導く神意

 強大な力を以て異質な化け物を鎮めた女は、現実離れした風格を纏い、自らを守護神と称した。

 山に住まう守り神の伝説が本当だったと言うのか。いや、そんなことはどうでもいい。彼女は幽世かくりよじみたこの場所で、魔物に対処することができるのだという事実がある。この存在が協力的であるかどうかが大事だ。だがもう一つ、最も気になることがあったので、先に尋ねることにする。


「僕はマコト。助けて頂き感謝しきれぬ思いです。貴女が慈悲ある神様なら、質問してもよろしいでしょうか」


「いらへむ」


 古式ゆかしい言葉で返されたが、それが許可を意味していることを言外に理解できた。下手な質問をして関心を削いではいけない。あるかもしれない彼女の憐憫れんびんに訴えかけなければ。


「現実から掛け離れたこの状況、貴女は把握していない。違いますか?」


 自分の山のことだから、守り神なら怪奇を掌握していて然るべきだろう。だが、“忌み山”の怪談は壊れ切ってしまっている。話にはない化け物が現れるし、不明な場所に迷い込んで、帰り道は不条理にも消えてしまった。混沌とした現状は、彼女にとっても非常事態となる何かが起こっているということではないか?

 唯一頼りになるかもしれない存在が、この場において無敵ではないとなると、無力な僕たちにとっては心許ない。頬に手を当て、首を傾げた彼女の仕草は、僕の予想を肯定してしまったように見えた。


しかり。此処ここは我が領域ならず、星々を越えし異界なり。我もまたあくがる身に過ぎず」


「な、なあ?俺らを村に帰してくれるんか?」


 堪えかねたマサトが急いた質問をする。鬱陶しそうにアユミが彼を睨むが、必死な様は守り神の慈悲を請えるかもしれないので止めはしない。


「守り神様は、生贄もなしに永いこと村を支えてくれてる優しいお方って聞くけど...」


 嗤いを隠すように片てのひらを口元へ当て、数秒の間が置かれた後。


「帰すために努めましょう。私が知る限りを明かし、山頂へと導きます」


 易しい言葉で明確になされた返答によって、彼女は僕たちの味方をするのだという前提が定まった。こちらは見返りも差し出せないのに。親切過ぎて警戒してしまうな。

 しかし一体、どんな道を辿れば元の世界へ帰れると言うのだ?神隠しじみた目に遭っているが、目の前にいるのもまた神様。未知の中で右も左も分からないという様子ではない。聞けば教えてくれると言うので、目的地として挙げられた“山頂”について気になるところ。


「ではユウヅキ、私たちがそこへ向かうべき理由を知りたい」


 守り神を呼び捨てにしたアユミの不遜に肝を冷やす。幸い彼女が機嫌を損ねることはなく、簡潔な説明を返してくれた。


「推測が正しければ、現在地は名高き大御神おおみかみの支配する霊峰。頂へ登れば、貴方々の現世へと帰路をひらくことができるかもしれません」


 帰り道はもう存在しないということか?無いものだから、創り出すために登山をしなければならないと。おぞましい化け物が潜んでいるだろう暗闇の中を。酷い悪夢だ。

 恐怖に追い打ちを掛けるように彼女は言い足す。


「正直なところ、必ず護って差し上げると約束することはできません。今この地には、私たちと同じ経緯から、高位の妖魔たちが数多喚び出されていることでしょう。険しき道行きをご覚悟下さい」

 

 言葉は気遣う様であっても、声音に感情が感じられず、実のところ僕たちの生死はどうでもいいのではないかと思えてしまう。親切尽くしの字面に相反する冷徹さが不気味で仕方ない。


「着いて行くのが良いと私は思うが、マコトはどうだ?」


「僕は賛成だが...」


 守り神である彼女以外に、救いの手を差し伸べてくれる者が現れるとは思えない。縋り付く他選択肢はないけれど、わざわざマサトを無視するのは酷いじゃないか。


「待ってや、俺には聞かんのか」


 当然彼は怒ってアユミを睨み付けたが、蔑むように細めた目で応じられる。


「役立たずの意見は要らねえ。怖くて大騒ぎするしか能がないだろ」


「はあっ!?何をっ...」


 口角を上げて言い放たれた侮辱に憤りが爆発したように見える。それでも彼女に詰め寄って怒鳴るようなことをしないのは、怯んでいるからだ。アユミが不良男子並みに喧嘩が強いのは学校で周知される話である。

