素晴らしき人生

ウイング神風

素晴らしき人生

「ああ。世界は滅びないかな〜」


 僕は独り言を語りながら、帰路に着く。

 本日の予定、朝には始業式。校長の長くて、よくわからないスピーチを聞きながら、あくびをして聞いていた。それが終えると、今度は教室に移動し、クラスメイトと顔合わせ。

 無論、見知った顔もいれば、クラス替えで見知らぬ顔もある。

 でも、そんなのは些細な問題だ。

 高校2年性にもなった僕は隠キャだから、声をかける相手はいない。

 スクールカーストは一日で決まる。

 そして、僕は負け犬の層。スクールカーストの一番下っぱな存在。だから、声を変えられるものもかけられることもない。

 しょうもない高校生活。アオハルなんて、嘘っぱちなんだ、と僕はそう思った。

 だから、僕は今日もひねくれた思想のもとにそう呟いたのだ。

 横断歩道を渡り、桜木並みの間を歩き出す。この道を辿れば、この先に僕の家がある。

 今日の桜も満開だ。季節は春。恋する季節だと、言われている季節だ。この桜木並みの下で告白すると、成功率100%だと噂され、男女がここで告白するのは絶えなかった。

 去年なんて、僕がここを通ると、ほぼ8割の確率で告白している場面に遭遇する。

 本当に末長く爆発しろ、とでも怨念を送りたくもなる。

 幸い、今の時間はカップルの姿はいない。まあ、昼間っから告白する奴なんていないだろうし。今日は気楽に通れる。


「馬鹿馬鹿しい」


 噂というより、この背景で成功したのだと思う。

 こんな綺麗な場所で告白すれば、雰囲気も出るし、あまりにもロマンチックな風景に成功率も上がるに決まっている。

 というわけで、僕はそんな噂を侮蔑しながら、この桜木並みの間を歩く。


「ん?」


 ふと、僕は進んでいる足を止めて、とある桜に目をやる。

 それはこの桜木並みから離れている一本大きな木の桜だ。

 その木だけが大きくて、離れているから、不気味のように感じる。なんと、その桜の木の下で告白すると、不幸が訪れると、囁かれているのだ。

 だが、僕が足を止めたのは、その不気味さではない。

 そこにはとある女子が立っていたのだ。

 黒く、長い髪を風に靡き、青い瞳を桜を見つめている。

 僕と同じ高校の制服を身に纏い、大きな桜の木をそっと右手で木の上に当てる。桜を見上げるとともに、きらりと光に反射した水滴が彼女の瞳からは流れ落ちる。ダイヤなような水雫はあまりにも儚く感じた。

 それはまるで、一枚の絵画のような現象に、僕は息をするのを忘れるほど、止まってはいられなかったのだ。

 気付けば、僕はそんな彼女を放っておくことはできず、声をかけていた。


「どうしたんだ?」

「っつ!?」


 呼ばれた彼女は、慌てて手を木から離して、僕の方に顔を向ける。

 水滴がかすかに揺れだして、落ちていくのを確認できた。長い髪も風に揺らされながらも僕の方に顔を向けた。

 彼女の顔を見た瞬間、僕はやっと彼女が誰だと分かった。

 彼女の顔立ちはすごく綺麗だ。高い鼻筋に、整った眉毛。それに、柔らかい水を含んでいる唇。どこから見ても、美貌の持ち主だ。身長は僕の目線のあたりまであり、体型はちょっと細痩せている女の子。しかし、しっかりと育っている場所は育っており、スリムな体躯である。

 彼女の名前は佐々木純子。今年は同じ2年1組になった女子だ。


「あ、ああ。谷村くん。こんにちは」

「うん。こんにちは」


 佐々木さんは僕のことに気づいたのか、

 僕は彼女の方へ一歩、そしてまた一歩近づく。

 彼女が泣いているの確認できると、ますます放っておくことはできなかった。女子が泣いている時は優しくするのよ、と姉の教えに従った僕は彼女の事情を探る。


「ここで、何していたの?」


 僕が尋ねると、彼女は慌てて、手の甲で目を擦り出した。

 きっと、涙を見られたくはないのだろうが、それはもう遅い。バッチリと僕は目撃してしまった。

 だから、僕は彼女を一人に放っておくことはできずにいた。

 すると、佐々木さんはどこか愛想笑いを浮かべながら、こう尋ねてくる。


「あ、えっと。ごめん、見てた?」

「うん。泣いているの、見ていた」

「そっか〜。ごめんね。変なの見せて」


 てへへ、と誤魔化すような笑いだす。

 でも、僕は眉間に皺を寄せていた。なぜならば、さっき彼女が浮かべた儚い顔が脳裏に焼き付いてしまったからだ。

 どうしようもなく、死んでいく人の姿とよく似ているから、真剣に向き合う。

 佐々木さんは僕を一瞥すると、またも上の方に顔を向ける。


「綺麗な桜だね」

「うん。綺麗だね」


 僕もその桜を見上げる。

 確かに綺麗だ。大きな木に大きな枝。枝分かれをして、数々の桜が咲いている。この桜が千年桜と称されているのもわかる気がする。しかし、なぜか、避けられていた。どうもこの桜は不気味で、負の力があると言い伝えがあるのだ。

