第6話 下校

 碓井真司は一ノ瀬兄妹と旧知の仲。

 そんな情報が駆け巡るのに、時間はさほど要さなかったようである。

 

 放課後を迎えるまでに、既に新一年生の訪問が何度かあった。同時に日向にさりげなく声をかけている姿も散見された。遅かれ早かれこうなると可能性は危惧していたが、案の定。


 俺の求めいてる平穏な学生生活は今年も遠い存在となりそうであった。


「しんどぉ……」


 呻き混じりの声が漏れた。

 自分のことは自分が一番理解している。目立つことが嫌いな性格だ。


 だというのに、一ノ瀬兄妹のブランド力が強すぎるあまり、何から何まで上手くいった試しがないのである。


 スマホを届けただけなのに。

 グッバイ俺の日常。こんにちは仲介業務。こんなことならば日向からの頼みを受けずに武力行使に訴えてでも自分で行かせればよかったと後悔してしまう。


 月菜ちゃんも中々に容赦がない。

 入学前に「目立ちたくない。主にかくかくしかじかで」と伝えたあったはずなのに、平常運転過ぎるのである。


 家族のような存在だが、紛れもない美少女に懐かれているという現実はこれ幸いといったところ。ただし限度があるのではないかと思う所存だ。


 今後日向狙いの女子や月菜ちゃん狙いの男子から話しかけられるであろうことを思案すると頬が引き攣った。


「へ、へへ。惨めになるってもんよ」


 一ノ瀬兄妹の異名が轟けば轟くほど一般ピーポーの俺が浮いた存在に見える。本来は俺が普通なのである。


 彼らにスポットライトが当たれば当たるほど影が如実に濃くなる。

 期待されて失望される。

 その繰り返しなのだ。


 我ながら自己評価は適当であると自負している。

 容姿は中の中。成績も同様。

 恋愛のスキルは当然ゼロ。

 きっしょいデートプランを夢想してしまうくらいには経験値も皆無。


 運良く、あるいは悪く一ノ瀬家の隣に生まれただけの男子。それが俺だ。


「あ! 真にい! こっちこっち!」


 校門を抜けたあたりで、俺を呼ぶ声が響いた。

 帰り際の学生らで多少賑わってるにも関わらず彼女の声はやけに通った。


 その声の主に心当たりしかない俺は数秒瞑目した後、ため息を吐いた。

 お昼休みに注意したのは効果はなかったらしい。まさしく暖簾に腕押し。月菜に意味なし、であった。


「おそーい! 待ってたんだけど!」

「……待ってろって頼んでないけど」

「うっわ、そういうこと言うんだ。真にいに苛められた、しくしく……」


 などと言いながら顔を隠す月菜ちゃん。

 しかしながら、その指の隙間から覗けた顔は満面の笑みだった。


「冗談はやめろ、やめろ、やめてください。まじで。あの目立ってるんで、悪い意味で目立ってるんでッ」


 はたからみれば噂の美少女を泣かせている男の図である。

 周囲の視線が非常に冷たい。


 慌てて月菜ちゃんにフォローというなの保身を申し出たところ「仕方ないなぁ」と、悪戯少女のような表情を浮かべた。月菜ちゃんとの間にあるパワー関係は、無論俺が圧倒的敗北者。


 この状況下で別々に帰路に着くなど有り得ず。

 流れで下校を共にすることとなった。


 昼休み、新一年生らは少し早めに下校時刻を迎えるとは聞いていたが、まさか待っていたとは。


「てかさ、真にいがいつ会いに来てくれるか私、楽しみにしてたんですけどー?」


 笑顔からややむくれた表情へ。

 だが俺にも事情はある。中学の頃ならまだしも高校生ともなれば恋愛事に対して敏感な年齢だ。特に一ノ瀬兄妹のような学校の人気者となれば殊更。


 昔のようにいつも一緒は難しい。

 そりゃあ日向や月菜ちゃんは気にしないだろう。だが俺が気にするのだ。

 

 一ノ瀬兄妹と幼馴染なのだ!