 友達として言い返してやりたいが、生き死にの窮地で不和が起こるのは洒落にならない。僕はマサトの肩に手を置いてなだめる。


「お前の意志は尊重されるべきだ。不服があるなら言ってくれ」


「...異存はない。喧嘩しとる場合やないな。一秒でも早う帰りたいわ」


 冷静になってくれた彼に安堵する。話はまとまった。三人で頭を下げ、僕は守り神に決心を伝える。


「同行させていただきます、ユウヅキ様。僕たちを元の現実に帰してください」


 彼女は頷いてくれた。暗闇への恐れを祓うように指が鳴らされると、青白い火の玉の集まりが周囲に現れる。懐中電灯よりもずっと明るく照らして、精神を慰めてくれるが...できれば見たくなかったものが見えてしまう。

 先の怪力で道端に除けられた化け物が、まだ起き上がれずに留まっていた。そちらへ顔を向けた守り神は、思いもよらない言葉を発する。


「貴女も来ますか?」


 あり得ない相手への誘いに呆然と言葉を失ってしまう。当然のこと、真先に物申したのはマサトだった。


「そいつは...俺に襲い掛かってきたんですよ!?意思疎通もできん化け物やないですか!」


 抗議の声をたけらせる彼に、ユウヅキ様は口の前で人差し指を立てた。


「礼儀を弁えなさい。この子は貴方々を喰らうつもりはありませんし、疎通を試みてもいましたよ。少し不行儀を晒してしまっただけ」


 化け物の身体が沸き立つように液化して、容積が小さくなり、異なる型へと変貌していく。肉体が固形としての性質を取り戻した時、少女の様に見える人型が立っていた。

 見た目は高校生くらいで、ユウヅキ様の威厳と比べるとかなり幼い印象を受ける。

 一枚の長い布をドレスの様に巻き付けた衣装。複雑怪奇な幾何学模様で彩られており、貴石を砕いた顔料で描かれたに違いない極彩色は、高級感というよりも豪華さを感じさせた。髪のない頭に灰色の冠があり、歪な星型を繋ぎ合わせた造形をしている。


『 अहं भवतः बहु कृतज्ञः अस्मि। हे महाबल | 』


 ユウヅキ様に向かい、深く敬意を込めて辞儀をする彼女。その背に手を当て、ユウヅキ様は僕たちの方を手で示した。


「無作法をお詫びなさい」


 化け物、だったモノが歩み寄ってくる。思わずマサトは後ずさるが、アユミに腕を掴まれて立ち位置を戻された。前まで来ると、彼女は目を瞑って顔を俯かせ、胸の前で手を組み、言葉を話す。


「カヴィヤって、言います。さっきはごめんなさい、追い駆けたりしたら怖いよね...私も迷って怖かったの。貴方たちが道を知らないかと、必死で」


 謝罪する姿には、もう脅威を感じない。自分たちと同じく迷い込んだ被害者なのだと分かると、親近感を抱くこともできる。普段ならばもっと慎重に判断したいが、ここで時間を割いては先が思いやられるからな。


「許すとも。一緒に行く仲間が増えて嬉しい」


「ええんやけどな...元の姿は今後できるだけ見とうないわ」


「よろしくやってこうぜ、カヴィヤ」


 独りがさぞ心細かったのだろう、安心に目元を緩めた彼女は、僕たちと並び立った。

 火の玉が陣となって防護を展開したので、突然の脅威が一瞬で命を奪ってしまう、ということはなさそうだ。最低限しか安全が保障されないとも言えるゆえ、庇護に頼り切り警戒を緩めてはいけない。


「いざ登り往きましょう。阿鼻の獄を」


 不穏な言葉と共に僕たちは歩き始める。救いを求めて山を登るというのは、外国の文学で描かれる冥界巡りを思わせるものの、頂に楽園がある訳でもない。寧ろ高みへ行く程に、人間が浴びるべき光から遠ざかっていく予感さえした。