 どうも、この桜の木の下で死体が埋まっているとも噂されているためか、ここでは告白する人を避けている。

 そんなのは迷信だ。こんな綺麗な桜にそんなものがあるわけがない。

 と、僕はそう思ってしまう。


「わたし……つぐつぐ、考えてしまうことがあるんだ。なんで、生きているんだろうって」


 不意と、彼女の口からどこか謎めいた言葉が飛んできた。

 視線を桜の枝から彼女の方へ向け、耳を傾け、彼女が次に放つ言葉を待つ。

 

「わたしの人生……ただただ、息を吸って、吐いて、学校に行って、友達とだべって、ご飯を食べて終わる。そんな人生を繰り返してた。でもね、ある朝。ちょっとお腹が痛くて、病院で医者に診てもらったら、膵臓癌だと診断されたの。それも末期癌。残り時間がそんなに長くない。この学校も、もう通えることはできない。明日から病院生活。だから、わたしはなんのために生きているんだろうと、思ってしまったの」


 佐々木さんは語りながら、体を震わせていた。死に対する恐怖が露わに感じ取れることを僕はすぐに分かった。彼女が流した宝石のような綺麗な涙の意味を知ると、僕は拳を強く握り締める。

 佐々木さんとはあまり親しい仲ではないが、こうも誰かが死んでいくの見ていると、僕は励ます言葉を探す。

でも、あまりにも残酷な話に彼女はどうしようもなく絶望してしまった彼女に何を言えばいいのか、わからなくもなる。

そんな時、チラリと、姉の顔が脳裏に浮かんで来た。

彼女はいつも元気よく、笑っている。誰よりも、充実した人生を送っていた。僕の人生の標本になってくれて、尊敬できる人だった。

だから、僕は迷わずに口を開く。


「人間は考える葦である……」

「え?」

「僕のお姉さんがよくつぶやく言葉です。正式にはお姉さんの言葉ではなくて、哲学者パスカルがそうはなったのですが……まあ、意味はそのまんまの意味です。人間は思考がある儚い生き物なんです」


 励ますことができたのかはわからないが、僕は姉さんが取るべき行動を取った。

 

「谷村くんのお姉さん?」

「はい。彼女はこの世で尊敬できる人です。色々と人生のことを僕に教えた人でもあります」

「人生のことを?」

「はい。彼女はこう言っていました。人生は惨めで不幸であると、だから悲願することはないって」


 口から出たのは姉が数々の教え。

 本好きだった姉が僕に説教したことを思い出す。昔の日々は充実していた。

 一冊の本を読み終えると、感想を僕に愚痴る。

 

恋愛だと、キュンキュンした感想。

 思想だと、視野深い感想。

 ミステリーだと、トリックについての感想。


 そう、僕の姉はいろんな本が好きで読んでいたのだ。

 僕はそんなだべっている姉が好きだった。尊敬できる人だった。

 でも、そんなことはもうすることはもうできない。

 全部は過去のできことにしか過ぎないのだ。誰かが言ったように、同じ川に二度と入ることはできない、のだからだ。


「あなたのお姉さん、変人なのね。そんなことを言うなんて」

「はい。僕も変と思います」

「で、お姉さんは元気?」

「天国で元気にしています」

 