 とマウントを取れば恐らく虚しくなるだけだろうし、そもそも君らが凄いだけで俺はどこまでも平凡なのだ。


「言ったろ目立ちたくないって。日向だけでも厄介なのに、月菜ちゃんとも仲良いってバレたら面倒だ」


 俺が言うと、月菜ちゃんはやれやれと大袈裟に呆れたポーズを取った。


「それってあれでしょ? アイツの仲介がだるいから、私の分まで加わったらだるすぎーってことでしょ?」

「いやまぁそうだけどさ」


 日向のこととなると、柔らかな口調が一気に冷ややかなソレになる。

 俺は眉を軽くつり上げた。


 あと個人的には君らが優秀すぎて劣等感に苛まれるってのもある。

 ただ、それを口にするのはださい。


「はー、もっとはやく私から会いに行けばよかった。真にいの制服姿好きだから。写真撮りまくりタイム!」

「へーへーそりゃどうも。月菜ちゃんも制服似合ってるよ。可愛くなった」


 俺が軽口で返すと、


「……ん、ありがと。……えー、うーわ、ないわ。真にいの癖にそんなセリフむかつく、ないわぁ」

「そこまで否定することねぇだろ」


 茜色が月菜ちゃんの顔を朱色に染める。

 ただ茜の仕業だけではない。

 長い付き合いなので、なんとなく月菜ちゃんが照れているであろうことが分かった。引かれていないようで一安心である。とはいえ幼馴染、それ以上どうこうなるなどありえない話だが。


「真にいってさ、目立ちたくないって良く言うけど別に関係なくない?」


 不意に月菜ちゃんが口にした。

 立ち止まり、人差し指をびしっと立てる。

 そんなありきたりな立ち姿でさえもどこか絵になっている。


「だって目立ってようが、地味だろうが、私にとって真にいは真にいで、変わらないんだから」

「ありがとよ。けど月菜ちゃんや日向目当てで近寄ってくる奴らハイエナみたいな目付きしてんだぞ。こええったらありゃしない」


 もはや血走っている。

 一ノ瀬ブランド恐るべし。

 日向が誰かと付き合ったら嫉妬で死人が出るかもしれない。考えておきながら、あながち冗談とも言いきれない現実に背筋がヒヤッとした。


「アイツのことはどうでもいいんだけど、ま、さっさと刺されちゃえって感じ」

「ほんとに容赦ないね月菜ちゃん」

「だって無理なんだもん。皆に曖昧な態度して、優柔不断で。無理無理、あー考えただけでゾワッとした」


 自分の手で身体を軽く撫でる月菜ちゃん。

 俺は無言で話の続きを促した。


「とにかくアイツのことはテキトーに済ませちゃえば良いし、私目的の男とかぽいって捨てとけば良いから!」

「……それでお前に逆恨みする男いたら心配だろ。できねーよ」


 言うと、月菜ちゃんが固まった。

 そうである。日向は男だからまだしも、月菜ちゃんは女子だ。性格は強かでも何かあれば被害者になり得る。


 そうなれば俺は後悔してもしきれない。


 仮に月菜ちゃん目的の男が俺に話を持ち掛けてきても紹介する気など微塵も無かったし、それなりの正統性をもった内容で断るつもりだった。


 嫉妬や逆恨みが起きないように。


「なぁに、真にい心配してくれてるんだ?」

「当たり前だろ。ばかか」

「ふーん、そかそか」


 月菜ちゃんは何やら含みのある言葉を紡いだ。

 声色が妙に明るいのが印象的だった。


「──でも、大丈夫だよ」


 月菜ちゃんがトンっと俺の胸に人差し指を当てた。ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐった。


「ヤバイなあって時はさ、真にいが守ってくれるでしょ?」

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