⛩︎  ⛩︎  ⛩︎  ⛩︎  ⛩︎


「さっきは庇ってくれて、ほんまにありがとうな、マコト」


 それから間もなくのこと、妖魔が襲い来る前に言っておきたいことがある様子で、マサトが感謝を口にした。沈んだ顔には罪悪感が見て取れる。善意を見せて受け取ってしまえば、逆に落ち込ませてしまうかもしれない。だから敢えて素っ気ない態度で応じる。


「気にするな。お前と連れ合った目的を果たしただけだ」


「心配してくれてたもんな。せやけど...」


 言葉を切って、一つの覚悟を決したように続ける。抗いがたい負の感情を呑み込んだ彼は、一歩だが大切な成長を遂げたと思えた。


「次、俺が危のうなったら、捨て置いてくれたらいい。一番には自分を大事にするべきや」


「そうだな。理に適った心掛けだと思うよ」


 カヴィヤの他と遭遇していない今はまだ何とも言えないが、彼女ですら怯える程の妖魔が跳梁跋扈ちょうりょうばっこしているらしい。万が一、全員で帰れずとも、一人でも多くが生き残るには自己犠牲の想いを捨て去らなければならない。

 冷酷な現実を受け入れたマサトに僅かな感心を持ったのか、アユミが一瞬だけ彼を見遣みやった。関心はすぐに移り変わり、先頭を歩くユウヅキ様に質問を投げかける。


「基本的なことを教えてほしい。妖魔とは?あんたの山からどうして別の山に繋がった?この世界は実体があり物理的な被害が及ぶ環境なのか?」


「理解易けれど、一部不正確に短き答えとなります」


 すらすらと並べ立てられた疑問に、一つずつ説明がなされていく。虫けらに文明を教えて聞かせるかのように内容を噛み砕いて。


「私たち妖魔は、ヒトよりも遥かに強く万能な存在。下界から遠く離れた常闇の天体に生きるが、自然法則の宇宙に降りることもあります。知的種族は捕食者として恐れ、時には神格化し贄を捧げる。電光が溢れる今となっても、貴方々は夜が怖いですよね。太古に刻み込まれた本能が遠未来、“真の夜”を思い出すこととなるか、否か」


 突拍子もなかった。世界観が全く呑み込めないのだが。説明を単純化し過ぎて与太話よたばなしみたいになっている。ええと?妖魔は地球外生命体だと言うのか。ははっ、ふざけた冗談は止してくれ。また、僕たちがいる世界を下界と呼んだが、天国の上位存在でも気取っているのだろうか。


「私の住処すみかに如何な事態が。より格高き霊峰へ融合したことが確かです。彼の大御神は悠久の時を掛けて山々をぎ取り、自身の領域を拡大している。私たちや、異なる山にいた者たちは、それに巻き込まれ移動したのでしょう。元の座標への帰還は、高嶺たかねからのみ可能となります」


 話の範囲が限定されているので、二つ目の説明はまだ分かり易い。ユウヅキ様よりも更に強大な神がいて、各地のパワースポットを神域に蒐集しゅうしゅうしている。そこに居合わせた妖魔たちは脱出を目指して山頂へ...マズイじゃないか。行き先が同じならば、衝突は一度や二度では済むまい。


「“其方そちら”とは違いますが、常夜とこよにも法則が存在します。夢などではない故に、具象的な攻撃が私たちを襲うのです。殴られれば、脆いヒトの肉など水風船も同然に弾けるでしょう」


 明らかなことだ、アユミは確認の意図で聞いたのだろう。妖魔は呪いや祟りなどではなく、物理的な力で掛かって来る。対抗の手段を持たないヒトは逃げ回るしかない。


「経験するのが早いですね。気を締めなさい、来ましたよ」


 警告に緊張を跳ね上げる。敵の姿を探して辺りを見回したが見当たらない。ただ、子供たちのはしゃぐ声が前方から聞こえている。日常の中で有り触れた和やかな騒がしさなのに、それがこんな場所で聞こえるなんて違和感でしかない。やがてころころと、球が一つこちらへ向かって坂道を転がってきた。火の玉が護る内側まで入って道を下っていくそれを、怪しみながら眺める。


「拾ってあげなさい」


 そう言われたので、気が進まないけれど、僕は足元へやってきた球を拾い上げた。色鮮やかな糸で模様を描くよう芯に巻いた物体は、鞠という玩具だ。古くから親しまれていたが、今では物珍しく、触ったことなんてなかった。

