7-2「忘れ形見」

真夜中。訓練室で、一条が一人サンドバック相手にパンチ蹴りを繰り出していた。



「はあ、はあ、はあ……」



汗だくの一条がサンドバックに拳を突き合わせて息を切らした。ぽつりと床にしたたる汗はあの日の雨のようだった。一条にとって一生忘れられないあの日。

一般的な一軒家の窓から、少女時代の一条は外を覗いていた。その日は、後ろで一条の母親が電話を受けていた。



「……えっ⁉主人が……⁉」



一条は不思議そうに母親を見た。母親は受話器を握ったまま、その場に崩れ落ちた。



「ママ……?……どうしたの?」



しかしその時母親は何も答えなかった。

一条がパージャーであった父親の殉職を知ったすぐ後、PGOから人が寄こされた。母親の後ろに一条は隠れていた。



「理由は言えないってどういうことですか⁉遺体もないなんて⁉」


「これ以上は機密情報ですので。」



幼い一条は不安そうな顔をしていた。あの時の一条の目は涙をため、見える景色は霞んでいた。

訓練室にいる一条が見る景色も今は同じく霞んでいた。






佑心は一人でPGO本部のエレベーターに乗っていた。



(知らなければ何も変わらない、か……)



エレベーターが止まり、十二階に着いた。佑心は目線を下に落としたままエレベーターを出るが、すれ違う誰かとぶつかりそうになり顔を上げた。



「あ、すみません……えっ?」



顔を上げて見えたのは、怪訝そうな顔をする守霊教の装束の男性だった。そして他の階とは全く違う異国間漂う内装、立ち並ぶ守霊教のローブ姿。

佑心は目を瞬かせ、振り返ってエレベーターの上に刻まれた階数を見た。



「えっ!一二階⁉うそ、何でっ!」



佑心は慌ててエレベーターに戻った。扉が閉まると、六階のボタンの隣に十二の文字があるのを見つけた。



(かー……隣のボタン押し間違えたかー……)



佑心が肩を落とすが、急に隣から声が聞こえた。



「何階や?」


「え?」



佑心が顔を上げると、西村颯太がいた。



「に、西村さん……」


「よっ、久しぶりやな!」



西村は片手をあげて二ッと笑った。二人はしばらく見つめあって微妙な間が流れた。



「ほんで?」


「え?」


「何階行くん?」


「あ、ああすみません……六階です。」



佑心は苦笑いした。しかし再び佑心は下を向いて考え込んだ。



「ん?何やすっきりせん顔やなー。大丈夫かいな?」


「え、あ、いや……ちょっと、探し物に苦労してて……」



佑心は一条の「……知るのは怖いよ。それなのに、知っても何も変わらないかもしれない…」をふと思い出した。

西村は優しく笑った。



「佑心の探し物、すぐ見つかるとええな……」



佑心はその言葉に不意を突かれた。その一点の穢れも無い優しさに目前の雲は晴れたようだった。






サーサーと水滴の流れる音がする。日根野と一条は共同風呂でシャワーを浴びていた。



「今日も髪洗わないの?」



日根野が聞くと、一条はジト目を向けた。



「ちょっと、それ語弊がありますよ。共同風呂にはお湯につかりにきてるだけで、後は部屋のシャワーで済ませてますから。」


「分かってるって。でも、希和のダウンスタイル見てみたいなー?」


「絶対見せませんよ~。」



風呂にいるにも関わらず髪を結っている一条はシャワーを止めて、浴槽に向かった。日根野は「も~。」と口を尖らせながら追いかけた。



「そんなこと言ってると、佑心が浮気しちゃうよ?」


「う、浮気って、別に佑心とはそんなんじゃないですけど……」


「んー、またまた~。今日だって、事務仕事中ず~っと佑心のこと見てたくせに!」



日根野は嬉しそうにニヤニヤして、一条の背中を叩いた。確かに日根野の言う通り、向かい側のデスクの佑心を悲し気な目で一条は見つめていた。一条は赤くなって言い返す。



「い、いや!あれは!……ただ、佑心に悪いことしたなって……」



一条は天を仰いでため息をついた。



(保管庫に行かせたのは私……佑心の母親と姉が同時に憑依体化なんて考えられないとは思ってたけど、まさか……それに、あんなこと言っちゃったし。佑心は私とは違うのに……)



一条はぶくぶくと顔をお湯につけた。






PGO制服姿の佑心が心と共に寮の廊下を進む。



「わりとすぐ帰ってこれたんだな。」


「まあね。チームのメンバーは優秀だったし、ゴーストの居場所もほとんど分かってたから。」



心は言いながらあくびした。出張から帰ってきたところだった。



「それでも、忙しかったのは事実だから、めちゃくちゃ眠いんだけど。」



すると、前からお風呂上りでジャージ姿の日根野と一条が歩いてきた。楽しそうに会話する声が佑心たちにも聞こえてくる。日根野はこちらに気づくと、笑顔で手を振った。



「二人ともー、お疲れ~!」


「お疲れ様です、日根野さん!」



佑心は一条がいることに気づいて、気まずさに目線を逸らした。



「あ……」


「ぁ……」



一条も同じように目線を逸らした。そんなことはお構いなしに、日根野が楽しそうに手を叩いた。



「ね、佑心!ゆ、う、し、ん!」



日根野がずいずいと佑心に迫った。



「は、はい……?」


「希和が髪下ろしてるの、見たことある?」


「な、ないですけど……?」



佑心は日根野の圧にずっと圧倒された。日根野はちょっと残念そうに眉を下げた。



「な~んだ、じゃあまだ付き合ってはないのか……」


「は、晴瑠さんっ⁉」



ぼそぼそ呟いた日根野を、一条が後ろから止めた。



「一条さん、絶対髪下ろさないもんね?僕も四年間で一度も見たことないや。」


「そうそう、最早七不思議のひとつよ。」



日根野は手で口を隠して、心に相槌を打った。心と日根野がそうこうしている時も佑心と一条はお互いに気にして目をそらし続けていた。






夜、既に風呂を済ませた佑心は寮の自室にいた。サッカー部時代のジャージを羽織って、佑心はひとつため息を吐いた。そして廊下に出、佑心は斜め向かいの戸を叩いた。

コンコン……



「こんな時間にごめん。佑心だけど……」



静かに扉が開いて、ラフな格好の一条が覗いた。眉を提げて、微笑を浮かべている。



「どうしたの?」


「……俺は知るよ。それがどんな結果でも……だから、十三年前のファイルのこと教えて欲しいんだ……」



佑心は晴れやかだがしっかりとした顔で言った。一条の目が揺れた。そして、ふっと目じりを下げた。



「うん……」



佑心は一条の部屋に足を踏み入れた。

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