかあったら言ってよ?できるだけ直すから」

「不満ねえ」


 話せるのが短くなったくらい?でも、もともとすごいしゃべってたってわけでもないから不満ってほど不満でもないんだよな。


「あったらね。ないと思うけど」

「お願いね」


 僕とアスナとの付き合いはアスナがここでバイトをはじめて1ヶ月くらいしてからだから、かれこれ5ヶ月は経ってる。その間、ほぼアスナがいるときには来てるからそう考えると結構付き合いとしては長いかもしれない。


「にしても、メイドじゃなくてお嬢様を、か」

「メイドであっても推し変する人いるけど、あれはまあ、しょうがないって思ってる。新人の子しか興味ないとかさ。」

「ふうん。新人の子しか興味ないって言い方もアレだけど」

「本人がそう言ってたんだって」


 おもしろい楽しみ方だなぁ、とは思う。やらないけど。


「でもさあ。お嬢様を推しにされるのはちょっと、ねえ?仲がいい、くらいならいいけど、推しになっちゃうのは笑えないよね」


 僕もこれには苦笑いするしかない。


 メイド喫茶に来てお嬢様を推しにするって何しに来てんだよ。


「っと、もう帰ってくるね。ゲーム入れてるよね?」


 僕が頷くと、「これだけ渡してくる。すぐ来るね」と言い残して別のご主人様のところに向かっていった。

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