第4話

 オヤジの通夜には、反田組の人間だけが参列した。

 オヤジは奥さんに先立たれており、実の子供はいない。

 通夜の間、普段は鋭い眼光と態度で相手を威圧しているような強面の男たちが、柄にもなく涙を流していた。


 ちなみに、新たな組長が就任するのはもう少し先になるらしく、それまでの間は叔父貴が組長代行として指揮を執るようだ。といっても、次期組長は宮永さんで決まりだろう。

 反田組はそれなりに大きな組織なので、諸々の引継ぎやら挨拶回りやらで時間が掛かるだけだ。


 俺は、オヤジと直接話す機会があまりなかった。しかし、そういった人間は反田組の構成員でも珍しくない。

 初めてオヤジと顔を合わせたのは、俺が反田組に入る時、つまり親子の盃を交わす時だった。


 ――シゲ(宮永繁明しげあき)から聞いてるぞ。カタギの時に、喜一を殴り飛ばしたんだって?柴犬みたいな可愛い顔して、よくやるねぇ。けど、俺はそういう度胸のある小僧は好きだぞ。


 オヤジは、ガハハと豪快に笑っていた。

 若い頃は抗争で何人も殺したという噂を耳にしていたため、会う前はどんな極悪人がやって来るのかと身構えていた。

 しかし、実際に会ってみると、何てことないただの気前のいい爺さんだった。


 ――喜一はガキの頃、血の繋がった親父にサンドバッグみたいに扱われてたんだ。だから、殴られると大嫌いな父親のことを思い出して、我を忘れるところがあるんだよ。


 オヤジは憂いを帯びた表情で、そう語った。



 

 通夜が終わり、俺は喫煙所で一人煙草を吸っていた。

 煙草を吹かしていると、ふと幸希の顔が脳裏に浮かんだ。

 オヤジが倒れてから今日まで、俺は何かとバタバタしていて、あまり周りが見えなくなっていた気がする。

 しかし、オヤジが亡くなったことで、ようやく冷静になった。

 俺は幸希の物分かりの良さに甘えて、この一か月の間、まともに彼女と会話していない。今日だって、事情も説明せずに、早朝に家を出てしまった。

 幸希は文句一つ言わないが、内心では俺の態度に不満を持っているはずだ。

 

 俺が一人で反省していると、突然喫煙所の扉を、誰かが乱暴に開けた。

「誰かと思ったら、酒々井くんじゃねぇか。久しぶりだなぁ」

 喫煙所に入って来たのは、望月だった。

 俺がこの世でに嫌いな男――。

 

 俺は顔をしかめながら灰皿に煙草を押し付けて、望月の横を通り過ぎて喫煙所を出ようとする。

「おい、待てよ。久しぶりに会ったっていうのに、無視することはねぇだろ」

 ゴリラのように筋骨隆々の大男は、俺の肩を掴んで制止させる。肩を掴んでいる左手の小指は、第二関節から先がない。

 

「どうも、お久しぶりですね」

 俺は厭味ったらしく返した。

「相変わらず、可愛げのねぇガキだな」

 俺の態度が気に障ったのか、望月は舌打ちをする。

 

「お前、俺に言うことあるんじゃねぇのか?」

 望月は俺に詰め寄る。

「はあ?あんたと話すことなんか、あるわけねぇだろ」

「とぼけんじゃねぇよ。ずっとお前のことをぶっ殺してやりたいっていうのを、こっちは我慢してるのによぉ。まさかお前のほうから、喧嘩を売ってくるとはなぁ」

 俺は望月の言っている意味が分からない。十年前のあの件以外で、俺はこいつに喧嘩を売った覚えはない。

「……何だ?あんた薬でもやってんのか?」

「何だと、テメェ」

 望月は俺の胸ぐらを掴んだ。


「おや?お取込み中だった?」

 すると、再び喫煙所の扉が開いた。

 そこには、三上さんが立っている。

 全く似合っていない喪服姿の三上さんを見ると、「本当にこの人は四十路手前なのか?」という疑問が湧く。

 

