第23話

 少しでも坂本記者から距離を取りたく、僕は早歩きで離れた。でもすぐに立ち止まる。後ろから走ってきた自転車が、僕の肩を掠めながら追い抜いていく。

「…そうか」

 出所したのか。僕の生みの親である、尼崎翔太と赤波夏帆が。

 波紋が池の淵に当たって跳ね返るみたいに、じわじわと実感していく。怒りがひょいっと顔を出して、思わず足元の小石を蹴り飛ばした。それから、恐怖が胸に宿り、寒くないのに震えた。それを周りに悟られまいと、胸を張って歩き始める。

 朝の悪夢といい、過去の事件をいつまでもほじくり返す記者といい、ほんと、朝から気分が悪い。もう、放っておいてくれよ。僕は僕だ。

 ふと通りかかった電柱に、張り紙があった。書かれていたのは、「殺人鬼のクローンをこの町から排除せよ!」という拙い文字。

 名誉棄損…、いや、器物損壊か? 許可なしに貼っているから。

 そう思いながら顔を上げると、曲がり角に設置されたカーブミラーに、殺人鬼にそっくりな顔をした僕の姿が映っていた。

 僕は逃げるようにして立ち去った。

        ※

 悪夢を見て、記者にしつこく詰め寄られ、張り紙を見た僕は、腹の底に重油でも溜まっているかのような、重々しい気分で学校に着いた。

 こういう日は、大人しくしているのに限る。まあ、毎日大人しくしているけど。

 でも、こういう日に限って、周りは僕を放っていなかった。

「あ…、幸田さんだ…」

「ほんとだ」

 階段を上がろうとした時、小さな声で話すのが聞こえた。

 振り返って睨むと、通り過ぎようとしていた一年生二人は、蛇に遭遇したみたいに、そそくさと行ってしまった。それだけじゃない。廊下を歩いていると、向こうから歩いてきた女子が、限界まで脇に寄って通り過ぎて行った。それを横目に進もうとすると、遠くから「おい! 幸田宗也!」と言う声が聞こえた。振り返ると、男子がキャッキャはしゃぎながら、廊下の向こうへと走り去るのが見えた。

 最近、今までにも増して、周りの態度が悪くなった気がする。

 原因は、多分二週間前の事件だな。僕が牧野梨花に話しかけて、それを勘違いした女子が、先生を呼んだ件。あれに尾ひれがついて、この学校に広まっているんだ。

 もうめちゃくちゃだよ。耳を澄ませているだけで、「彼は女の子をレイプしようとした」とか、「公園の猫を殺していた」とか、「前の中学では人を殺して退学になった」とか言われていた。

 こういう根も葉もないうわさが流れるときは大体、畏怖よりも、悪意が混じるものだ。

普段なら無視をするけど、一応、釘を刺しておかないと…。

 その日の昼休み、僕は、三宅大河の元へと向かった。

「なあ、三宅」

 窓際で友達と弁当を食べていた彼に話しかける。

 彼は、待ってました…と言わんばかりに、明るい声で言った。

「お! 幸田じゃん! どうした?」

 だから…、僕の名前は、篠宮青葉で…って言っても仕方がないか。

「あのさ…、僕の噂を流すの、やめてくれない?」

「あ? 何のことだ?」

 案の定三宅はとぼけた。そのピエロのような姿に、周りにいた男子が笑う。

 殴りたくなる気持ちを必死に抑え、僕は続ける。

「もちろん、お前が噂を流しているっていう証拠はない。だから、報復もしない。釘だけは刺しておく…。僕はそういう人間じゃなないってことを、知っていてほしい」

 それだけ言って、僕はその場から離れた。

 後ろから、下品な笑い声が聴こえた。

「なんだよ、殺人鬼の癖に度胸無いのな」

 僕は無視して立ち去った。昼休みが終わる頃には、僕が「三宅大河に『殺すぞ』と言った」という噂が広まっていた。

 三宅大河だけじゃなく、あの時の事件で、先生を呼びに行った女子にも声を掛けた。

「あの時、牧野梨花に話しかけたのは、ただ、彼女と話をしたかったからだよ。殴るつもりはなかったんだ。広まった噂を消すことはできないけど、あれは誤解だったってことを知っていてほしい」

 結構優しい口調で言ったのだが、放課後になる頃には、僕が「女子に『殺すぞ』と言った」という噂が広がっていた。そのおかげで、僕は生徒指導の先生に呼び出しを食らい、こっぴどく叱られた。それだけじゃない。脅した覚えも、話しかけた記憶も無い生徒の親が乗り込んできて、「うちの子を虐めた」と喚き散らした。幸い証拠がなかったので、僕が停学や退学になることは無かったが、本当、気分が悪くなった。

 散々糾弾され、生徒指導の先生に、「次やったら退学だからな」という脅しを受けた僕は、ふらふらの足取りで校門を出た。

「おつかれ」

 門の横で、牧野梨花が待っていた。

 憔悴した僕を見るなり、鼻を鳴らす。

「おとなしくしていてよ。でないと、あんたが帰るのが遅くなるでしょ」

「おとなしくしていたつもりなんだけどな」

 先生の野太い声で怒鳴られ、親の金切り声を交互に聞いたせいで、耳の奥が疼いていた。

 牧野梨花は塀から背中を剥すと、すたすたと歩き始めた。振り返り、顎をしゃくる。

「ほら、早くしてよ」

「あ…」

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