引っ越しをした。手続きはずいぶんと面倒くさかった。

 住民票を移さなくてはならないし、免許証やマイナンバーカードの住所も書き換えしなくてはならない。水道電気ガスの解約手続きをしなくてはいけないし、引っ越し業者とのやり取りもしなくてはいけない。人がどこかに移動する、というだけで一大事なのかもしれないと思った。

 

 あまりにも引っ越し前の手続きで体力を使ったので、荷造りは代行してもらえるサービスを利用した。最近はどんなものにも代行がある。荷造り代行、買い物代行、退職代行。思えば、引っ越し業者も代わりに荷物を運んでくれるのだから、引っ越し代行サービスだ。世の中の仕事は、誰かの「面倒くさい」を代行することで成り立っているのかもしれない。


 荷造り自体はとても早く終わった。さすがプロだと感動していたのだが、一つだけ問題が起こった。


 自転車も運んでもらう手はずだったのだが、駐輪場に自分の自転車が見当たらなかった。十ヶ月くらい乗らず、放置していたのでなくなっていたことにも気がつけなかった。


 その場ではどうしようもないので、業者の方には引き上げていただき、自転車は荷物が届いてから被害届を出すことに決めた。

 正直、ずっと乗っておらず処分に困っていたから、盗られたこと自体はいいのだが、手続きをしなくてはいけないのが面倒くさい。

 被害届出代行サービスとかないだろうか。


 もし盗まれた自転車が、何かしらの犯罪に使われたとき、自分にどの程度の責任を問われるのだろうか、と考えた。

 たとえば私の自転車でひき逃げをされたら。警察から逃げるための足に使われたら。自転車そのものを鈍器として使われたら。


 法律的には裁かれないのかもしれない。

 ただ、罪悪感はきっと計り知れない。自分のせいで誰かが悲しむのだ。誰かの行動が、その他大勢の思考や感情や行動を左右するのは当たり前のことだが、自分の甘えから出た行動で傷つく人はなるべくいない方がいい。


 ミステリの動機にも、悲劇の一つのパターンとして、こういった話はよく含まれる。Aという人物が悪気なく取った行動が、のちのちBの人生に大きな影響を与え、それを知ったAは自身の人生を呪っていくという悲劇だ。

 いずれはこうした悲劇のみの短編集を編んでみたい。悲劇に触れているとき、いつもより自分の言動に慎重になれる気がする。

 恋愛映画を見た恋人が愛を育むように、感動映画を見た家族が情操を学ぶように、悲劇は悲観主義者の中に新たな視座を与えてくれる。


 悲劇的な作品というものは多くある。人の数だけ悲劇は用意されているからだ。

 人生で一番の悲劇作品はなにかと聞かれれば、『隣の家の少女』(ジャック・ケッチャム/扶桑社ミステリー)と答えるだろう。

 この作品は身も蓋もない言い方をすれば、虐待をされる女の子の話だ。話が進むにつれ、最悪の最もを何度も塗り替えてくる。そうして一切の救いも拒絶するように、主人公の独白と共に話は終わる。

 読み終えてしばらく何も手につかない読書体験はそう多くはできない。私は読み終えた小説を、他の人がどう感じたのか知りたくなる質で、すぐにネットを検索した。

 しなければよかった。


 この作品は、実際の事件を下地につくられていた。


 一度目を通してしまったから、実際の事件の全容もウィキペディアで最後まで読んだ。どんな文章も「読まなければよかった」と思わないようにしているが、これだけは別だった。読まなければよかった。本当に後悔した。

 人生に食い込んでくる悲劇、とでも形容しようか。とにかくこの作品はどんな悲劇をも押しのけるほどの力を持っている。

 暗い輝き、とはこういう作品にこそ使われる表現だ。この作品を、読んでみてほしいとは勧められないが……


 読んでよかったと思わせる文章を書くのは簡単だ。ただ、読まなければよかったと後悔する文章を書くのは難しい。いずれそういう文章を書いてみたいものだ。


 自転車が盗られたことから始まる悲劇を、今度一作書いてみようと思う。遅筆なのでいつになるか分からないが、楽しみにしていて欲しい。

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