「あっ!俺のことは気にせず、お二人で続きをどうぞ。何なら、レフェリーやってあげようか?」

 三上さんは、いつものようにヘラヘラとした調子で茶化してくる。

 宮永さんから「三上がオヤジの見舞いに毎日行っている」という話を聞いていたため、通夜では相当落ち込んでいるのではないかと思っていた。しかし、実際に会ってみると、いつもと変わらない様子だ。

 

「三上テメェ、何しに来やがった!?お前、煙草吸わねぇだろ」

 望月は俺の胸ぐらを放して、三上さんに詰め寄りながら怒鳴る。

 望月は、三上さんのこういった飄々とした態度が気に入らないらしい。

「のど飴舐めようと思ってね」

 三上さんはポケットから取り出した飴の袋を開けて、中身を口に放り込んだ。

 のど飴なら、喫煙所の外でも舐められるだろ。

 しかし、三上さんの言動にいちいちツッコんでいては、キリがない。


「ふざけんな!ナメてんのか、テメェ」

「……飴なら舐めてるけど?」

 キョトンとした顔で返す三上さんに、俺は思わず噴き出した。

「殺すぞ!」

 望月は顔を真っ赤にして、三上さんの胸ぐらを掴む。


「お前ら、オヤジの通夜の時くらい大人しくできねぇのか」

 すると、また喫煙所の扉が開き、今度はご立腹の市ノ瀬さんが入ってきた。

「外まで丸聞こえだったぞ」と、市ノ瀬さんはいつもより語気を強めた口調で言う。

「あははっ、すみませーん」

 三上さんは、襟足を掻きながらヘラヘラと笑う。

 望月は不服そうにしながらも「すんません」と呟く。俺も続いて「すみません」と頭を下げた。

「はぁ……。別に仲良くしろとは言わないけど、顔を合わせるたびに言い争うのは止めてくれないか?君たちを束ねなきゃならない宮永の兄貴が気の毒で仕方ないよ」

 市ノ瀬さんは頭を抱えながら、ため息を吐く。


「それに、望月くん。ちょっと前に、君のところの若いのが消えたっていう話を聞いたんだが、大丈夫なのか?こんな大変な時に、面倒事なんて勘弁してくれよ」

 市ノ瀬さんがそう問いかけると、望月はなぜか一瞬俺のことを睨んだ。

「根性のねぇガキが逃げ出すことなんて、よくあることでしょ。大袈裟ですよ」

 望月は何でもない様子で返す。

「望月くんのパワハラが怖くて逃げちゃったんじゃない?ダメだよー、今のご時世、そういうの」

 茶化すように言う三上さんに対し、望月は今にも飛び掛かりそうな様子で怒りに震える。

 それを見た市ノ瀬さんが「三上くん、やめなさい」と注意する。

 三上さんは「すみませーん」とまた軽い調子で謝ると、喫煙所を後にした。それに続いて、望月も不機嫌な様子で外へ出ていく。


「酒々井くん、ちょっといいかな?」

 俺と二人きりになった市ノ瀬さんは、軽く手招きをする。

、どんな調子?」

 市ノ瀬さんにそう問われて、俺はこの人に報告を怠っていたことに気づいた。

「すみません、まだ何人かゴネてる奴がいて……。もう少し時間が掛かりそうです」

 俺はため息を吐いた。

「別に謝る必要はないよ。それに、ゴネるってことは、それだけ君のことを慕っているということだよ」

 市ノ瀬さんは俺を励ますように、肩をポンポンと軽く叩く。

 しかし、市ノ瀬さんに「慕われている」と指摘されたことで、俺は後ろ髪を引かれる思いになる。


「……ねえ、酒々井くん。君は、人を殺したことがあるかい?」

「何ですか、急に……」

 何の冗談かと思ったが、市ノ瀬さんの表情は真剣そうだった。

「……いや、まだありませんよ」

「そうか。なら、君の決断は間違っていないと思うよ。君は、私とは違うんだから……」

 市ノ瀬さんは少し寂しそうな表情を浮かべた。

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