第3話 さっきの可愛かった人

「大家さん!」


 ソファーに倒れていた大家に無免ローヤーが駆け寄る。「えっ、えっ、どうしたの?」と後から入って来た神崎が声をかけた。「た、倒れてる、ど、どうする、どうしよう」無免ローヤーがあたふたと「医師法」やら「臓器の移植に関する法律」やら「麻薬及び向精神薬取締法」やらの能力を発動させる、しかし当り前だが法律の力で医療行為ができるようになるはずもなく、六法から顕現した光は虚しく消えて、無免ローヤーの変身も解除されてしまった。やっぱり法律は駄目だ、クソの役にも立たないヒーローである。


 しばらく二人でワーワーやってると、大家が目を覚ました。


「あれェ、水去さんとさっきのお友達さん、何をしとるのォ?」


 そう言うと大家さんは「あァーよく寝たァ」と言って、台所の方に歩いて行った……


 不法侵入したことを大家に謝り、宅を出ると、神崎が怒ったように口を開いた。


「もう! 君が、まさかっ、とか言って飛び込んで行ったから、何事かと思ったよ! ただ寝てただけじゃん」


「ま、まあ、その通りではあったが、収穫もあった。無免ローヤーの法の眼を通して見れば、大家さんを闇のオーラが覆っていた。お前の言う通り、これは怪人の仕業だ。大家さんは怪人に洗脳されている」


「せ、洗脳⁉ どうやってそんなことを」


 神崎が驚いてそう尋ねる。水去はちょっと不服そうな顔をしていたが、仕方なしに口を開いた。


「難しい法律の話をな、延々とされると、眠くなるだろ。怪人は、法律に全然詳しくない一般人に憑りついて、法律の呪文をしつこく唱え続けることで眠くさせて精神を弱らせ、人を洗脳する」


「そんなやり方が……」


「そして、今回の怪人はおそらく、前原さんだ」


「やっぱり怪人なのか、さっきの可愛かった人が……」


「なんか悩みでも抱えてるんだろうなぁ」


 神崎が興奮したように「それでどうすんのさっ」と尋ねる。水去は困ったような顔をしていたが、「俺はこの辺り一帯の登記を調べてみるよ。多分、被害に遭ってるのはここだけじゃない。お前はもう帰れ、怪人が出た以上、俺の周りにいるのは危険だ」


 そう言うと、水去は再び無免ローヤーに変身して、周囲の物件の登記を調べ始めた。「ここも……ここもか……どこもかしこも、不動産登記の所有者が、前原天祢に変わっている……」


 調べ終えて変身を解除した水去の前に、神崎が立ちふさがった。


「まだいたのか」


「帰れと言われたからって、引き下がれるわけないだろ! ボクは君を研究するって決めたんだ! 君が拒否しても、勝手について行くからね」


「……まあ、いいんだが、怪我しても自己責任だからな、訴えるなよ」


 神崎の表情が明るく弾けた。いけすかない野郎だが、思ったより単純で子供っぽい奴かもしれない、と水去は思った。


「で、どうするの。その前原さんって人の居場所にアテがあるの?」


「アテはない。俺は彼女と親しいわけでもないし。まあ、だが、法科大学院生ってのは、大体あそこにいるもんだ」そう言うと、水去は歩き出した。


 水去と神崎は下宿を出て坂を下り、大学の敷地に入って、さらにしばらく歩いた。「どこに向かってるの?」と神崎が聞く。「二十四時間三百六十五日稼働が売りの、法科大学院自習棟、またの名を、懲罰房」と水去は答えた。


 目的の建物の前に辿り着くと、水去は一度深呼吸して、自動ドアの横にある怪しげな機器に暗証番号を打ち込んだ。すると、暗く重いドアが重低音を鳴り響かせて開く。神崎がうわぁーと声を漏らした。「あ、そうか。ロー生じゃないから、お前は入れないよ」「えっ、ボク、ここで置き去りっ?」神崎がそう叫ぶのを背後に、水去は自習棟の中に入って行った。扉が閉まった。


 ガンガンゴンゴンと金属に何かを打ち付けるような音に、怒号や、悲鳴、絶叫、怨嗟の声がまき散らされたと思えば、ムチを振るう音とすすり泣き、命乞い、阿鼻叫喚が鳴り響く地獄のごとき建物内を歩き、水去はとある部屋に入った。そこはいくつも机が並んだ部屋で、大量の書籍の中に埋もれるようにして、法科大学生たちが自習していた。真っ白な蛍光灯の光に照らされているのに、そこにいる誰もが、死者のごとき翳を含んだ不気味な表情をしている。


