第4話 俺、信頼できる人と

 腹部がズキッと痛む。

 しかし不思議なことに傷はおろかその跡すら残っていない。


 姉ちゃんが治してくれたのか?


 やはりこの魔法ってすごいものだ。

 まさか傷跡すらも消してしまうとは。


 でもさっきから腕に柔らかい何かが当たって……。


 身体を起こし、チラッと横を見るとそこには姉ちゃんが俺の腕にベッタリと密着していた。その豊満な胸を押し付けて。

 そんな状況に俺は思わず声を上げてしまう。

 

「うわあああ!」

「ん? なになに? また野盗が来たの?」


 そう言った姉ちゃんは眠そうにして片目を擦っている。

 でもあの時、斬られた傷がまだ残っている。

 姉ちゃんの左目は完全に閉じていた。傷跡は治せなかったのか……それにもう目を開けることすら叶わないのか。全部、俺のせいだ。

 もう元には戻らない。どう責任を取ったら……。 

   

「姉ちゃんごめん。俺のせいでこんな……」


 俺は姉ちゃんの目元に手を当てる。

 すると手を優しく握り返してくれた。

 

「ネオ君が謝らなくていいのよ。お姉ちゃんが油断したから、ネオ君から目を離したから……痛いでしょ、ごめんねごめんね」

「もう痛くないよ。姉ちゃんが治してくれたんだろ?」

「えっ? 何のこと?」

「へ? でも傷が……」

「あらほんとね。傷が治ってる……治ってる!? そんなまさか……人族ヒューマンにここまでの治癒能力はないはず。なのになぜ……」

「俺にもわからないよ。けど何かに目覚めた、とか?」

「そ、そうね……」


 そう言ってさっきまで笑顔を絶やさなかった姉ちゃんの表情は一気に曇った。


 腹部の傷が治ったことについて何か心辺りがあるのか?


 それともまだ俺が傷を負ったということを気にしているのか?


 もし気にしてるんだったら、もうこの通り治ったんだから気にする必要もないのに。

 それより心配すべきは姉ちゃんの左目にできた傷跡。おそらく姉ちゃんは自業自得だと思っているのだろう。


 でも今は少しだけ一人になりたい気分だ。


「ちょっと一人になりたい」


 姉ちゃんの傷跡を見る度に湧き上がる罪悪感。その申し訳なさから楽しく会話すらできない。

 だから一度お互いに心の整理が必要なはず。姉ちゃん自身がどうかはわからないが、俺には必要だ。

 しっかりと整理ができたらまたここに戻ってこよう。

 

 俺は姉ちゃんに背を向け歩き出した。


「この傷はネオ君のせいじゃないからね。それだけは伝えたくて」

「………………」


 何も言わずその場を離れてしまった。

 あまり大樹から離れすぎるとまた同じような出来事を繰り返してしまう。

 だからせめて姉ちゃんの見えない範囲――所謂、近くの川沿いに移動した。

 ここなら大丈夫だろう。


 水の流れる音が俺の心を落ち着かせてくれる。

 新緑に囲まれ、優しくも冷たい風が俺を包む。

 心を落ち着かせるにはうってつけな場所――そのはずだった。けど幾ら時間を掛けても落ち着くことはあっても、心の整理が着くことはない。

 その時、俺は思い出した。

 姉ちゃんの言葉を。

 

『この傷はネオ君のせいじゃないからね』

 

 姉ちゃんがここまで気にしてくれてるのに、俺は結局一人で逃げて来ただけじゃないか。

 しっかり向き合わないと!


 そう決意した俺は大樹の元に戻った。

 そこには一人淋しく空を見上げる姉ちゃんの姿。

 涙を流しているのか?

 頬に一粒の涙が伝っている。


「姉ちゃん話がある」

「う、ご、ごめんね。こんな恥ずかしい姿見せちゃって」


 姉ちゃんは慌てて涙を拭い、両手で顔を覆った。

 泣き顔を見られたくないのだろう。

 だから俺はそこは敢えて触れずに話を進めた。


「本当にごめん。俺のせいで……次は俺が姉ちゃんを守るから。何があっても必ず。姉ちゃんみたいに強くなって優しい大人になる。これは俺の決意だ」

「もうネオ君ったら。お姉ちゃんは……悪魔よ。お姉ちゃんみたいになっちゃダメでしょ」


 やっと笑顔を見せてくれた。

 それが例え作り笑いだとしても、今の俺には笑ってくれた、それこそに意味がある。

 やっぱり姉ちゃんはこうでなくっちゃな。


「そうかな?」

「そうよ、でもネオ君が笑ってくれてお姉ちゃんも嬉しい。だからどんなに辛くても苦しくても、お姉ちゃんには笑顔を見せてね」

「うん、もちろんだよ!」


 ある意味、ここが俺のターニングポイントだったのかもしれない。この瞬間から物事の考え方が大きく変わったのだ。

 転生して、何度も死にかけて、大切な人に深い傷までも負わせてしまった。その辛さを知っている。一生を賭けて償わなければならないことも。


 だから俺は、育て親でここまで尽くしてくれて、自分を危険に晒してまで守ってくれる姉ちゃんを本当の家族のように接する、そう決めた。

 姉ちゃんこそが俺にとって世界で唯一の信頼できる存在だからだ。今まで口では「姉ちゃん」と一応言っていた。けど、これからは心から呼ぼう。


 

 そして後日、俺は「姉ちゃん」と呼び、今日も笑顔を見せる。

 きっと姉ちゃんは喜んでくれているはずだ。

 それほどまでに俺と姉ちゃんとの間には深い絆が生まれている、そんな気がするのだ。

 

 そこで姉ちゃんは急に語りだした。

 何を話すのかと思えば、人間は私利私欲のためなら何でもするといった反人族はんヒューマンがするような話だ。


「だから理想郷ユートピアを創るには人族ヒューマンは必要ないの。ネオ君もわかってくれるよね」

「言いたいことはわかるけど、中には優しい人もいるんだよ。俺が姉ちゃんに拾われたのだって美人ママと実姉のおかげだし」

「ううん、それは気のせい。本当に大切に思ってるなら捨てないもの。その証拠にほら、お姉ちゃんがネオ君を捨てると思う?」

「その捨てるっていうのやめてもらってもいい? ものすごく傷を抉られてた気分になるんだ」

「ご、ごめんね。お姉ちゃんを嫌いにならないでえええぇぇえ!!」

「嫌いになるわけないだろ! どちらかといえば――す、好きだし」


 ついつい言ってしまった愛の告白のような言葉。

 ちょっと照れくさいけど、やっぱり本心で伝えるっていいもんだな。

 本当に伝えたいこともきちんと伝わるし。


 いや、待てよ。

 よくよく考えるとそうなっては隠し事がこれから一切できなくなるんじゃないか?


 確かに正直に話すのはいいことだ。

 とは言っても、当然内緒にして置いたほうがいい事案だって起こる可能性もある。


 例えば、俺が彼女を作った時だ。


 今の姉ちゃんなら暴走して消し炭にしようとするに違いない。

 あの一件依頼、姉ちゃんは恐ろしいほど過保護になっているからだ。

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