 僕がそう答えると、彼女はその答えに察したのか、どこか気まずそうな顔を浮かべてから謝罪の言葉をする。


「ご、ごめん。変なことを訊いて」

「いいんです。三年前のことですから。僕はもう、慣れました」


 そう、姉が死んだのは三年前。この季節。桜が満開なこの時期。僕の姉は帰らぬ人となっていたのだ。

 唐突のことで、僕は別れを交わすことはできなかった。

 でも、今思い返してみれば、あれが最後の言葉ではないかと思ったのだ。


『さよなら。健二』

『うん。行ってらっしゃい。姉さん』


 当時は僕はいじめられていたため、引きこもりで何も深く考えていなかった。その言葉にすごく重みがあるなんて。

 だって、その後姉は……屍になるとは誰が予想したのか。


「お姉さんの死因はい自殺でした。どうして、自殺したのかは僕には理解できません

「自殺?」

「はい。人生は惨めで不幸だから、自殺さえ幸福に見える、と遺言にはそう書かれていました」


 人生は惨めで不幸だから、自殺さえ幸福に感じる。

 当時の僕はそんなことは理解できず、ただただ泣いて泣いて、姉の死体を揺らしながら、起こそうとする。

 無論、死体は蘇ることもなく、喋ることもない。

 だから、その答えを知る由もなく、悲しみだけが谷村家を包んだ。父さんは何も言わず、母さんは悲しくて目を赤くそまらせている。

 誰もが、どうして姉は死ななければいけないのか、わからないのだ。

 でも今ならその答えはわかる。

 なぜならば……


「だから、僕はこう思いました。人生に意味はないです」


 人生に価値はない。惨めで不幸しかないのだから。

 幸せになる方法は一つもない。だから、姉は自殺したのだと。


「そうなんだ」

「でも、それでいいんです」

「え……?」


 彼女首をかしげると、僕の方へと顔を向けてくる。その表情は素っ頓狂で、ちょっと情けない表情が可愛く見えてしまう。

 だから、僕は唇先の端を上げて、彼女を安心させる。


「人生に意味がない。でも、それでいいんです。だって、人生はそんなもんだからだ」


 姉の死がそう、僕に教訓を与えてくれた。

 人生に意味はない。でも、悲嘆する必要はない。だって、人生そう言うものいだからだ。苦しい時も、悲しい時も、喜びの時も、嬉しい時も、全部それが人生なんだ。

 だから、そう言うものなんだと、気づいた。

 姉は僕にそう教えたいから、自ら命を絶ったのではないかと、今は思う。


「谷村くんって、優しいだね」

「優しくはないですよ。さっき、ここに来る前。世界が滅びないかなあ、って呪っていましたから」

「あははは。何それ、うける」


 佐々木さんはご機嫌を取り戻すかのように、腹を抱えて大笑いをする。

 うん。それでいい。佐々木さんにはそんな表情が似合っている。

 桜の木を見上げながら、悲嘆の表情を浮かべる彼女と似合わない。だから、こうして笑っていて欲しい。

 僕はそう思うと、再び桜の木を見上げる。


「今年の桜は綺麗だな」

「うん。去年より綺麗だね」

「きっと、来年よりも綺麗だよ」


 冷たい春風が僕たちの間を通り抜ける。

 それはあまりにも心地が良く、今でもここで横になって草の上で眠りに入りたいくらいの気持ちのいい天気であった。

 このまま草と一体化して、考える葦にでもなればいいんじゃないかと、思った。

 でも、そんなことをしたら姉は許してくれないだろう。

 彼女はいじめられていた僕を前向きにする為に、死んだのではないかと思うと僕は彼女の分まで生きなければいけない。こんななんでもない人生を。

 そう思った僕は、重い脚を動かして、彼女と別れを告げる。


「邪魔したね。佐々木さん。僕はもう行くよ。あ、佐々木さんのことは内緒にするから。僕口は硬いから」

「あ、うん。ありがとう。それと、ごめんね、色々と話しちゃって」

「ううん。困った時はお互い様だから」


 僕がす数歩を歩いたところで、佐々木さんが背中からこう叫んでくる。


「ねえ。もしも、天国でお姉さんに会えたら、伝言とかない?」


 ふと、僕は脚を止めて彼女の方に顔を向ける。

 さっきまでの笑顔で僕に手を振っていた。こんな元気な子がもうすぐあの世に行くだなんて、僕は到底そう思えなかったのだ。


「そうですね……」


 その問いに僕は思わず考え込む。手を顎に当てながら、何がいいのかな、と思考を巡らせた。

 あれもいいが、これもいい。

 だけど、色々伝言を頼むのは苦だ。簡潔で短く一つにしたほうがいいと、真剣に考える。

 すると、僕はとある答えに辿り着く。

 姉にあったら、これを絶対に言わなければいけない、と思い僕は視線を佐々木さんへとも戻すと口を開く。


「素晴らしき人生でした」


 僕はそう答えると、佐々木さんは聞こえていないのか、耳を疑ったかのようにもう一度僕に尋ねる。


「え?」

「だから……僕の人生は素晴らしき人生だったって、姉に伝えておいてください」

「何それ? 谷村くんって面白いね」

「面白い人間で結構」


 その言葉を皮切りに僕は帰路へと向かった。

 明日からは学校に見かけることはないだろう。末期癌であれば、病院の療養施設に過ごすのだろう。

 彼女の人生はどれくらい長く続くか、神のみぞ知るものだ。そして、彼女は何を選択するかは僕にはわからない。

 でも、彼女は僕の人生の意味を知ってもらった。

 それだけで十分だ、と僕はそう思ったのだ。


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