 水去は部屋の中を見回してみる。前原女生徒はいなかった。しかし部屋の隅の方に、前原さんとよく一緒にいるのを見かける、同級生の佐藤女生徒がいるのを見つけた。水去は彼女の所へ行って、「前原天祢さんのことで聞きたいことがあるんだけど、ちょっといいかな」と声をかけた。


「どうして?」


「いやあ、ちょっと彼女のことが気になってて」


「……ここじゃ都合が悪いから、表に出ましょう」


 佐藤が立ち上がって部屋を出る。いくつも並んだロッカーの間を通り抜けて、地獄絵図の正面に立つと、彼女は振り返った。


「あなたは天祢の何なの?」「何者でもない。でも、前原さんと仲がいい君に聞きたいことがある」「……天祢は、二週間くらい前から連絡がとれないの。大学にも来てなくて」「いなくなる直前に、何か変わったことはなかった?」「……法律が嫌になったって言ってた。あの子、あんまり実家がしっかりしてないらしくて、アルバイトも沢山してたみたいだから……」そこまで言ったところで、佐藤女生徒はハッとして口をつぐんだ。「もういいでしょ。あの子のことは友人としてすごく心配だけど、よく知らない人間に、何でもかんでもペラペラ喋るわけにはいかない」そう言って自習室に戻ろうとする佐藤に、水去が変身用の六法を見せる。


「前原さんは、怪人の疑いがある、そして俺は、無免ローヤーなんだ」


「あ、あなたが……」


「もう少し詳しく教えて欲しい、彼女の過去とか、悩みの内容とか、それが怪人の能力に繋がるんだ」


 佐藤は怯えた目をしていたが、キュッと、何かを覚悟した表情をした。それから少し話をした。必要な情報を得た水去が、ありがとう、と言うと、佐藤女生徒は小走りで自習室に戻っていった。


 ギィヤアアアアアアアアアアアアアア、という叫び声が聞こえる中、一人残された水去はその場に立ったまま、何か難しい顔をしていたが、しばらくして法科大学院棟を出た。


 神崎の姿がなかった。


「これは……」


 カメラがあった。神崎が持っていたカメラがぽつんと残されているのである。水去が拾い上げて、電源を点けてみる。中を見ると、そこには怪人の姿が写っていた。怪人登記女、おそらくこれが前原女生徒だろう。


 水去は弾かれるようにして駆け出した。


 ○


 逃げる神崎を追う、暗い翳が一つ。七兜山の坂を駆け上がり、神崎はある家の庭に逃げ込んだ。息が荒く、頬には血が滲んでいる。袋小路に追い込まれてしまったようだ。


「怪人怪人ってェ、私の事を嗅ぎまわっている人間がいるのは知ってたの、やっと捕まえた、貴方がそうだったのねェ……」


 怪人登記女が、揺ら揺らと迫って来る。神崎は意を決したように、振り返った。


「違うよ! ボクは、ボクはずっと、無免ローヤーを探してたんだ!」


「無免ローヤー? ……そう……ますます貴方を自由にするわけにはいかなくなったわァ。あァ、目の前に丁度いい廃屋がある。自ら死地に逃げ込むことになるなんてねェ。この中でェ、死んでちょうだい」


 怪人登記女が神崎の身体を掴み上げて、汚い小屋の中に投げ込んだ。荒々しく扉が閉まり、錠前の鍵が閉じられる。中から必死でドンドン叩く音が聞こえるが、周囲に人影はない。神崎の出す音が通行人に届く可能性は絶望的だった。


 怪人登記女が安心したように喉を鳴らす。すると、闇が散り、中から前原天祢の姿が現れた。


「私の、邪魔を、しないで、あと、もう少しなんだから……」


 神崎の幽閉に成功した前原女生徒は、ボロ小屋を一瞥すると、もう振り返らずに歩き始めた。


 その前に、ヒーローが立ちふさがる。


「残念ながら、そこは廃屋じゃない。俺の下宿だ。……鍵をかけ忘れてたみたいだな」


「あっ、えっと、水去君、だよね。どうしたの? 私に何か用かな?」


 突如現れた水去に、前原が誤魔化すように微笑みかけた。「こんな所で会うなんて、奇遇だね」と言葉を続ける。しかしそれを遮るように、水去が声を張り上げた。


「ここら一帯、神崎グループの購入地域を先回りして買う。もう交渉が終わってしまった物件には二重譲渡を仕掛ける。神崎グループが取引先の要望を満たすため、交渉や登記の変更に時間をかけることを利用してな。そうやって手に入れた不動産を、神崎に高く売りつけてやろうってスンポーか」


「えーっと、どういうこと? 何を言ってるのか、分からないんだけど」


「不動産登記の自由な書き換え、それがお前の怪人としての能力だろ。住人を洗脳して、売ると言わせた後、怪人の力で登記を書き換える。そうやって、不動産を自分の物にする」


「……何なの、貴方」


「無免ローヤー」


 水去が六法をバックルに装着した。「変身!」ヒーローの声が七兜山に鳴り響く。前原女生徒が闇に覆われて、怪人登記女に変貌するのと同時に、水去青年もまた法の光に包まれ、無免ローヤーに変身した!


