(前からのことではあったが)ここ二、三日、遅くまで起きて、朝方に眠るという生活を送っている。日中に寝るため、まだ午前中だと思ったらすでに夕方になっているということも少なくない。


 (誰が悪いという話でもないし)それ自体は苦ではないのだが、午前中に予定が入ってしまったときに少し困る。直近でいえば、今度の土曜日に病院がある。前回はすっぽかしてしまったので今回こそ行かなくてはいけない。


 (得意な人もいないだろうが)昔から病院が苦手だ。できることなら行きたくはない。何が苦手かというと困るが、強いていうなら空気感が嫌だ。

 

 (こういう言い方は誤解を生むかもしれないが)病院の空気というのは異質だ。何か後ろ指を刺されているような、嘲笑われているような、そんな気さえする。私の内側の、私を見下す私を暴かれていると感じる。いつもの考えすぎだというのも理解はしている。でもそれに気付かされると少し落ち込む。なぜ私は私にすら加害されなくてはいけない?


 (自業自得とはいえ)私は私にくらいは認められていたかった。それができないせいで随分いろいろな面で遠回りをしている気がする。特に自己肯定感が低いと、他者と健全な関係を築かことが難しい時がある。


 (愚痴っぽくなってしまうが)働いていたときはもっぱらそうだった。常に嫌われないよう、陰口を言われないよう、必死に周りに合わせようとして、でも合わせられなくて、その度に凹んでは、自分を嫌いになっていった。もし自己肯定感を高くいられたらと何度も思った。


 (お門違いな恨みだけど)そうである人たちがこの上なく羨ましくて妬ましい。社会に適合して、社会に貢献して、社会からの還元を受けられる人間性だったらこんな苦しむことはなかったし、仕事を辞めることもなかったし、恋人と別れることもなかったし、死にたくなることもなかったのではないか。


 (未練がダサいのも承知だが)そう考えてしまう。


 (話が脱線してしまった)初診の時、病院の先生といろいろなことを話した。趣味や仕事や家族のことや恋人のこととか。そのとき先生に、恋人の話をしたら、それなのに死にたくなるの? 恋人が悲しむよ、とも言われた。


 (弱いから)そのくらいは分かっているとはいえなかった。ただヘラヘラしてそうですね、と曖昧な同意しかできなかった。別れてからは初めて病院に行く。話したらなんと言われるだろうか。まさか死に一歩近づきましたねとは言われまい。慰められても惨めだ。死にたくなる。


 (あくまで個人の考えだが)死ねない理由と生きていたくない理由を天秤にかけて、どちらかに傾いたから生死が決まるわけではない。生きていたくない理由の方が多くても、死ねない理由を横目に生きていくことが多いような気がする。天秤はいつも平等ではなく、それを見ている人間の目も歪んでいるのだ。


 (勝手な望みだけど)歪みの矯正がされたらいいのにと思う。人間性も、認識も。そうしたら死ねるし、生きていけるから。


 (おわり)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る