第8話
「本屋敷の当主、リュストレー・モーリス・シルバーフォレスト公爵閣下は、実はこの国の王家の皇太子殿下なのです」
「は? こーたいしでんか、って皇太子?」
美玲は思わず
家と介護の職場を往復するだけの普段の生活では、あまりにも非日常的な単語だが、日本にだって天皇家はあり、皇太子殿下はちゃんといらっしゃる。
それに、物語の世界では割としょっちゅうお目にかかるから、そういう意味ではよく知る言葉ではある。
けれど、ついさっきまで口を聞いていた残念な美男子が、そんな人だったとは。
公爵様だというから、王家に近い存在ではあるとは理解していたけれど。
「要するに王子様ってことですよね!?」
「はい。元、ですけれど」
「それって、ひょっとして、王位第一継承者なんじゃ……」
「はい、本来ならその通りです。けれどリュストレー様は、自ら王位継承権を放棄され、御実父である王陛下がそれをお認めになられました」
「なんでまた……あ、いやわかるかもしれないです。失礼ですけど、あの微妙に面倒臭いご気性のせい、ですか?」
「いえ、それは……確かに一風変わったお方ではありましたが、あのように意固地になられたのは、まぁ最近の話で……いやえっと、やっぱり元から不思議なお方で……」
明晰なはずの執事の言葉が、どうもあやふやだ。
確かに変人で、複雑で面倒臭い人ではあるのだろう。
あの超絶美形公爵様は……と美玲は思った。
つまり──。
「はぁ。端的にいうと、私をこちらに呼び寄せてしまったという『能力』が原因ですか?」
「ええまぁ……はい、そうです。リュストレー様がご自身でもおっしゃられていたように、あの方に悪気はなくとも、人を瞬間的に移動させてしまうという、あの不思議なお力のせいで、幼かった頃……
「ええ!? お母さんを危険た目に、ですか?」
皇太子の母上ということは、国王の妻ということで、つまりは皇后陛下ということだ。
「自分のお母さんをどこかに移動させてしまった……のですか?」
「そのようなことかと。しかし私には、それ以上は言えませんし、そもそも私などには詳しく知らされておりません。しかし、その後も似たようなことが数年に一度くらいの頻度で起き、その頃は自分の能力を認識しておられたリュストレー様は、自責の念で、ご自分で王家を離れられたのです」
「……」
美玲はぞっと身を震わせた。
あの美男公爵、リュストレーは、何かの弾みで人をどこかに転送する能力がある。そして何かきっかけなのかわからない。制御もできない。
一つ間違えたら命の危険があるのだ。
確かに、そんな訳のわからない能力がある者を施政者、それも国の最高権力者にすることができないわ。
まともに操作できるなら、国事を有利に進めることもできるかもだけど、コントロール不能なら、あまりにも危険すぎる。何を呼び寄せるかわからないのだもの。この私がいい証拠だ。
あの、尊大でコミュ障気味の閣下の自己判断は正しいわ。
あんな残念な美男子だけど、そこんところは信用できるってことかしら?
「セバスティンさん、私はこの国の人間じゃないんです。異世界、こちらの言葉では異界というのかな? つまり別の次元から召喚されたんです。いきなり名前を呼ぶ声が聞こえて」
「はい。そういうこともあるでしょう」
「あんまり驚いてないのね。やっぱり経験ずみなんですか?」
「いえさすがに、この世界でないところからの転……召喚は初めてですが、いずれそういうこともあるかもとは想定しておりました。リュストレー様の保管されている、
「公爵様は私を返す算段を探すと言ってくれたのですが」
「ええ、根は真面目な方ですから。お嬢様はそれまでここでお過ごしください」
「……どうも、それしかないようですね。あの人と暮らすのは大変みたいだけど」
「ミレ様、主様はああ見えて、とても繊細なお方なのです」
「……」
「能力の発動を恐れて、私とケネス──お茶を持ってきた者ですが、それ以外、誰にも会おうとはなさいませんし、ここ数年は屋敷からお出ましになることもありません」
「ご家族にも会われないの?」
「ええ。活動されるのは主に夜で、昼は眠って過ごされることが多いのです」
「昼夜逆転の生活を!? ところで今何時ですか?」
「こちらの時間で真夜中を回ったところです」
「仕事場では午後二時過ぎだったのに……」
「普段は、お仕事の真っ最中で、誰ともお会いにならない時間帯です」
じゃあ、私とは割と話せていた方なのかな?
まぁ、自分の能力で召喚しちゃったんだから、責任を感じて……というか、興味を持ったなのかもしれないけど……。
「ともかく、お疲れでしょうから今夜はここでお休みを。入浴は隣の部屋で。すでに用意ができていることでしょうから」
「ありがとうございます」
そして普段美玲が、介助している年齢に近い老齢のメイド(?)が現れ、入浴の用意ができたと告げる。
手伝うというのを全力で断り、美玲は自分の部屋のユニットバスの五倍くらいはある、広い浴室に身を沈めた。
ややぬるめの湯温が、かえって心地よく緊張をほぐしてくれる。
シャンプーなどはないが、柔らかい石鹸の様なものが置いてあり、それで全身を洗うのだと老メイドが教えてくれた通りに、その日の疲れを落とした。
植物性なのかな? すごくいい匂いがする。
皮膚は丈夫な方だが、多忙と金銭的な理由から特に手入れをしていない美玲の肌が、しっとり吸い付く様に洗い上がる。
湯から出ると、この世界の下着と思わしき、レースのついたトランクスみたいな下着と、清潔な寝巻きが置いてあった。これもすごく着心地が良い。
美玲は明日残り湯で自分の服を洗濯しようと、貧乏くさい決心をしながら、ありがたく元の部屋に戻った。
ご丁寧に、飲み物まで用意されている。
とりあえず、命の危険はないということでよしとするか。
明日のことは明日考えよう。
なんだかんだで疲れていたのか、美玲はやたらと寝心地の良いベッドで、異世界最初の眠りについたのだった。
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書籍化作業などで多忙が続き、更新が不定期ですみません。
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