「法に代わって、救済する!」


 決め口上が出て、無免ローヤーの背後、七兜山の山頂で、火薬が爆発する! 


 その瞬間、怪人登記女が登記改竄弓を構え、間髪容れずに闇の矢を放った。変身ポーズの最中に容赦のない攻撃を受けた無免ローヤーは、一矢、二矢、三矢と敵の攻撃を慌てて潜り抜けて、自分のボロ下宿の前に辿り着くと、扉に掛けられている錠前を握り潰した。バアアンッと戸が開いて神崎が飛び出してくる。「助けに来てくれたんだ!」「俺は怪人を止めに来ただけだ」言葉を交わし、無免ローヤーが怪人に向かい合う。


 その時、闇の矢が神崎めがけて飛来した! 


 無免ローヤーが素早く動いて、彼の高い鼻すれすれのところで矢を掴み、止めた。


「無関係な人間の、命まで狙うのか……!」


「私にはァ、もォ手段を選んでる暇はないの。沢山、稼がないとォ、いけないからッ!」


 怪人登記女が闇の矢をまた放つ。無免ローヤーは刹那躱すそぶりを見せたが、近くに生身の神崎がいることに気付いて、矢面に立ちふさがった。迫りくる鋭い鏃。「無免ローヤーっ!」神崎の悲鳴が七兜山に響く。


「こいつを使う!」


 無免ローヤーが腰の六法に触れた。


【民法二○六条 所有権の内容!

 所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する!】


 六法が輝き、光が籠手に変化して、両手に装着される。「所有権は法によって保護されている。この土地と建物の所有権は、俺が守る!」無免ローヤーは法の籠手をもって、闇の矢を弾き落とした。


「そんな小手先の法でェ、私に勝てるわけがないッ!」


 怪人登記女の登記改竄弓が闇の力を増し、次々と矢を放つ。無免ローヤーは次第に防ぎきれなくなり、全身に闇の矢が突き刺さった。とどめと言わんばかりに、上空から高速で飛来した矢が、マスクを貫いて、無免ローヤーが崩れ落ちた。「がっ、はっ……民法二○六条の力じゃ、駄目なのかっ……」


「そんな、どうして無免ローヤーが勝てないんだよ!」


 神崎がそう声を上げると、怪人登記女は高笑いをした。


「アハハハハハッ! 所有権を守るですってェ? この土地の所有者は私よォ」


「どうしてだ! ここの土地は大家さんが神崎グループに売ったんじゃないのかよ!」


 神崎の問いを、怪人登記女が嘲笑う。


「この国にはァ、民法百七十七条があるのォ。不動産の物権変動はァ、登記をしないと第三者に対抗することができないィ! 逆に言えば、登記を備えた者が不動産を手に入れるってことッ! そして、この土地と建物の登記は、私のものだァ!」


「そんな……そんなの嘘だ!」


 突きつけられた不正義をかき消そうと、神崎が叫ぶ。


「いや……確かにっ……ぐっ……民法百七十七条は、不動産に関する物権変動の対抗要件に……登記を規定している」


 無免ローヤーがなんとか立ち上がりながら答えた。「あらァ、くたばりぞこないって感じねェ」怪人登記女が無免ローヤーに向けて、弓を構え、次々と矢を放った。無免ローヤーの肩に腕に脚に、怪人の矢は突き刺さる。「ぐああああっ!」


 攻撃に耐えきれず、無免ローヤーは倒れてしまった。


 地に伏して、もう少しも動かない。「水去君! 水去君!」傷ついた仮面は沈黙したままで、神崎の悲痛な呼びかけに対する反応は無い。


 怪人登記女が余裕を振りまきながら、ゆっくりと近づく。


 しかし神崎青年が、無免ローヤーを守るように、立ちふさがった。


「法律を知らない人間が、生身で私の前に立つなんてェ、死にたいのかしらァ? 何も知らないくせにッ!」


「ボクの研究は、始まったばかりなんだ! こんなところで、無免ローヤーをやらせはしないぞ!」


「そう……ならァ、死になさいッ!」


 怪人登記女が闇の矢を放った。



次回予告 

抱擁! 爆発! 涙! 第四話「押し寄せる背信的悪意」 お楽しみに!

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