 しかし変な感触だ。人肌のような温かさがある...球が変形し本来のモノへと戻ったことで、鞠は偽物だったのだと理解した。


「ありがとう、お兄さん」


 僕の手には少年の生首があった。しかも生きて喋っている。

 ひっ、と声を上げて落としてしまうが、咄嗟に傍へ寄ったカヴィヤが受け止めた。迷いのない動作で、前方に広がる暗闇へ向け投擲する。すると、首無しの子供が一人走り出てきて、投げ渡された頭部を捕らえ、血の滴る自身の首元に接着させた。

 続いて、わぁわぁと楽し気に笑って駆ける少年少女たちが姿を現す。ユウヅキ様率いる一行に好奇の目を注いで動きを止め、僕、マサトとアユミを指差して口々に騒ぎ立てる。


「迷子のヒトがいるぞ。初めて見た」


「ヒトってなぁに。美味しいの?」


「ゲテモノと聞くわね。栄養も無さそう」


 儀式的な意匠が凝らされたローブを着た、十歳くらいの人型が十数人。煌びやかな宝石や貴金属で重々しいほどに飾り立てており、神話の存在を鎮めるかび出すかするために犠牲となる人身御供ひとみごくうを思わせる装いだ。

 子供たちは横一列に並んで行く手を阻んでしまう。ユウヅキ様は怒らず、変わらない穏やかな口調で言葉をかける。


「お退きなさい」


 静かだが有無を言わせない声に、子供たちは後ずさったが、少女が一人だけ踏み止まった。肝が据わっているようで、彼らのリーダー格なのかもしれない。臆することなく自分たちの要求を告げる。


「遊んで行ってよお姉さん。でなきゃ通してあげないもんねえ」


「どちらにせよ、同じじゃない...」


 カヴィヤの応えはよく分からなかった。遊びに付き合えば危険なく進めると、簡単な話に聞こえるが。内容が碌なものじゃないという可能性は考えられる。でも、この子供たちにどれほどの危険性があるというのだろう。穏当に済ませるために要求を呑みたいと、僕は考える。

 少女は悪戯っぽい微笑みを浮かべたが、冷たい心地を感じさせる不気味な表情だ。蝶の羽を千切り、指を鱗粉に塗れさせて弄ぶ幼さゆえの無邪気、みたいな。


「無視されたってじゃれ付くわ。大人の困った顔を見るのが大好きなの。真っ赤な涎を垂らして、飛び切りの御馳走になって頂戴」


 遊ぶことを勝手に決めてしまったようだ。手を繋ぐ子供たち。環になると、足を弾ませて回り始め、この世には無い童謡を唱える。


『腹や空ける おはせよ 旨き膳がここにあり 心行くまで召し給へ かくと噛まねば寄り憑くぞ――』


 何をしているのか。カヴィヤはこれから起こることを察しているらしかった。火の玉が護る外へ向かって歩いて行きながら、残る僕たちに警告を突き付ける。


「遊びが終わるまで、怖いだろうけど、じっとしていて」


 ユウヅキ様の少し後ろまで歩み寄ると、彼女は軽く両腕を上げた。からの宙に八本の縄が浮かんで現れる。端に杭が結び付けられており、もう一方の端はカヴィヤの手足や胴に絡み付いた。

 惑いながらも戒められた通りに佇んでいると、こちらを振り向くことなく、ユウヅキ様が不安を慰めてくれる。


「安全は保障しますよ。その場を動かずにいるならば」


 あんまりな無茶を言われたのだと、すぐに思い知ることになるのだが。


『汝を巻くは臓の鎖 むくろの池より通りゃんせ』


 続いていた謡が終止となる。直後、子供たちの環の中心から液体が湧き出した。

 鼻腔をつんざく異臭が辺りに満ちる。腐った累々の屍を想像させる、獰悪どうあくの臭い。濁った黄の液体は、彼らの足下を越えて広がった。


「あうっ」


 可愛らしい呻きと血潮を吐き、少年が串刺しとなって高く持ち上げられた。

 喚ばれ出でたモノが、ヒトならざる邪悪の真髄をあらわさんと、鉤爪かぎづめを振りかざしたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る